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(182) 人権大国への道

Author: 松山 薫

< 人権大国への道 >

 所与の条件 

① 激減する日本の人口と世界の人口爆発

 日本は1968年、つまり、今からほぼ半世紀前、当時の西ドイツを抜いて、アメリカに次ぐGNP世界第二の経済大国になった。この年、年率10%を超える高度経済成長のシンボルとして、日本最初の超高層建築「霞ヶ関ビル」が完成した。新橋駅から内幸町のNHKへ通っていた私も、日々このビルを仰ぎながら、戦後の焼け野原を知る者として、よくぞここまで来たものだと率直に嬉しかった。

 50年後の今日もなお、大国であり続けたいという願いが、自民、維新のような復古調の政党のみでなく、国民の間にもあることは否定できない。しかし、大国の定義が従来のように、巨大な人口や広大な領土、膨大な資源や工業力、それに軍事力の、ひとつ或いはいくつかを持つ国という意味であれば、日本が大国であり続けることは事実上不可能である。イギリスのエコノミスト誌による「2050年の世界の予測」によると、世界のGDPに占める日本の割合は現在の6%弱から2%弱になる。エコノミストは、その時のGDP大国は中国が1位でアメリカが2位と予測している。中国のGDPは2010年に日本を抜き、その後僅3年で日本の倍に達した。2013年には、年間貿易額でアメリカを追い抜いた。

 日本が経済大国から滑り落ちる最大の理由は人口の激減である。厚生労働省の調査によると日本の人口は2013年3月末、1億2千8百37万人で前年比 27万人減 内 死亡から出産を引いた自然減は24万4千人で過去最多。死亡数は高齢化で1万9千人増えて127万5千人、出生数は子供を産む年齢の女性が減っているため6千人減の103万1000人となっている。人口減少は2007年から7年連続で、ペースは年々加速している。

 日本の総人口の将来予測(中位推計)によると、2020年には2010年より400万人減の1億2千400万人、30年には700万人減の1億1千7百万人、40年には1千万人へって1億700万人になり、その後は10年ごとに1千万人ずつ減っていく。2100年
つまり、今年生まれた子供達が後期高齢者になる頃の推計人口は3700万人で、現在の3分の1に満たず、明治初期の頃の日本、現在のポーランドより少なく、人口順位では現在の10位から36位になる。GDPは全国民が年間に生み出す財貨の総量であるから、GDP大国よもう一度というのは見果てぬ夢となる。

 さらに問題なのは人口の高齢化である。現在の平均寿命は男79歳、女86歳で、90歳以上は100万人を超え、人生90年時代が近づきつつあり、日本は今後数十年で世界に類を見ない超高齢社会になる。人口減の中の超高齢化は、生産人口の割合の激減を意味する。現在の年金制度をはじめ医療、介護、育児などの社会保障制度は早晩破綻するだろう。
 また、人口の都市集中も重大問題だ。人口の50.8%が3大都市圏に集中している。「地域別将来人口推計」(国立社会保障・人口問題研究所)によると、2040年の人口はすべての都道府県で2010年を下回り、20%以上減少が約70%、65歳以上の人口は半数を占める自治体が40%を占める。一方0歳から14歳の人口が一割に満たない自治体が60%に達するとしている。現在のような経済成長優先を続けて行く限り、都市への人口集中はやまない。地方では食えない若者が東京や3大都市圏に吸い寄せられるが、結婚も出来ない低賃金で働かされる結果、出生率はさらに低下する。2013年の総理府統計局の資料によると、東京の出生率は1.06で全国平均(1.35)よりはるかに低く、全都道府県中最低になっている。

 日本の出生率が急激に減少した原因の
第1は出産適齢期の女性の急激な減少(中央公論2013−12月号 壊死する地方都市)   
第2は若者の都市集中と低賃金(同上)
第3は子供を養育する為の費用の増大(人口減少社会の設計 中公新書)
で、出生率は一旦減りだすと元へ戻すには数十年かかるという。

 一方、国連の推計によると、世界の人口は現在71億人程度となっているが、50年後には100億人を超える。増加の大部分はアフリカで、2100年に人口が2億人以上の11カ国の内6カ国がアフリカの国である。このことが、世界の食糧危機を生む要因になる。アジアでは逆に1人っ子政策の中国をはじめ、韓国、シンガポール、ベトナム、タイなどで出生率が急激に下がっており、人口が減少し、高齢化が急速に進む国が多い。安倍政権や経済界などがもくろむ「アジアの成長を取り込んで日本が成長する」というわけにはいかないだろう。

 そこで考えられているのが外国人単純労働者の導入計画であり、中には、1200万人必要だとする試算もある。しかし、外国人労働者を大量に雇用した結果起きる国内摩擦は、フランスやスペイン、最近ではサウジアラビアでは大規模な暴動にまで発展した。前々から移民を受け入れている国でさえそうである。国際難民さえ、ごく少数しか受け入れたことがなく、中国の若者を研修生の名目で酷使したり、韓国人に対するヘイトスピーチが全国に蔓延するようなこの国の現状を考えると、1200万人の外国人労働者を受け入れてうまくやっていけるなどとは到底考えられない。1990年に入国管理法を改正して日系ブラジル人らの入国・滞在の緩和を図った結果、30万人が来日した。それから4半世紀、群馬県大泉町では、現在日系人が町の人口(6万)の6分の1近くを占め、自動車メーカーの下請け工場などで臨時工として働いているが、町長は今なお問題が山積していると語っている。人口が8千万になったとき、1200万人の外国人労働者を受け入れれば、ちょうど今の大泉町と同じ人口比になる。

 私は、20カ国100人以上の外国人スタッフがいるNHK国際局で働き、仕事上で多くの外国人と接しながら、友人として付き合えた外国人は二人しかいなかった。同僚の大半は、外国人スタッフと仕事以外で交流したことがなかったのではないかと思う。英語で意思疎通が出来る日本人でさえそうである。外国人と深く付き合うには、それなりの覚悟と準備が必要であり、それを怠れば、重大な摩擦を生んでしまうことになりかねない。特に言葉の問題は、大泉町でも最大の障害となっている。外国人に低賃金の単純労働を不安定な労働条件で押し付けるという発想では、やがて不満が爆発するのは自然の成り行きだろう。

 田中角栄が首相であった頃よく「この狭くて資源もない日本列島で1億人が食っていくというのはたいへんなことなんだよ」と言っていたが、彼は、だからみんな一生懸命働けと言いたかったのだろう。だが、待てよ、何故この狭く資源もない国に1億人もの人口が必要なのかと考える人もいるだろう。

 日本プロパー(除く植民地、委任統治領)の人口は、江戸時代の中期に農耕技術の進歩や開墾によって3千万人を超え、明治維新の頃は3千3百万人程度だった。それが、明治から昭和にかけての富国強兵政策に伴って80年足らずのうちに2倍半にも増え、太平洋戦争時には8千4百万人に達した。戦争遂行のための“産めよ、増やせよ”政策の“成果”であった。私の母親は8人の子供を産んだ。6人が男子だったので”軍国の母”ともてはやされたが、出産の負担で心臓が肥大し、それが肝臓を圧迫して肝臓ガンを患い若くして死んだ。軍国主義の犠牲者は、靖国神社に祀られている人達だけではない。

 ところで、日本軍の総兵力は敗戦の年の1945年5月には、いわゆる”根こそぎ動員”によって19歳から44歳までの男子が召集され740万に膨れ上がっていた。敗戦によってこれらの青・壮年男子が次々に復員して第1次ベビーブームが起きた。これらの人達とベビーブーマー、さらにその子供の第2次ベビーブーマー達が、いわゆる奇跡の復興と経済成長を質・量ともに支えたのである。しかし、奇跡は二度は起こらない。

 人口減少を度外視した「成長戦略」は、短期的にはともかく、中・長期的には成り立たないばかりでなく、短期的な利益の追求に走ることによって、国の債務が1000兆円を超えるなど、中・長期的な社会の持続可能性が損なわれるとにもなりかねないのであって、この国の将来のかたちを考えるに当たっては、深刻化する人口問題を不可欠の前提としなければならないと私は考えている。(M)