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(183) NHK会長の資質

Author: 松山 薫

(183)< NHK新会長の資質 >

 安倍政権は、NHKの国際放送を“強化”するためとして、来年度予算案に交付金の増額を盛り込んだ。NHK国際放送の予算は受信料と国の交付金からなり、交付金の割合は約15%で、監督官庁である総務省の要請に伴う放送の実施に当てられる。

 NHKの国際放送は、この交付金あるがゆえに、常に政府や財界の伝声管になる危険性がある。そうなると、嘗てのモスクワ放送や今の北京放送がそうであるように、時の政権の「宣伝」と受け取られてしまうばかりでなく、国際放送を運営するNHK自体の権力に対する姿勢をも疑われることになる。安倍政権が送り込んだ経営委員らによって新たにNHK会長に選ばれた人物が、国際放送の強化を唱えているが「国際放送は国内放送とは違う。領土問題については政府が右というのに左というわけにはいかない」と述べていることも気になる。政府の立場を伝えるのは当然としても、日本の国民の中には様々な意見があることも同時に伝えなければ、時の政権の「宣伝」にはなっても、国民の声とはならないからだ。

 NHKの国際放送(RADIO JAPAN,the overseas service of the Japan Broadcasting Corporation)は、戦前戦中の「海外放送」が侵略戦争のお先棒を担いだ「宣伝放送」であったことへの反省に立って,国連憲章や日本国憲法の平和・民主・人権の尊重を基本とすることを内外に声明し,1952年に「国際放送」として再開された。

 国際放送番組基準では前文で放送の目的について「諸外国のわが国に対する理解を深め、国際間の文化及び経済交流の発展に資し、ひいては国際親善と人類の福祉に貢献する…」となっている。また、報道番組については、1.ニュースは、事実を客観的の取り扱い、真実を伝える 2.解説、論調は、公正な批判と見解のもとに、我が国の立場を鮮明にする 3.わが国の世論を正しく反映するようにつとめる。とうたっている。上記の新会長の発言は、放送法は勿論この基準3にも違反するのではないか。

 国際放送基準はまことに結構なものだが、現場で働いた体験からすると事実はなかなかそのとおりにはいかないのである。これについて、国際局報道部時代の同僚で、亡き畏友北山節郎氏は、日本ジャーナリスト会議賞を受けた「戦時体制下の日本の海外放送」(田畑書店)で次のように述べている。「報道と宣伝を区別すること、それはジャーナリスムの今日の問題であり、宣伝そのものであった戦時中の報道から真に決別したかどうかを計る物差しだろう。だが、対外報道の仕事の本質は、日本という国家の「宣伝」であることは確かであり、その宿命から逃れることは出来ないのではないかと思うことがある。情報を伝達する「報道」と「宣伝」の差は紙一重だ。大事なことは、メディアが権力から独立して、情報の真実性と「多様性」を確保して伝えることだろう。多様な日本の姿を多様に伝えることにより、対外報道はかろうじて“宣伝”から抜け出ることが出来るのではないか」

 北山氏や私が国際局組合員の代表として日放労(NHK労組)の放送系列執行委員をつとめていた頃の国際局長は、NHKの監督官庁である郵政省電波管理局長の天下り指定席だった。労使交渉においても局側のお説教調が抜けず、自説を押し付けようとするので、私たちは,労働法規に基づき、労使対等の原則を守るよう厳しく要求した。上意下達を旨としてきたエリート官僚にとっては驚天動地のことであったに違いない。同時に私達は、放送内容については、放送法、国際番組基準を守り、国際連合憲章前文*とユネスコ憲章前文*の精神を尊重するよう要求した。

 その後、郵政官僚の天下りはなくなったが、最近では政権と密着した人物、とくに財界人の天下りが目につく。私は<アーカイブ2013−12−21(174)NHKはどこへいく>の中で、NHK経営委員長、会長がともに財界出身者であることに疑問を呈し、会長には放送メディアに関する十分な知識とジャーナリストとしての体験を持つ人物がふさわしいと書いた。。今回の籾井勝人会長(元三井物産副社長)の就任記者会見の記事を読むと、ジャーナリズムとは無縁な人物の天下りの弊害に対する私の心配が杞憂でないことをまざまざと思い知らされる。

 北山氏は別の著書「ピーストーク 日米電波戦争」の中で、BBCのインド向け放送の担当者であった作家のジョージ・オーウェルの日記を引用して、「宣伝放送というのは、嘘をついているのも同然である。何かハッキリした意図も持って放送しようとしても、『修正しろ』とか『放送を禁止しろ』とか、上からわけの分からぬ命令が降ってくる」と記し、オーウェルは絶望感を抱いて退職したと述べている。そして、後書きで北山氏は「上からわけの分からぬ命令が降ってくる時代は、放送への信頼が失われる時であろう。国際放送は未来においてオーウェルの悩みを繰り返してはならない」と警告している。

 NHKを去る前夜、なじみの居酒屋で北山氏としたたか飲んだ。熱血漢の彼は、酔いも手伝って、「もう少し、一緒に頑張ってもらいたかった」と言って涙を流した。もはやこの組織でやる気を失っていた私は「外で頑張るから」と言って別れた。私はこのブログを書くに当たって、時々彼の遺稿を読み返し「北山君ならどう書くだろうか」と自問自答している。

 ところで、最近知ったことだが、国際放送番組基準の改定について、共同通信は次のように伝えている。「国際連合憲章の精神を尊重し、自由と正義とを基調とする」を「編集にあたっては、人権を尊重し、自由と民主主義を基調とする」などが主な変更点で、2011年4月施行の放送法改正、国際放送強化にともなう変更。福地茂雄会長(元朝日ヒール会長)らが提案した執行部案通りという」国際連合憲章の精神を尊重するという1項は、なぜか削除されたのである。国連憲章こそが、国際放送の基盤であると考えてきた私にはショックであった。

 ごく最近、もうひとつへんなことがあった。一昨日(30日金曜日)の早朝のことだ。私は多分もう10年以上前から、6時43分になるとNHKラジオ第1放送のスイッチを入れ,寝ながら「ビズネス展望」という番組を聴いている。月曜から金曜まで、ベテランの経済学者や評論家が交代で、経済問題を中心に約10分間の「時事評論」をやっている。出勤前のサラリーマンや朝食準備中の主婦らになかなか好評だという。この日の朝スイッチを入れると、なじみの番組開始音楽が聞こえず、“皆さんからのお便り”をアナウンサーが延々と読んでいた。
”あれ、今日は土曜日だったか”と我が耳と頭を疑いながら目覚まし時計を見ると金曜日に間違いない。こんなことは初めてだったし、なんとなく嫌な予感がして、起きだしてネットで調べてみると、次のような時事通信の配信があった。

 「NHKラジオ第1放送の番組に出演予定だった中北徹教授(62)が”原発事故のリスクをゼロに出来るのは原発を止めること”などと話すことを事前に伝えたところ、担当ディレクターから“都知事選の期間中はやめて欲しい”と難色を示され、テーマの変更を求められたことが、同教授への取材で分かった。中北教授は同日朝の出演を拒否し、番組を降板した。

 中北教授によると、29日午後にシナリオを作成してディレクターに送付。原発の稼動コストが上昇し、石炭や石油による発電コストとの差が縮小している他、事故の発生確率を減らしても一件あたりの損害額が巨額になる点を経済学者の観点から話すと伝えた。これに対し、ディレクターは“有権者の投票行動に影響を与える”“(脱原発)は選挙が終ってから扱ってほしい”
などと答え、テーマの差し替えを求めたという。中北教授は”特定の立場に立っていない”と主張したが受け入れられなかったとしている。中北教授は”長年出演してきたが、こんなことを言われたのは初めてだ”と話している。

NHK広報部の話 意見が対立する問題を扱う場合、双方の意見を伝えるなど、公平性を確保するよう努めている。今回の番組ではそうした対応をとることが困難だったためテーマの変更を求めた。」

 そうなると、沖縄で選挙がある時は、「ビズネス展望」では基地に批判的な意見は述べてはならんということになるのか。日本には2000近い自治体があり、首長選挙や議会選挙が4年に一度あるとして、毎日3つくらいは選挙があり、規模が小さくなればなるほど有識者の意見は影響力を持つだろうから、この番組では事実上、自分の考えに基づいた意見は言えなくなる。まさに番組の自殺行為だ。

  NHK新会長は、就任会見で、判断はすべて放送法の基づいて行なうと述べた。しかし、この人物が自民党政権の意向に沿った放送法改正の歴史について知っているとは思われないし、現在の放送法についても良くわかっていないようだ。31日の衆議院予算委員会に招致された籾井氏は、放送法の解釈についての野党議員の追及にまともな答弁が出来ず、進退を問われる始末だった。こういう人物がどうして公共放送の編集責任者になるのか。しかも本人は、箍の緩んだNHKのボルトとナットを締めなおすために乗り込んだと公言しているのである。中江教授の件は、こういう恫喝にNHK幹部が自主規制して”わけの分からぬ命令“を現場に下ろした結果ではなかったのか。情けないことだが、現場が考えすぎて萎縮しているという報道もある。いずれにしても、北山君は草葉の陰で泣いているだろう。(M)

< 国際連合憲章前文 >

われら連合国の人民は、 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、 基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、 正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、 一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、 並びに、このために、 寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、 国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、 すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、 これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することを決定した。 よって、われらの各自の政府は、サン・フランシスコ市に会合し、全権委任状を示してそれが良好妥当であると認められた代表者を通じて、この国際連合憲章に同意したので、ここに国際連合という国際機構を設ける。(1945年6月26日)

< ユネスコ憲章前文 >
 この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。
 戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。 政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
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