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(163)参院選管見−これからどうなる

④−7 安全保障−外交

 安倍首相は、26日、国連総会で一般討論演説を行ない、「日本は“積極的平和外交”に乗り出す”ことを表明した。”積極的平和外交”というのは首相が最近安全保障問題に絡んで使い出した用語だが、内容はよくわからない。英文textでは Japan will newly bear the flag of “ Proactive Contribution to Peace “. となっている。newlyと言っているから、これまで日本政府が推し進めてきた平和憲法に基づく外交を一層強化することとは異なるようだ。

 1956年の暮れに日本が国連に加盟を認められた翌年、岸内閣の下で発行された最初の「外交青書(わが外交の近況)」は、日本外交の基調として ① 国連中心主義 ② アジアの一員としての立場の堅持 ③ 自由主義諸国との協調 の3原則を掲げた。これは日本国憲法の基本精神と完全に一致していた。3原則は、この憲法が国連憲章の精神を引き継いだものだから当然のことであった。歴代の政権が、真摯にこの3原則に沿って外交を展開していれば、日本は世界に信頼される国になっていただろう。自民党政権にしてみれば、色々事情はあったろうが、現実にはそうはならなかった。

 現実にはどうであったのか。元外務省国際情報局長で元防衛大学校教授の孫崎享は、「戦後の日本外交を動かしてきた最大の原動力は、アメリカからの圧力と、それに対する“自主路線”と“追随路線”の相克だった。」の述べている(戦後史の正体 創元社)。この著者によると、自主路線派は、重光葵、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、田中角栄、細川護煕、鳩山由紀夫の各首相であったという。これらの首相は、吉田茂に始まるいわゆる保守本流ではなかったから、日本の外交は大筋として”対米追随路線“であったということになる。私はNHK国際局に在勤中ほぼ毎日、膨大な外国通信社の原稿を読んで世界情勢をwatchしたが、特に、Washington発のby-line(記者の署名入り原稿)に注目していた。日米貿易交渉などの記事を読みながら、どうして日本側はこうも弱腰なのかと情けない思いを抱かざるを得なかった。  孫崎は、貿易交渉に当たった大蔵省の担当者の話を引用して「アメリカとの交渉で、今度は勝てるかもしれないとがんばる。とたんに後ろから矢が飛んでくる。首相官邸からだ。『もうそれ以上はやめておけ』というのだ。そんなことが何回あったか分からない。」と回顧している。そうした中で、アメリカ側が“tough negotiator(手ごわい相手)と認めたのは、私の知る限り、小沢一郎だけだった。小沢は自主路線派の田中派の番頭格であり、国連中心、アジア重視を外交の基本としている。

 吉田茂が言うように、敗戦国が占領軍に反抗することは事実上不可能であった。占領軍総司令官のダグラス・マッカーサーは、日本の軍国主義を根絶し、自由主義陣営における民主主義国家のモデルに育て上げるという方針を、朝鮮戦争の勃発によって放棄し、日本政府に事実上の再軍備を命じた。保守陣営の復古組や旧軍グループがこれに同調し、日本はアメリカの世界戦略にがんじがらめに組み込まれていくことになる。アメリカは都合のよいときだけ都合のよいように国連を利用し、大体は無視、場合によっては脱退の脅しをかけてきたから、アメリカに追随する日本の3原則の ① 国連中心主義 は破綻する運命にあった。

 朝鮮戦争の休戦後、アメリカは、中国の影響力が東南アジアに及ぶことを恐れ、1954年この地域の親米政権に東南アジア条約機構「SEATO」を結成させた。いわゆる共産主義“ドミノ”への対抗策であったが、東南アジアの中心部に位置するインドシナ半島は、ベトナム戦争で、中国の支援を受けたホー・チ・ミンによって制圧された。この結果、アメリカの対ソ戦略の一環であった日米安保条約は、中国封じ込めの手段となり、現在に至っている。これによって、3原則の ② アジアの一員としての立場の堅持も難しくなった。

 こうして残ったのは、③ 自由主義諸国との協調のみとなったが、その中核は、アメリカの外交・軍事戦略への隷属に他ならず、アメリカ追随外交は、「日米同盟の深化」という名の下に、その度合いを強めつつ、敗戦後70年近い今日まで続いている。その象徴ともいえるのが、イラク戦争における小泉政権の事実上の”参戦“であった。日本政府は、湾岸戦争で130億ドル(1兆円)という膨大な戦費を負担しながら、「カネでアメリカの若者の血を買うのか」と痛罵され、この後遺症によって、アメリカのイラク侵攻に当たっては、”Show the flag ! ”, “Boots on the ground!”という脅し抗するすべもなく、自衛隊を事実上の戦闘地域へ送ることになった。戦後日本人の精神的支柱になってきた「不戦の誓」はこうして崩れ、平和外交もまた、ご都合主義のお題目となった。本来の平和外交とは、不戦憲法の下に、外国に脅威を与えない平和共存を旨とするものであったはずだ。

 こうした歴史的経緯の中で出てきた「積極的平和外交」という概念が、自衛隊の海外での活動の積極化と結びついていることは間違いないだろう。安倍首相は国連演説の前日、ニューヨークの講演会で、集団自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更に触れ、その中で「私の愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している」と述べている。つまり、自衛隊をアメリカ軍の友軍として世界各地へ派遣することを前提にした外交を考えているのではないか。国会の議論もなく、国民の同意も得ずして、このような国際公約をすることは許されないと私は思う。先のIOC総会での「汚染水をめぐる状況はコントロールされている」という先走り発言に続く暴走発言ではないか。(M)