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前回は、赤ちゃんが周りの人々の発する言葉を聞いて、それを理解するために必要な「気づき」の例を4つばかり挙げました。では、赤ちゃんはどのようにして話すことを学ぶのでしょうか。話すことは聞くことよりもはるかに難しそうです。最近の研究報告によれば、チンパンジーは人間の言語をかなりの程度まで理解し操作できるようになるが、話すことはできないということです。人間の赤ちゃんもまず聞くことができるようになってから(1歳の誕生日前後)、言葉らしきものを話し始めます。幼い子どもが話すようになるためには、少なくとも次の事柄に気づくはずです(Gattegno『前掲書』pp. 133–136参照)。

 (1)子どもは自分の身体に音声を作りだす部分(肺からの空気の流出によって活性化される器官)があることに気づく。

(2)彼らは自分の発する音声を自分の耳で聞くことができることに気づき、自分の意志によって、その二つの活動を関連づける。

(3)彼らは口から音声を発する活動と、それを耳で聞く活動が同時にでき、その二つの活動を区別することができる。

(4)彼らは口から発する音声を故意にいろいろと変化させ、耳でとらえる音声を意識的に変化させることができることに気づく。

(5)彼らは自分の意志によって、発する音声をいろいろと変化させ、それらが自分の意志に合致するかどうかを判断することができる。

(6)彼らはその活動の監視を、聞くときに関わっている自己(the self)の管理下に移す。こうして彼らは、聞くことと話すことの活動をたえず監視し、フィードバックすることができる。

(7)人が言葉を発するときには喉、舌、唇、歯、歯茎、口蓋、頬の筋肉などの身体部分を使用する。子どもはそれらの身体部分で作り出されるすべての音響スペクトルを探査することができ、その記録を脳にたくわえる。

(8)子どもはこれを遂行するための内的規準(inner criteria)を持っていて、それによって自分の作り出す音声のすべて(それぞれの音、音調、音色、強さ、長さ、音の連ね方など)に充分に気づくようにする。彼らは同時に、そのような研究に必要なのは自分自身だけであることを知っている。

(9)彼らは、他の人が何かの理由で発する音声(それはしばしば赤ちゃんの発する音声をまねたもの)を聞いて、それが自分の出し方を知っている音声であることを認知する。こうして子どもは、自分が上手に音声を作ることができることを発見すると共に、他の人も同様に音声を作ることができると知る。

(10)彼らは自分の出す音声から、他の人たちが出す音声へと注意を転換することができる。彼らはそのとき、それらを理解することはできるが、まだ自分で発することはできない。

(11)彼らは他の人たちの出す音声を分析する道具を創り出し、それらを注意深く使用することに専念する。その結果、耳から聞こえてくる音声が自分自身の出すものとは少し違っているが、結局は同じ音声であるという結論に達する。(このことは、彼らの発する音声が練習不足のためにまだ充分な正確さに達していないことを考慮すると、完全に納得できることである。)

(12)彼らは話すことを学ぶのに多くの時間を必要とする。彼らはまず、耳から聞こえてくる音声の客観的な特性を見出す必要がある。また、次々に現れる語の意味を探り当てなければならない。語の選択は恣意的なので、子どもは知覚を通して、それぞれの語の伝える意味を推量しなければならないのである。

 物事を正しく行うためには、私たちは慎重に、注意深く、徹底的に行わなければなりません。学習はすべてそうです。幼児の母語学習もそのように行われます。それぞれの一手を支配するのは「気づき」です。そしてその「気づき」が、以前そこにあったものを、新しいものへと統合します。こうして過去は現在に、現在はやがて訪れる未来に統合されます。話はやや飛躍しますが、人類の進歩もそのようにしてもたらされました。そこにはもちろん益となる遺産だけではなく、負となる遺産も含まれます。私たちは最近になって、そのことに気づき始めました。負の遺産を減らし、益となる遺産を増やすために、人間はさらなる「気づき」を必要としています。

 これまでの「気づき」はいちいち括弧付けにしましたが、ここまで来ればもうその必要はないでしょう。それは決して特殊なものでなく、私たちの日常の活動の中で頻繁に訪れるものです。私たちは何かに気づくことなく物事を学ぶことはないのです。そして自分が気づくことによって学んだものは、容易に失われることがありません。いちど自転車の乗り方を覚えると、しばらく乗らなくても、忘れてしまうことがないのに似ています。 (To be continued.)