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(147) 教育問題私見

Author: 松山 薫

(147)教育問題私見

⑨ 不幸な予感

 大津市の中学生いじめ・自殺事件と第三者調査委員会設置、大阪市立桜宮高校バスケット部コーチによる部員への暴行・自殺事件それに橋下大阪市長の「くそ教育委員会」発言などで、教育委員会の“事なかれ主義、無責任体制、隠蔽体質”などへの批判が高まった中で、安倍内閣の教育再生実行会議が「改革提言」をおこなった。

 この提言の肝は、教育行政の責任者を今の合議制教育委員会から首長が任命する教育長に移して判断のスピードアップを図り、責任の所在を明確にすることだ。今後、中央教育審議会の審議にかけられ、政府は来年の通常国会で法律改正をする方針である。

 問題は、今まで以上に政治権力の介入が容易になり、教育の中立性が犯される危険があることだ。橋下大阪市長の言動や大阪府教育基本条例、府立学校条例の内容、最近行なわれた自民党教科書検定見直し部会の教科書出版会社への聴き取り調査などを見ると、これは杞憂ではない。日本出版労働組合連合会は、この聴取を「出版社への圧力である」とし「言論、表現、出版等の自由を蹂躙するものだ」と抗議している。政治権力が教育を支配し、一体となってファシズムを形成していった歴史を繰り返してはならない。

 私が新潟市の高校に勤めていた頃のことだ。ある晩宿直当番のため用務員室に顔を出すと、流しのところに立派な皿が積み上げられていた。数えてみると30枚あった。「宴会でもあったんですか」と訊ねると、「県の教育委員会の方が二人みえて、校長先生と話をしておられた」という。これはもはや接待を超えて供応であると私は思った。次の職員会議で「こういうカネは一体どこから出るのか」と訊くと「PTA会費」だという。「PTA関係で何か問題があったんですか」という質問には、「県教委との定期的な話し合いだから特に問題があったわけではない」という答えだ。「それにしても、3人で30枚の皿は多すぎるなあ」と慨嘆してみせると、皆がどっと笑い、校長も苦笑いしていた。

 教育委員会の形骸化や腐敗、堕落は、私もこのブログで何回か指摘した。私が新潟から静岡に転勤した際には、茗渓会(東京高師)と尚志会(廣島高師) の勢力争いが絡んでいたことも書いた。2011-4-16 学閥) 勤務評定制度の導入でこのような傾向は一層強まるのではないかという予感を持って教師を辞めたが、私の予感は当たったようだ。

 5年前に明かるみにでた大分県教委の教員採用や指導主事、校長、教頭昇進にからむ汚職事件は、まさにその象徴だが、教育評論家の尾木直樹の調査によると、このような悪弊は全国に蔓延しているという。民間人校長のはしりとして東京の杉並区立中学校長を勤めた藤原和博は、最近の週刊誌で「教員の間には出身大学や加入組合ごとの大きな派閥があり、序列が厳しく決められている。上からの覚えをめでたくするために、お中元やお歳暮を贈ることや、飲み会でのお酌も見慣れた風景です。忘れられないのは、校長と教育長が集まった宴席で人事権を持った教育行政トップの教育長の席にビール瓶を持った校長がずらりと列を成していた光景だ」と述べている。だから民間人校長を増やせというこの人物の主張には賛成できないが、発言の内容は、私が50数年前に新潟で見た風景と全く同じ、いやそれ以上ではないか。

  現在の各県市町村教委の教育長の性向についての兵庫教育大学の教育長アンケートの結果が先日の朝日新聞に掲載されていた。それによると、前例踏襲型の教育長が45%と最も多い。こういう教育長が首長の任命で教育行政の最高責任者という権力を持てはどういうことになるのか。

 教育委員会の改革が必要であることは、なにびとも認めざるをえないだろう。だが、安倍政権の教育再生実行会議が提言しているように、教育長を首長の任命制にすれば、むしろこの半世紀の間に骨がらみになった教育界の上意下達の体質と事なかれ主義を決定的にすることになるだろう。またまた、私は不幸な予感に襲われずにはいられない。(M)