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<訂正>前回の「直感と分析」を(11)としましたが、(10)の誤りでした。したがって今回が(11)となります。お詫びして訂正します。

 私たちは毎日いろいろなことに気づいているのですが、気づいていることに気づくこともなく日々を過ごしているようです。それでも何とか生きていけるのは、生きていくのに最低限必要なものを記憶して保持するというメカニズムが私たちに備わっているからでしょう。生物としてのヒトはそのようにして生存し続けることができるのかもしれませんが、それでは今日に至る人間の進歩—とくに科学における近年の目覚ましい進歩—は説明できないでしょう。人間は、たぶん他の種の生物とは違って、「自分の気づきに気づく」という顕著な特性を持っているのです。

 しばしば、私たちは自分が気づいたことについて深く知りたいと思うことがあります。たとえばあるとき、ふと「光」というものに興味を持ったとします。暗闇ではまったく何も見えないのに、光さえあれば、私たちの目はいろいろな物を見ることができます。目を閉じれば、それらの物は一瞬にして消えてしまう。そこで、「光とは何か?」「それはどのようにして伝わるのか?」と疑問を持ちます。幸いにして、人は早くからそのようなことに気づき、何世紀にもわたってその疑問を解こうとしてきました。フォトン(光子)という電磁エネルギーの単位が使われるようになったのは20世紀になってからのようですが、筆者は何かの折にフォトンについての説明を読んで、文字通り「目からうろこが落ちる」経験をしました。長年疑問に思っていたことの多くが氷解したからです。

 第二次大戦後の中学4年か5年(旧制)のとき、筆者は生物の授業でメンデルの遺伝法則を学び、非常に興味を持ちました。「親子や兄弟姉妹はなぜ互いに似るのか?」というような素朴な疑問から、自然にこの話題に興味を持ったのだと思います。生物の教科書にメンデルについての記述がありました。メンデル(1822−1884)はオーストリアの人で、自分が司祭をつとめる修道院の庭でエンドウの遺伝実験をし、後世に残る遺伝の法則を発見した。しかしそれが脚光を浴びたのは、彼の没後(2000年)であったというようなことが書いてあったと思います。筆者はこのとき以来この問題に興味を持ち続けていて、1950年代にクリックとワトソンが「DNAの二重らせんモデル」を発表し、その業績によって彼らがノーベル生理学賞を受賞したとき(1962年)、これぞ世紀の大発見と大いに興奮したことを覚えています。この発見は、先人たちの遺伝に関する多くの「気づき」を基礎としてなされた大成果でした。そこには多くの研究者による多くの「気づき」があり、そこで得られた仮説が観察と実験と思索によって深化され、議論され、定式化され、論文としてまとめられ、学会に注目され、ついにはそれが専門外の人々にも理解され利用される知識となったのでした。

 このように、あらゆる科学の歴史は「気づき」の歴史であると言うことができます。ある事柄についての「気づき」がある人を訪れ、その人の心を占有します。彼または彼女はその「気づき」に気づき、それを客観的な立場から定式化し、他の人々に伝えようとします。そして専門家たちの間で議論され、それが確実な事実であることが認められると、そこに新しい科学が成立します。するとそれは一般の人々にも分かるような形に翻訳され、多くの人々の共有する知識となります。新しい科学はこのような「気づきの気づき」によって生まれます。そして新しい科学が今も続々と誕生しています。

 では、私たちの最大の関心事である言語についてはどうでしょうか。それもすでに19世紀末から20世紀にかけて科学として成立し、研究者たちは言語についてのさまざまな「気づき」を客観的に記述しようとしてきました。しかし研究が進めば進むほど新しい分野への「気づき」が広がり、その扱う範囲は無限に拡大するかのようです。言語研究はいまや宇宙物理学と並んで最も注目されている分野ですが、それらについて私たちの知りたいことは山ほどあるのに、現実の科学研究は私たちの期待にさほど多くは応えてくれません。外国語の学習と習得に関する問題についてはなおさらです。そこにはまだ多くの謎が存在しているのに、それらについての信頼の置ける本格的な「気づき」の研究はまだ始まってもいません。次回には、子どもにおける母語習得の「気づき」についての考察から始めることにします。(To be continued.)