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赤ちゃんの喃語をヒントに、私たちの英語発音練習について考えてみましょう。通常の英語の授業(特に初級段階)では、発音練習はたいてい先生や録音の音声を模倣することから始まります。これは生徒にとって正しい学習法なのでしょうか。もし生徒が英語の音韻システムの基本を身につけた後であれば、それは良い方法かもしれません。なぜなら、生徒は英語の音声を口から発する方法を知っており、自分の出す音声を耳から入ってくるモデルの音声と比較することができるからです。赤ちゃんも喃語の時期を過ぎた後では、他の人の出す音声を真似ることができるようになります。彼らは喃語の期間に、自分の口から出す音声をどのようにしてコントロールするかを学習したからです。

 しかし、英語の正しい音声の出し方を知らない小学生や中学生は、初めて聞く英語の音声を正しく真似ることはできません。なぜなら、それらの音声には、母語とはまったく違う性質のものが数多く含まれているからです。子どもたちの大部分は、確実に、それを正しく行うことに失敗します。しかもクラスで模倣練習を行うときは、その練習法には大きな落とし穴があります。それは、音の模倣に長けている生徒がどのクラスにも何人かいて、先生はそういう生徒を見てクラス全体がうまくやっていると誤解をすることです。そんなわけで、この単純な模倣練習が最も優勢な発音練習法となっているのですが、実際には、これは大多数の生徒にとって非常に有害な練習方法なのです。

 生徒が英語の音声を正しく模倣できるようになるためには、英語学習初歩の段階で英語の音韻システムを身につけることが肝要です。それにはどうしたらよいかを考えてみましょう。まず母音から始めます。実際には音節の単位で練習するので母音と子音を同時に扱うことになるのですが、ここでの説明の便宜上母音から始めます。まず母音日本語の「あ・い・う・え・お」の5つの母音に対して、英語の母音は非常に複雑で、少なくとも20個(単母音12、二重母音8)もあることに注目しなければなりません。大人の英語学習者は、まずこれらの母音を区別して発音し、聴き取ることができるようにする必要があるのです。

・英語の母音:see, sit, ten, cat, father, got, saw, put, too, cup, fur, about, say, go, my, boy, now, near, hair, pure. (注)Oxford Advanced Learner’s Dictionary (OALD) に示されている23の母音の中から20を選定。

 「あ・え・い・お・う」の5つの母音を区別することを学習した日本人が、中学生(あるいは小学校高学年生)になって英語に接するやいなや、いきなり20の母音を区別しなければならないのです。これは容易なことではありません。多くの人(教師も含む)が安易に考えているように、モデルを真似るだけで達成できるものではないのです。生徒の直面する事態は非常に深刻です。しかしこれまでの学校での指導では、英語の母音が20も存在することを生徒が知るのは、学習がずっと進んだ後になってからでした。英語の学習用辞書にはその辞書の用いる発音表記を詳しく説明しており、筆者は旧制中学生の高学年になって英語の母音が20以上もあることを知りました(もっとも筆者の中学生時代の大半は戦時中だったので、現在とは事情が違っていました)。

 赤ちゃんの母語の習得では、脳は与えられる事態に即して柔軟に対応しています。人間言語であるかぎり、赤ちゃんの脳はどんな言語音をも受け入れることができるように用意されています。そして喃語という、半年間にわたる長期の自己研修期間が与えられています。赤ちゃんはその期間に自分の出せる言語音をいろいろと試すことができるのです。これに対して、母語の基本を習得した子どもや成人の場合には、そのような悠長な研修は許されません。学ぶべきことがあまりにも多いからです。そして彼らの脳は、赤ちゃんの脳とは違って、格段に柔軟性を失っています。

 そういうわけで、20個の母音の区別は、英語学習初期の段階できちんと指導されなければなりません。その点に関して、これまでのわが国の英語教育は概して無頓着でした。「先生の口をよく見て、それと同じ口になるようにして真似てごらんなさい」というのではダメなのです。発音するのに肝心なところは外からは見えないからです。いちばん重要なことは、それぞれの生徒が、英語の20個の母音を区別することができる脳を創り出すことです。そのためには、英語の音声訓練のための特別な教材と方法が考案されなければなりません。これまでの中学校用英語教科書を見ても、学習すべき英語の母音の全体像を示してその区別を組織的に練習するというようなものは見当たりません。しかしそのような教材はすでに工夫されています。それを次回にご紹介しましょう。(To be continued.)