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(146)教育問題私見

⑧ 子供の学びの力−2

 子供達に読ませる本を選ぶ時に、私として是非加えてもらいたいと思う一冊がある。児童文学の名作と言われ、日本児童文学者協会賞、サンケイ児童出版文化賞、小学館児童文学賞を受けた竹崎有斐(1923~1993)の「石切り山の人びと」である。

 小学校高学年・中学生向けのこの長編小説は、日中戦争から太平洋戦争の末期を時代背景に、一人の多感な少年が、戦争が庶民の暮らしに及ぼす悲劇を体験し、戦争という異常な事態の中でも自分を見失うことなく生きようとする人達に接しながら、家族の絆や友情、地域の人達の助けで、何時の世にも変えてはならない人間としての真っ当な生き方を学び取っていく物語である。

 主人公の小学校5年生・阿能権六は、熊本の石組み技術集団、穴太(あのう)衆の末裔の家に生まれ、勉強が嫌いで授業中は居眠りばかりしているので本名をもじって「あほ六」と呼ばれる30人ほどの近所の子供達のガキ大将である。その子供達が遊び場にしている森に囲まれた丘の上の空き家に、ある日突然何十年ぶりかで持ち主の一家が戻って来た。一家の主は、陸軍参謀本部に勤めていた退役大佐で、30代半ばのその息子と、権六と同じ5年生の美しい一人娘が一緒だった。あほ六とその仲間は、自分達の遊び場を死守するため、ありったけのチエを絞って元参謀大佐の“じいさん”に敢然と戦いを挑む。

 この一家は「非国民」として近隣から村八分にされていた。息子が思想犯として四六時中、特高警察の監視を受けていたからだ。エリート軍人だったじいさんが退役して帰郷したのもそのためで、息子は特高の過酷な取調べで病気になり、娘の母親とは離婚していた。この一家との”戦い”の中で、権六とその腹心の二人の悪ガキは、真っ直ぐな3人の人柄と毅然とした生き方に惹かれていく。じいさんは、いつの間にか自家薬籠中のものとなった3人の少年に丘の中腹で山羊を飼うことを教え、町の雑貨屋の幼馴染を通じて山羊乳を食料不足や母乳不足で苦しむ町の人達に安く分配して、その売り上げを少年達の将来のために貯金してやった。特に権六少年にすぐれた学問の才能を見出し、勉学の方法を叩き込んで、“あほ六”は6年生では自分でも驚く優等生になっていく。

 その頃、権六の敬愛する石工の親方である父親と、先祖伝来の仕事場である「石切り山」には危機が迫っていた。土地の地主と土木会社が軍部と結託して、この山を丸ごと接収し、軍用飛行場の滑走路の敷石を機械で大量に掘りだすことを通告してきたのである。 権六の父親ら、「石切り山」で仕事をしている石工の親方衆は、組合を作って対抗しようとしたが、“聖戦完遂のためという錦の御旗”で次々と切り崩され、一人取り残された権六の父親は、悲憤のうちに、ハッパをかけ損ない、落石に頭を砕かれて死んだ。軍部という虎の威を借る狐たちに復讐しようとする権六を母は黙って抱きしめ、行商をしながら権六と弟を必死で養う。権六は、じいさんが山羊乳の売り上げを貯金してくれたカネで上級学校へ進むことになり、九州でも有数の旧制中学校に合格した。戦争が終わり、やがて土木技師となった権六が、父や仲間の石工達が石を打ち込んで作った川の護岸を一旦破壊して川幅を拡げる工事に参加し、万感の思いをこめてハッパのスイッチを押すところで物語りは終っている。

 この長編小説の後書きの中で、児童文学者の大石真(チョコレート戦争の著者1925~1990)は、「この作品の最大の魅力は、阿能権六やその仲間達、野生の自然児ともいえる子供達です。最近の児童文学は、都会中心になるにしたがって、こうした野放図な、活気溢れる子供を失ってしまいました。この作品を読むと、こうした子供たちを失ってしまった現代の不幸を考えずにはいられません。」と述べている。二人の児童文学者が世を去って20余年、日本の子供たちを取り巻く環境がますます悪くなっていることは明らかである。
  
 世界的には金融資本主義の行き詰まりと多くの国家の財政破綻、それによってもたらされた様々な格差と社会不安、これに対抗しようとする平準化の動き、さらには新興国の人口爆発による食糧、エネルギー危機と激化する争奪戦、一方国内では生産人口の急激な減少による先の見ええない経済と財政破綻による社会保障制度の崩壊、必ず来る大地震と原発災害など、内外の厳しい状況の中で、国際的には、超大国米中の谷間で咲くひよわな花(ブレジンスキー)になりかねない日本にとって、この国が近い将来立ち向かわなければならない諸問題を考えると、子供達の前途はきわめて厳しい。NHKが紹介した最近の調査によると、中学・高校生の70%が将来の社会に不安を持っているという。それは、今の子供達が、これまでの経験では対処不可能な難問題に立ち向かわねばならない予感があるからなのだろう。

 このような状況の下で、教科書で徳目を上から目線で子供達に教え込んでも何の意味もないことは、徳目主義教育の申し子であった私たち戦中派が、敗戦という未曾有の価値観の転換と混乱の中で身を以って知り、新しい価値観を求めてさ迷った悲劇的な歴史を思い起こせばはっきり分かるはずだ。今必要なことは、自分の頭で考え、自分の信条に基づいて行動する人間を育てる教育であり、教育の成果があらわれるには長い時間を要することを考えれば、早くベクトルを変えなければならないと私は痛切に思う。(M)