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(148)教育問題私見

⑩ 終章 教育は何のために

 教育、特に初等・中等教育は何のためにあるのかについて私見を述べるまでに、9回のブログ投稿を要してしまった。それは、現在の教育が、私があるべきものと考えている姿とは大きく異なっているからである。半世紀前、勤務評定に反対して教師を辞めた時に感じた暗い予感が現実の姿になっているからだと言ってもよい。

 日本に教育委員会制度が出来たのは、1948年(昭和23年)、私が東京高等師範学校に入学した年だった。これは、アメリカ教育使節団の勧告で、layman controlの考え方に基づいて設立され公選制の行政委員会で、政治と教育が一体となってファシズム化を推し進めた戦前・戦中への根源的な反省に立って、教育の地方分権、民主化、中立性、安定性を図ることを目的とするものであった。それからわずか8年足らずの1956年には公選制が廃止されlayman controlの教育委員会は事実上消滅した。私が教師になって4年目のことだった。新潟市に転勤してほんのわずかの期間だったが、県教委の委員長の御宅にお邪魔して、新米教師の悩みを聞いてもらった上、「若いうちはそれでいいんだよ」という励ましの言葉さえいただいたことを懐かしく思い出す。

 短命に終った背景には、朝鮮戦争の勃発に象徴される東西対立の激化によるアメリカ占領軍内部の対立とニューディール派の後退があった(2011−7−2 病根①国家観)。アメリカ本国での“マッカーシー旋風”に歩調をあわせるように日本ではイールズ旋風が吹き荒れ、大學から小学校にいたる多数の教員が“アカ”のレッテルを貼られて追放され、代わって追放されていた戦前のリーダー達が復権した。イールズ旋風の始まりが、1949年の夏、新制新潟大學の開学式典でのGHQ民間情報教育局ウォルター・イールズ顧問の声明であった事は、それからしばらくして新潟大學のすぐ近くに下宿した私にとって感慨深い。

 アメリカ占領軍の方向転換に追随して、日本政府と与党は、いわゆる”逆コース”を歩み始める。教育委員会公選制の廃止もその一環だった。こうして、折角芽生えかけた”市民の、市民による、市民のための教育“の芽が摘み取られてしまったことを、今さらながら大変残念に思う。同時に、いつの日にか、この国の民主主義の成熟によって、公選制の教育委員会が復活することを切に願っている。

 このような私の立場からすると、教育再生実行会議の提言は全く容認できないが、教育委員会の現状からして改革が必要であることは十分理解できる。1980年代の初めに東京の中野区で実施された“準公選制”のような教育委員会が望ましいが、自民党、文部省の圧力と住民の教育委員会への無関心で4年間でつぶされてしまったことを考えると、現在の政治・社会情勢の下では無理だろう。今の私には、教育委員会の制度設計をするだけの知識はないので、教育専門家らによる2つの提案を紹介したい。

 大津市のいじめ・自殺事件の第三者調査委員会の委員として報告書をとりまとめた教育評論家の尾木直樹は、教育委員会の改革について次のような提言をしている。

1. もっと現場の声を聞け  ○ 書類を半減せよ ○ 研修制度を見直せ
2.教育にもっと金を出せ  ○ 教育予算を増やせ ○ 現場の創意工夫を認めろ
3.教育委員会は全力で教師をサポートせよ ○ 教職を魅力ある仕事にせよ
4.風通しのよい委員会にせよ ○ 情報公開をもっと積極的に ○ 教育委員にもっと普通の市民を ○ 教育委員会に対する評価制度を確立せよ
5. 議会からはきっぱり分立せよ ○ 政治との一体化を避け圧力に屈するな

 また、滋賀大学の佐和隆光学長、慶應義塾大學の片山善博教授(前鳥取県知事)らで作る「日本の教育を考える10人委員会」の提言は次のようなものである。

1.教育委員会は(1)指揮監督(2)オンブズマン的役割(3)教育方針・施策の検討、決定の3つの役割を遂行すること
2.首長及び地方議会は、教育委員の選任について説明責任を果たすこと
3.教育委員会の開催・活動の頻度を高め、それに見合う処遇をすること
4.教育委員会が学校現場を知る機会や教職員、地域住民と対話する場を拡充すること
5.教育委員会の活動内容について積極的に情報発信すること
6.教育委員会事務局の専門性を高めること
7.教育委員会事務局の学校支援機能を高めること
8.首長及び地方議会は教育委員会の意見を尊重して予算を編成すること

 これら2つの提案は、いずれも教育委員会の基本的な役割に、学校への支援、そのための教育現場や地域住民との対話を含めており、その点が、学校の管理監督に偏重した現在の教育委員会や、それをさらに推し進めようとする教育再生実行会議の提案とは方向性が異なる。

 私自身は勿論上記2提案のどちらにも満足しているわけではない。なぜならば、私は、教育の中核は、子供達と子供達に日々接する教師でなければならないという意見であり、教育委員会はもとより、文科省も地域住民も、この中核をサポートする役割を果たすものでなければならないと考えているからである。学習院大学の佐藤学教授によると「教師が教科書を選べない国、学校で予算が自主的に決められない国、学校でカリキュラムが自主的に決定できない国、学校で人事が決定できない国」は、先進国の中では日本だけだという。文科省中央教育審議会の答申は、“優れた教師の条件”の第一として「教職に対する強い情熱」を挙げているが、自ら何も決められないような閉塞状態をつくっておいて、自分の仕事に強い情熱を持てと言っても、それは木によって魚を求める類の自己矛盾ではないのか。

 最近の「週刊朝日」(2013−6−28号)によると不況時には安定志向で増えるといわれていた教員養成系大學や教育学部の志願者がここ3年大幅に減少している。原因はいろいろあるようだが、要するに教師は若者にとって魅力ある仕事ではなくなったということらしい。また、前述の尾木直樹も、5年前の著書「教育破綻が日本を滅ぼす」(ベスト新書)の冒頭で、”教員免許10年更新制“の導入などで今後教師を辞めていく人が加速度的に増える上、教師という職業の入り口にさえ来ない若者も増える事態が予測されると述べている。政治権力は、”角を矯めて牛を殺す愚”をおかしているとしか思えない。

 こういう中で、自主性のある教師が育つことはありえないし、自主性を欠く教師が、「石切山の人びと」のような真っ当に生きる人間を生み出せるはずもない。現在の子供達がこの国を支えるようになるこれからの半世紀、日本は人口の急激かつ大幅な減少という、かつて経験したことのない社会的大変動に対処しなければならない。日本をとりまく情勢も米欧中心だった20世紀とは大きく変わっていくだろう。自ら考え、自らの信念にしたがって行動する人間を育てなければ、「日本は米中の谷間に咲くひよわな花になるだろう」というブレジンスキーの予言が現実のものになるのではないかという不幸な予感が頭をよぎる。もっと悪いことに、そうならないために、再び経済大国、軍事強国の夢を追って独裁的指導者を求める風潮が生まれるのではないか、いやすでに生まれつつあるのではないかという不安を拭い去ることが出来ない。(M)