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(161)オリンピック

① オリンッピックとナショナリズム

 2020年のオリンピック夏季大会の東京開催が決定した。マスメディアは、日本中が祝賀ムードに沸いているように伝えているが、本当にそうだろうか。少なくとも明日の生活に追われている人達の多くにとっては、どうでもよいことなのではないか。また、今の日本には、オリンピックより先に解決しなければならない重要な問題が山積していると考えている人達も大勢いるはずだ。汚染水問題で事実上禁漁を強いられている福島の漁民はどう考えているのか。スポーツやお祭り騒ぎに無関心な人達がいても不思議はない。それが、多様な価値観を尊重する民主主義社会の当然の姿である。私自身は、オリンピック開催の意義は十分理解しているつもりだが、(2012-6-9 オリンピック 取材余話)、東京開催がこの国に何をもたらしたのかを7年後に検証するまで、単純に喜ぶことはできない。

 私が今最も気がかりなのは、「強い日本を取り戻す」として国家主義的な傾向を強めている自民党政権が、オリンピックを、異論を排除し、挙国一致体制をつくりだすために利用するだろうということだ。自国の選手を応援するのは素朴な国民感情だが、それをどこかで巧妙に操るものがいると考えておいたほうがよい。日本選手が活躍し、日の丸が掲揚され、君が代が吹奏されれば、多くの国民が素直に、或いは熱狂的に感動し、現在残っている、日の丸、君が代の国旗、国歌制定の不公正な経緯に対する基本的な疑問もどこかに吹き飛んでしまうだろう。

 私は、ニュース映画で見たベルリン・オリンピックで、ハーケンクロイツのドイツ国旗が乱舞し、ハイル‐ヒトラーの声が鳴り響いた光景を忘れない。ナチスはベルリン・オリンピックを最大限に利用して、民族浄化を強行し、異論を排除して国論を統一し、それを背景にして独裁を強化し、ワイマール憲法の人権条項を停止することで事実上骨抜きにして、第2次世界大戦へ向かったのである。

 安倍首相の近著「新しい国へ‐『強い日本を取り戻すために』」の中に、「ナショナリズムとは何か」という一章があり、その冒頭は「日本が輝いたときー東京オリンッピック」となっている。小学校の4年生だった安倍少年は、オリンピックでの日本選手の活躍を見て、世界の中で小さな国だと思っていた日本が、世界に向かって存在を誇示していることを誇らしく思ったと述懐している。つまり、彼の中ではこの時からずっと、オリンピックはナショナリズムと結びついている。この本の中で彼はナショナリズムを“民族主義”と訳しているが、nationalismの第1義は、国家主義或いは国粋主義であり、民族主義と訳されるのは、植民地などが国家として独立を求める場合の用語である。いずれの場合も国家第一主義であることに変りはなく、事実この本は彼のいう「強い国を取りもどす」とは、国家を第一義にすえた国作りの推進である。オリンピックがそのために利用されることは間違いないだろう。

 
 それにメディアが拍車をかけることになりそうな情勢である。4年前の招致運動の際には、150億円近い招致費の乱用や経理書類の紛失などメディアにも、何故今オリンピックなのか、何故名古屋や大阪はだめで東京なのかという批判がみられたが、今回は、東京都民の支持率が70%を超えた頃から、メディアは挙げて東京招致の応援団と化した。私はここに日本のメディアの本質を見る気がする。日本のメディアの特色は、共産圏の政府系新聞を除くと、他に例を見ない大部数を発行していることだ。それゆえに、国民の意向が一定の方向に動き出すと、それに逆らえば存立の基盤がゆらぐ。世論に迎合せざるをえなくなるのである。NHKは視聴料が基盤だから尚更そうなる。それらのメディアに登場する有名人士からお笑い芸人まで、その空気を読めなければ、お呼びがかからなくなるから、迎合的になる。こうして異論は押し流され、気がついたらもはや傍観者は”非国民“、反対者は”国賊“と呼ばれかねない事態になっているかもしれない。それは、言うまでもなく”いつか来た道“である。

 リオデジャネイロでの記者会見で、安倍首相は、福島原発での汚染水漏れについての外国人記者の質問に、両手を胸のところまで挙げ、それを山なりに両側に下して、英語で”under control “と答えた。The fire is now under control. と言えば、”鎮火した”という意味だ。国民は誰もそうは考えていないだろう。この発言が招致の決定的要因だったという報道はあったが、少なくとも当日、「おかしいのではないか」と疑問を呈した報道は見当たらなかった。わずかに、NHKTVニュースの中で、付けたしのように、漫画家のやくみつるが、それならそうと安倍首相は、まず国民にきちんと説明すべきだとの述べているのを見たが、私も同感だ。安倍首相はウソをついて、オリンピックを招致したという疑いが拭えない。

 文芸評論家の斎藤美奈子は「この半年、『国威発揚』『翼賛報道』に近かったのは、東京五輪招致報道だ。反対者は非国民扱いされかねない勢いだった。」とふりかえり、東京招致決定で、メディア挙げての祝賀報道によって、反対者はさらに抑圧されるのではないかと懸念している(朝日新聞9月10日「戦後68年の夏」)。この国の民主主義の基盤を根底から覆しかねない危険な状況の兆しだと私は感じている。 (M)