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(180) 21世紀への遺言状

私説 − 人権大国への道

< 総論 >

 昨年、この国の人権状況について、4つの自由と関連させて私見を述べ、安倍政権の下で、”戦後レジームからの脱却“つまり戦前回帰の動きが強まり、自由・人権がますます圧迫されていく可能性が強いことを論じた。今年は、集団自衛権の容認による実質的な憲法9条の骨抜き、さらには国民投票法の改正によるいわゆる自主憲法制定への動き、また、これらの政策と表裏一体の愛国心を刷りこむ教育政策の強行が予測される。一方で、戦前の治安維持法を思わせる特定秘密保護法の強行採決や年末の安倍首相の靖国神社参拝に見られる安倍政権の独善的強権体質に対する国民の反撥も強まってきた。日本は今「国のあり方」をめぐって戦後最も重大な岐路に差しかかっており、多くの国民が否応なく自らの望む国について考えざるをえない機会が増えてくるものと思われる。そこで、私も、残り少なくなった戦争体験者の一人として、私が望む21世紀の日本の姿について私見を述べてみたい。私の望む国は、安倍自民党や橋本維新の会などが目指す「経済・軍事大国」ではなく「人権大国」であり、そこでは「自由」と「公正」が社会を支配する原則となる。また、そこに至る道標は、「競争原理」ではなく「創造原理」であると私は考えている。

  現在の日本の社会を覆う悲劇的な様相は(それは、globalizationという化け物によって、程度の差こそあれ多くの国に共通のものになっているが)新自由主義的競争至上主義によって生ずる異常な格差、競争至上主義に伴う自己責任の強調による所得再配分機能の衰退の結果である異常な格差の固定化から生じている。このままだと、現在の働き盛りの人達が、後期高齢者になる30年後から50年後には、悲劇は破滅的なものになりかねない予感がする。そういう予感は私だけではないだろう。各種の世論調査によると、60%から70%の日本人が将来に漠然たる不安を抱いている。中高年は勿論、若者でさえ半数が未来に不安を感じている。

 「経済が上向けば万事好調を装う日本社会。しかし、その先には幾重もの闇が広がっている。食と農を疎かにし、ものを崇め、原子力エネルギーに突っ走り・・・負の部分を見ずにすべて先送りしてきた。その当然の報いが待ち受けている」 これは野坂昭如の近著「終末の思想」(2013:NHK出版)のカバーに印刷されている文章で、彼自身はこの本の最後に、「その都度決着をつけてこなかったこの国は、結局何が豊かなのか判らぬまま、滅びようとしている」と述べている。また、野坂と同年の作家澤地久枝は「日本はこれまで大国的悪を捨てきれず、もう一度あの”繁栄“をと願い国家財政の赤字もなんのその、教育をかえ、内容のない大国を目指してきた。それを否認するところからはじめたい。・・・劣悪な資本主義を捨てる。人権を第一義におく政治を目指す。それが世直しの基本になる」と述べている。( これからどうする‐未来のつくり方 岩波書店)

私もそうだが、戦前、戦中、戦後を生きてきた人達の多くが共感を覚えるのではないか。

 戦後生まれの先頭世代と自称する評論家で日本総合研究所理事長の寺島実郎は、佐高信との対談集「この国はどこで間違えたのか」の中で「戦後民主主義教育を受け、経済の右肩上がりの時代に学生生活を送り、社会人としての前半を『戦後の復興から成長へ』というプロセスの中で生きてきた人間が、戦後と言う時代を背負って次にどういう時代を作っていかなければならないのか、ものすごく重い責任と使命を持つべきだったのに、まったく世代的役割り意識を見失ってしまった」と自省している。今、老境に達しつつある団塊の世代に、自ら生きた戦後日本の来し方を振り返ってこういう苦い思いを噛みしめている人達は少なくないだろう。

 一方、若い人達はどう考えているのか。元旦の深夜にNHKEVで「新世代徹底討論‐この国のかたち」という特別番組が放送された。「永続敗戦論」の白井聡ら、30代の学者や社会活動家、企業家、ジャーナリストらが参加して、彼らが望む国の姿について意見を述べ合ったのだが、説得力のある意見はほとんど聞かれず、最後まで意見は拡散を続けた。それだけこの国の混迷は深いのだろう。

 亡くなるまで10年にわたって文芸春秋誌に随筆「この国のかたち」の連載を続けた”国民的作家“司馬遼太郎は、日本及び日本人について次のように結論づけている。「日本には農村的現実主義というものがあるだろうと思います。これが今まで日本を保たしてきたものだと思うんですけど、つまり農村で庄屋さんが言うことだからしょうがないとか、最善の考え方ではないけど、実際問題として周囲がそうなっているんだからまあいいだろう、という現実主義です。これはやはり、稲作農耕を基盤にしている国の政治意識だと思います。また来年になったら稲が生えてくるんじゃないか、という気楽さにも通じます。」( 対談集 歴史を考える‐文春文庫 )

 たしかに日本人はこれまで、そのようにして生きてきたし、今もそうである。しかしもはや、それではすまないところに来ていると私は思う。野坂の言うように、すべてを先送りしてきた“つけ”を払わなければならない時が近づいている、引き返すにはあまりにも遠くへきてしまってから、気付いても手遅れだ。考えるなら「今でしょ!」と言いたい。

 21世紀に生きる日本人への遺言状として、こういう国としての生き方もあるのではないかという私なりの道筋を書き残して、皆さんが自らの「望ましい国」を考える際の参考に供したい。

( 所与の条件 )

 日本で日本人が生存する上で、少なくとも数十年は変わりえない条件がある。つまり、この国は、そういう条件の下で生きていかねばならいのである。私の考えでは所与の条件は、下記の3条件である。

1. 人口問題  2.資源問題  3.国土と隣国

これらの3条件について資料をもとに私見を述べた後、私の望む「人権大国」が満たすべき条件とそれに至る道筋につて各論を述べていきたい。

( 各論 )

1. 自由と公正の尊重 日本株式会社からの脱却

2. 競争原理から創造原理へ 新自由主義からの脱却

3. 個別・集団自衛権からの脱却 国連中心への回帰

4. 新たなるパラダイム 共生社会の創造

5. 50年後の「人権大国」日本を思う 

(M)