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(136) 北の核—5

終章(1) ケネディの警鐘

 北朝鮮がどの程度の核兵器を保有し、どこに、どのように配備をしているのか、或いはまだ配備していないのかは、さだかではない。しかし、核兵器開発の歴史をふりかえってみると、開発開始からすでに20年を経ている北朝鮮が、相当数の核兵器を近い将来、実戦配備する可能性は極めて大きい。そうなった場会、私の耳には、葬送曲が聞こえてくると思う。誰にとっての? 多分、北朝鮮自身及び韓国、そして日本にとってであろう。私は、戦前・戦中の体験から、核兵器保有国となった北朝鮮が核戦争へ向かって暴発することが、ないとは言えないと考えている。

 太平洋戦争後これまでに、核兵器が「意図的に」使われそうになった事例は、明らかになっているだけで、最低4回はある。最初は朝鮮戦争の際の連合軍司令官マッカーサーで、彼は、北朝鮮軍・中国志願兵部隊の補給基地になっていた満洲への原爆攻撃を作戦の選択肢として本国に提案し、解任された。

  次ぎは、1962年のキューバ危機である。これについては多言を要しないと思うが、キューバのカストロはフルシチョフ首相にアメリカへの先制核攻撃を迫り、世界は米ソの全面核戦争の危機に直面した。アメリカのケネディ大統領は、その前年の国連総会で次のように警告している。「地球の全ての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いを馳せるべきである。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。か細い糸で吊るされたその剣は、事故か、誤算か、狂気により、何時切れても不思議はない。」 まさに人類の運命が核によって左右される時代になったと宣言したのである。

 らに、ケネディの後任であるジョンソン大統領、その後任のニクソン大統領がベトナム戦争を有利に終結させるため核兵器の使用を検討したことが、アメリカの公文書によって明らかにされている。つまり、事態打開のため、核兵器を使用したいという誘惑は常に存在する。また、ケネディがこの演説で触れた「事故」や「誤算」による戦争、いわゆる偶発核戦争(accidental nuclear war)の危険は現在も想定外とは言えない。

 北朝鮮についてはケネディのいう「狂気」が問題だ。核による戦争の抑止というのは、少なくとも関係国が正気で、合理的な思考の範囲内で行動することが前提になる。しかし、北朝鮮の現国家体制は、戦前・戦中の日本のそれに酷似し、「狂気」による暴発の危険性をはらんでいると、戦中派の私は感ずるのである。

 かって日本は、ロンドン軍縮条約や国際連盟からの脱退、ファシスト国家との3国同盟の締結などによって国際社会から孤立する一方、アジアの盟主と称して大東亜共栄圏の創生という独りよがりな妄想を描き、全く勝ち目のない戦争へ突入した挙句、悲惨な敗北を重ね、挙句の果ては、国民の犠牲を省みない本土決戦を企てるなど常軌を逸する行動をとった。

 こういう国に外からどんな圧力をかけても通じない。かえって強権体制の下に国民を結束させることになる。むしろ国民は強権体制を国家の強さだと錯覚し、自国に圧力をかけ経済制裁などで国民を貧窮に追い込んだ外国を鬼畜と思い込み、それに敢然と立ち向かう政府の下に欣然と結集するのだ。

 私の頭には今も戦時中の“愛国”標語がいくつも刷り込まれている。「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」と国家窮乏の責任を押し付けられ、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と叱咤され、「神州不滅」「七生報国」「大和魂ダテじゃない」「進め1億火の玉だ」と戦争に駆り立てられ、いつしかそれが自分たちが生命を賭けて進むべき道だと錯覚するようになっていった。こうして国民を戦争に駆り立てた指導部は、それによって自縄自縛となる。戦争
をしなければすまない状況に追い込まれていくのだ。特に指導者が未熟な場合は、そうなる可能性が高いだろう。

 どれをとっても、今の北朝鮮に当てはまる。私には、先軍政治の思想統制の下にある北朝鮮の人達の気持ちや生き方がなんとなく理解できる。特にかつて日本が朝鮮半島を植民地として強権支配した歴史を考えれば、何とか夢からさめてほしいと願わずにはいられない。狂気を狂気と感ずることのない狂気の中で、必勝の信念に燃え、一致団結して無謀な核戦争に突入する日が来るかもしれないと、軍国主義、つまり先軍政治下の狂気を知る私は慄然とせざるをえないのである。(M)