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(141) 教育問題私見

Author: 松山 薫

(141)<教育問題私見> 松山薫

④ 教科書検定

  安倍首相は、2013年4月11日の国会で「第一次安倍内閣で教育基本法を改正し、教育の目標に、伝統文化の尊重や愛国心や郷土愛も書いたが、検定基準では改正基本法の精神が生かされておらず、検定官自身にその認識がない」と述べて、教科書検定の見直しに強い意欲を示した。

  安倍首相の言う検定官とは、文科省の教科書調査官のことである。高等師範時代の友人が調査官をしていた頃、文部省に彼を訪ねて教科書についていろいろ教えてもらったことがあるが、その時彼は、「調査官が内容に踏み込むことはない、事実関係の正誤を見るだけだ」と語っていたように憶えている。私は、検定が必要だとしても、それが限度であると考えている。なぜなら、それ以上は国家権力による言論・思想の自由に対する介入になるからである。もっとも、事実関係の正誤に手をつければ、内容が変わることもありうるから、簡単に割り切れるものではないだろうが、節度は守ってもらいたい。安倍首相や下村文科相は、どんな“精神”を “ 検定官”に“ 上から目線 ”で子供達に叩き込ませようとしているのか。

 学校教育法に基づいて行われる教科書検定の内容は従来全くのブラックボックスであったが、平成6年度の検定で、沖縄戦の記述の修正をめぐって批判が強まったことから、一部が公開されるようになった。現行の日本の教育体系の中では教科書は重要な位置を占めるから、民主主義の基盤である国民の知る権利を重視するならば、検定の内容は最大限公開すべきだろう。

  もう60年以上前のことだが、国電の大塚駅から学校のある茗荷谷まで、いつもは歩いている道を、めずらしく都電に乗ったことがあった。中ほどに日本史の講義を受けている家永三郎教授が重そうな黒いカバンを提げ、つり革に掴まって揺られているのが見えた。細身の体、透き通るような白い腕を見ているうちに、柔道着だけしか持っていなかった私は思わず近づいて、「先生、カバン持ちましょう」と声をかけた。私は左耳の聴力が低いため、いつも一番前の席で先生の講義を聴いていたので憶えておられたのだろう「ア、君ですか。大丈夫ですよ。有難とう。柔道やっているの、頑張ってください。」と言って眼鏡の奥の優しい目で笑われた。

  家永教授は1965年教科書検定裁判を提起するに当たって次のような声明を発表している。

「 私はここ一〇年余りの間、社会科日本史教科書の著者として、教科書検定がいかに不法なものであるか、いくたびも身をもって味わってまいりましたが、昭和三八・九両年度の検定にいたっては、もはやがまんできないほどの極端な段階に達したと考えざるをえなくなりましたので、法律に訴えて正義の回復を はかるためにあえてこの訴訟を起こすことを決意いたしました。憲法・教育基本法をふみにじり、国民の意識から平和主義・民主主義の精神を摘みとろうとする 現在の検定の実態に対し、あの悲惨な体験を経てきた日本人の一人としてもだまってこれをみのがすわけにはいきません。裁判所の公正なる判断によって、現行 検定が教育行政の正当なわくを超えた違法の権力行使であることの明らかにされること、この訴訟において原告としての私の求めるところは、ただこの一点に尽 きます。」

  家永先生は、その後、30年をこえる「教科書検定裁判」を闘われた。勝訴は地裁の1件のみであったが、この裁判は、その後の教科書検定に大きな影響を与えたといわれる。また、ギネスブックにも載るほどの長期間、言論の自由を守るために闘った業績に対し、ノーベル平和賞候補に推す動きもあったと聞く。

  家永先生が亡くなった時の新聞で、あんなか細い体でよく30余年の裁判闘争を闘い抜いたという趣旨の論評を読んだ。私は家永教授の闘いを支えたのは、声明文にもあるように、太平洋戦争への悔恨と二度と同じ過ちを繰り返してはならないという決意であったと思う。先生は旧制新潟高校の教授から戦争の終わる前年に東京高等師範学校の教授に就任しているから、多くの教え子を戦場へ送ったことだろう。先生にはまた、皇国史観に基づき「教育勅語」を礼賛した過去があった。この記事を読んで、私は、過ちを再び繰り返さない不退転の決意を秘めて理不尽な権力に立ち向かった先生の在りし日の温顔を偲んだ。(M)