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これからどうする マクロの展望

<経済大国から人権大国へ> 

 ③−人権は守られているか 

 3.欠乏からに自由

 フランクリン・ルーズベルトの4つの自由の第3「欠乏からの自由」とは、貧困や飢餓からの脱出のことで、第4「恐怖からの自由」とあわせて「人間の安全保障」と呼ばれ、国家の安全保障に対して、個人としての人間の人権をまもることを意味している。2つの「安全保障」が相克する時、常に前者が優先されてきた。「強い国」を標榜して安倍政権が「国家安全保障」を優先させ、民主、人権、平和の3原則を軸とする憲法を変えようとしている今、本当にそれでよいのかが国民に問われている。

 日本はアメリカ、中国に次ぐ世界第3のGNPを有する経済大国ではあるが、「人間の安全保障」という観点から見ると、経済大国が即人権大国でないことは中国の現状からも明らかであり、”日本株式会社”と称される日本の経済・社会体制もまた多くの問題を内包している。特に新自由主義の競争原理によって人間が企業の道具として扱われるようになって、この国の「人間の安全保障」は危機的状態にあるように思う。

 その典型がいわゆるブラック企業である。これについてはすでに何回も触れているので多言しないが、マネー資本主義の下で利益至上の熾烈な生き残り競争が続くかぎり、ブラック企業はなくならないし、利益のためなら何でもありという風潮は、安倍政権の企業優先の政策によってますます助長されるだろう。労働組合の「連合」は、遅ればせながら最近、大手紙に意見広告を出し「安倍政権の”世界で一番企業が活躍しやすい国を創る“という成長戦略は、即、”働かせ方、やめさせ方の自由化“につながり働く人の90%を占める被雇用者を直撃する」と主張した。しかし、政府に頼って賃上げ要求をするような労働組織に反撃の力があるとは思えない。

  利益至上主義は、先ごろから芋づる式にぞろぞろ出てきた高級ホテルのメニューや一流デパートの食材表記の“偽装”に、その一端を露呈している。偽装ではなく誤表記だなど強弁しているところもあるが、それなら何故全て、高いものが安い方へシフトしているのか。安いものを使って利益を上げるという過当競争の中の必然的結果であることは誰の目にも明らかだ。予算が足りなくて常温扱いになったというヤマト運輸や日本郵便のクール宅急便事件も同根だ。利益を求めて過当競争の末の必然だから、これらの事例は氷山の一角にすぎず、日本の病根であると断言できる。この病根が「人間の安全保障」を蝕んでいく。

 「人間の安全保障」のうち「欠乏からの自由」には、食料と燃料それに住居の量と質の確保が根源的に必要だが、食料の60%を海外に頼る日本の食の安全は、果たして本当に確保されているのか。レーチェル・カーソン(「沈黙の春」の著者)が生涯を賭けて告発し続けたアメリカの農薬汚染はいまや全世界に広がっている。スーパー最大手のイオンは2010年度食材の80%を重金属汚染などで安全性に疑問のある中国から調達したという。TPP交渉の結果によってはアメリカの遺伝子組み換え食品が堂々と輸入されることもありうるだろう。原産地表記のごまかしや、あいまい表示も跡を絶たないから、消費者個人には防衛のすべがなく、「人間の安全保障」が脅かされている。

 また、TPP交渉で日本政府が聖域だとしていたコメの関税問題は譲歩が決定的になった。。ミニマムアクセス米に加えて主食用のコメを輸入すれば、日本の農業特に稲作は壊滅的な打撃を受ける可能性が強い。日本のコメは農協(全中)の米価吊り上げ政策や農地転用への抵抗で高値になり、消費者のコメ離れの要因になった。この根本を正さずに、外圧で市場を開放すれば、悔いを千載に残すことになりかねない。弥生時代以来日本人はコメとともに生きてきた。コメの衰退は、食生活だけでなく、日本の文化や風土に取り返しのつかない悪影響をもたらす。

 次に、エネルギー資源については、日本は96%を海外に依存しているが、世界の資源獲得競争は激しさを増し、価格は高止まりしている。ガソリンなどは私が車を運転していた10年前の倍近くになったままだ。今年上半期の貿易収支の赤字は4兆6千億円で過去最高、所得収支を併せた経常収支の黒字幅も年々縮小しており、日本が外貨を稼ぐ力は衰えている。食糧やエネルギーは輸入すればよいという政策は早晩破綻するかもしれない。それで政・財・官・学が一体となって核燃料サイクルの研究開発に邁進してきたのだが、福島原発の事故を契機に、その裏側に隠されていた数々の問題が明るみに出て、いまや国民の70%が脱原発に傾いている。これは原子力利用に伴う巨大なリスクに対する「人間の安全保障」の要求だが、政・財・官の鉄の三角形は民意を無視して再び原子力依存を強めようとしている。

 食料、エネルギーに次いで重要な土地と住居についてみると、大都市圏への人口集中の結果、地方では空き家が170万戸も生じた一方で、都会の一戸建ては「猫の額にマッチ箱」が常態化した。東京の空中写真を見ると、地震が起き、火事になったらどうなるのかと慄然とせざるをえない。雨後のたけのこのように建ち並ぶ高層住宅群も無事ではないだろう。バブル経済時代に太平洋ベルト地帯の人口密集地には大量の集合住宅が建てられた。私自身そういう団地のひとつに住んでいるのだが、多くは、その後改正された耐震基準(震度6弱対応)を満たしていない。耐震工事をしようにも、住民の高齢化で、工事費が賄えない。首都直下地震や東海地震、東南海地震などで震度7クラスの地震に見舞われたらひとたまりもないだろう。もっとひどいのは都会のアパートである。6畳2間の木造アパートの駐車場に何百万円もする高級車が停めてあるのを見ると、この国の経済、社会のゆがみを感ぜざるをえない。

 一見「欠乏からの自由」は確保されているように見える今の日本は、一皮むけば、危うい橋の上を渡っているように私には思える。(M)