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これは前回の「言語学習の諸相」(8月29日)で述べたものの続きです。

日本人の英語学習が全般的に成功していると感じている方は少ないでしょう。多くの方々は、中学・高校、さらに一部は大学まで何年間も英語を学んだのに、会話もできない、新聞も読めない、手紙も書けないと嘆いていらっしゃる。英語教育の専門家の多くも日本の英語教育にはいろいろな面で問題があり、思い切った改善が必要だと考えています。私も専門家の一人としてその通りだと思います。いろいろな改善の仕方が提案され、その一部が議論され考慮されたことはありますが、どの問題も徹底して議論され実行されたことはありません。ですから日本の英語教育はこの数十年、部分的には望ましい変化も見られはしますが、全体的にそれほど改善されたようには思えません。事実、最近の高校生や大学生の英語の学力は以前よりも低下しているというデータもあります。

そこで英語教育改善についての私自身の見解を簡単に述べさせていただきます。これまでの改善提案の多くが、教育や指導をする側からの論理(つまり、文科省や教育委員会や学校運営者の観点)からなされていたのに対して、私は英語学習を学習者の手に戻そうという、かなり過激な「自律学習」への変革を目指しています。それは教育行政者・実際の教育担当者すなわち教師・そして学習者、の三者の意識改革を必要としていますから容易なことではありません。しかし、私の知る限り、ヨーロッパ諸国(特に北欧諸国)や米国の一部ではすでに実行され、実績をあげているものです。ですから空論とは思っていません。私の生きているうちに日本で実現するとは考えていませんが、その芽くらいは見てから死にたいものだと思っています。

英語に限らずどの外国語も、その習得は普通の日本人にはたいへんに難しいものです。特に留学もせずに日本でそれを達成しようとする人はそうです。そしてその習得に成功した人は、ほとんど例外なく、大変な努力をしています。学校で学んだだけで十分だったなどという人はいないと言ってよいでしょう。もしいたとしても、その人は学校外で人一倍の自主学習に励んだに違いありません。一般に、学校は基礎を教えるところです。学習者の側から言うと、発音や語彙や文法の基礎と、聴き方・話し方・読み方・書き方の基礎を学ぶところです。それをしっかりと脳に刻みつけ、必要に応じて使う技能の大部分は自己の責任において遂行すべきことです。ですから、学校で6年間、8年間英語を習ったのに全然使い物にならないというのは、自律性を欠いた学習者の「言いがかり」にすぎないのです。そう言うと、これまでの学校教育を弁護しているように思われるかもしれませんが、そうではありません。学校は個々の学習者の必要とするすべての知識や技能を授けるところではありません。そう考えている人があるとすれば、学校関係者も学習者も、まずそこから意識を変える必要があります。英語の学習は、他のすべての教科の学習がそうですが、学校は生涯学習の場の一部なのです。(土屋澄男)