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(130)英語との付き合い‐46

<30周年記念集会>

 2010年の4月、茅ケ崎方式英語会の設立30周年の記念集会が、茅ケ崎市の後援をえて、市民文化会館で開かれ、小ホールを埋めた400人の来場者を前に、創設者として私は次のような開会の挨拶をした。

 「茅ヶ崎方式英語会が生まれた1981年(昭和56)は、アメリカではレーガン大統領が就任し、最初のスペースシャトルが宇宙へ飛び立った年でした。日本ではローマ法王の訪問があったくらいで、あまり記憶に残る年ではなかったと思いますが、私の立場からすると、3つの記憶すべき出来事がありました。ひとつはNHKを辞めて英語会を始めたこと、茅ケ崎海岸で松下政経塾が活動を始めたこと、もうひとつは、大阪のたこ焼屋の2階に英会話学校のNOVAが誕生したことです。それから30年、NOVAは莫大な負債を抱えて倒産し、松下政経塾も昔日の面影はありません。何故でしょうか。私は基本的な考え方が間違っていたのではないかと思います。NOVAは学習より金儲けを優先しました。政経塾はエリート政治家を育てて社会を変えようとしました。

 私は社会を変えるものはカネや一部のエリートではなく理念であり、その理念に共鳴して自ら考え、行動する市民の力であると考えています。迂遠なようでも市民のレベルが上がれば、それにふさわしいリーダーが生まれる。市民のレベルを上げるには、徹底した地方分権と、それを支える地方の草の根の文化が必要だと思います。草の根の文化の一つとして、この湘南の地から、一隅を照らす存在になるようがんばりたい。そう考えて、茅ヶ崎方式と言う名前をつけました。30年よく続いたものだと思いますが、最大の要因は、国際化、情報化、高齢化という時代の流れに茅ヶ崎方式の理念がマッチしていたからだと思います。つまり時の運です。同時に、この記念集会の裏方として働いてくれた中核的メンバー、そして我々の学習法に共鳴して全国に拡がった150の協力校の代表、会員の皆さんの人の和がそれをバックアップしてくれたのだと思います。
   
 さて、今から60年以上前、つまり、英語会の設立からさらに30年の昔、戦争で焼け残った窓ガラスの無い校舎で、焼け跡から拾ってきたトタン板の残骸で窓をふさぐと、暗らくてテキストが読めないから、昼間から電燈をつけて講義を聴いた時代、ともに学んだ東京高等師範学校の同期生が記念講演に駆けつけてくれました。土屋澄男さんは、この茅ケ崎にもキャンパスがある文教大学の元大学院教授で、茅ヶ崎方式が依拠するサイレント・ウェイの研究者として、設立の頃から御協力をいただきました。本日は「自律的学習の8原則」について特別講義をお願いしてあります。浅野博さんは、我々の母校を継承した筑波大学の名誉教授で 英語教育界の重鎮であり良心であります。今日は「英語教育では何故同じことが繰り返されるのか」という多くの人が持つ疑問に答えていただきます。また、田崎清忠さんは、16年間と言う前人未到の長きにわたりNHKTV英語会話の講師をつとめ、今も全国に多くのファンを持つ方で、地元に縁の深い横浜国立大学の名誉教授でもあります。お得意のユーモアやウィットを交えて「英語の楽しみ方」について様々な実例を披露してもらいます。それでは講演会を始めます。」

 挨拶を終えて、講演を聞こうと楽屋裏からホールへ入ったが、全く空席が見当たらなかった。キョロキョロしながら階段を上がっていくと、天井桟敷の端の席で手を振っているのが見えた。そこに座っていたのは、同志の中でも、自らの後半生をかけて協力してくれた高橋義雄さん(英語会第2代代表)と柴田誠さん(茅ケ崎出版代表)だった。二人の間に座って講演を聞きながら、30年の歳月をかけて独自の英語学習法とそれによって学ぶ組織を創りあげることができた創造の喜びをかみしめていた。(M)

(お断り)前回の「日本人英語学習者の考え」 7 <日本語学習との関係。基本問題>の中で、小学校の英語教育に触れたところがありますが、これはアンケートを実施した2004年の記述であり、その後、2008年の学習指導要領の改訂で「外国語活動」という時間ができ、英語はそこで教えることになりました。小学校での外国語教育活動については、土屋澄男編著「新編英語科教育法入門」(研究社)に簡潔にまとめられていますので、御参照下さい。