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「野党としての民主党はどうなるのか」
(1)先週のテレビの国会中継では、民主党の蓮昉議員の質問を視聴することが出来ました。彼女は党代表の海江田氏よりも迫力がああって、民主党政権時代の反省の上で、自民党政権の在り方を批判したり、要望をしたりしていました。しかし、答弁する大臣や安倍首相は何かにつけて、「それは民主党政権の時におやりになったことですよ」という言い訳が多かったように感じました。

(2)自民党は3.11 大震災の被災地救済が進まないのは、「民主党が被災地に関係のない地域に金をばら撒いたからだ」と言うのですが、蓮舫氏は、「そういうこともあったことを反省した上で、今なお続く予算の使用をストップさせることを要望したい」と主張していました。しかし、どうも関係大臣や首相の答弁は煮え切らないものでした。放射能の被災地の救援は特別に難しいことは確かですが、救済が遅れている理由を前政権のせいにするのは卑怯だと思います。また民主党も第2、第3の蓮舫氏を生み出す必要があるでしょう。

(3)福島の放射能を含む土壌の処理に関しては、4月27日の「TBS 報道特集」によると、汚染土壌の処分を引き受けた鹿児島県の南大隅町とその町長が、ある正体不明の人物の暗躍によって、おかしな事態になっているとのことでした。責任者である東京電力はもっとしっかり対応してもらいたいとも思いました。大勢の被害者がさらに犠牲にされたのではたまったものではありません。

「ジャーナリズムの在り方について」考えること
(1)私は60年も前の高校教師時代の教え子から、原 寿雄『ジャーナリズムに生きて—ジグザグの自分史85年』(岩波現代文庫、2011)という書物を最近貰いました。この本の帯には、「“全てを疑え!”“いい答はいい質問から”をモットーに生きたあるジャーナリストの足跡」とあります。文庫本ながら、250ページに近い内容で、ジャーナリズムの在り方を追求しています。昔の教え子から学ぶことのほうが多い昨今ですが、彼女はこの著者の研究グループに参加してテレビやラジオ番組の在り方を勉強しているとのことでした。

(2)最近、産経新聞が自社の主張として、「国民の憲法」要綱を発表して、様々な議論を呼んでいます。そのこと自体は民主主義国家として許されることでしょう。しかし、その狙いは私が「世相を切る!(その36)」で指摘した石原慎太郎議員の主張に近く、危険なものと思います。そもそも憲法というものは、政権が過ちや、行き過ぎを犯すことの歯止めとしての機能を持つものです。それを権力の都合のよいように変えられのでは、憲法の存在意義が無くなると思います。自民党の「憲法草案」にも同じような感じを持ちます。

(3)原氏の本には、様々な問題に直面してのジャーナリストとしての苦悩が書かれていますが、1954年のビキニ環礁での水爆実験で日本人の漁民が被爆した事件や、2005年にNHK が戦時中の“慰安婦問題”を取り上げた番組が、当時の自民党政権によって改変された疑惑があると報じた朝日新聞のことも論じています。これは政治権力のテレビ番組への介入だと批判する原告団の告訴によって、最高裁まで争われた事件でした。しかし、判決は政治的圧力の有無には触れずに、原告敗訴となったものです。この時の自民党の内閣官房副長官だったのが現在の安倍首相です。著者の原 寿雄氏は、「“安倍一族”とその権力に屈したNHK を黙認することになり、日本のジャーナリズムの今後に大きなマイナスの影響を与えるのは、残念だ」という趣旨のことを述べています(p. 220)。

(4)私たちは、安倍首相がこれまでどういう考え方で政治に関わってきたかをもっとよく知って判断する必要があると思います。しかも、こういう歴史的な経過は、中国や韓国の政治家には知られているということも認識すべきでしょう。日本をダメにするのは不況やデフレばかりではないのです。(この回終り)