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(187) <人権大国への道>

隣国 (1) 韓国・北朝鮮—2

 韓国・朝鮮人の歴史認識から生ずる日本に対する「恨(ハン)」の感情の根源は、言うまでもなく日本帝国による韓半島の植民地化(いわゆる日帝36年の支配 * 総督府設置からだと34年余り)にある。日本よりも文化的に優位にあったと自負する国が、李王朝末期の混乱に乗じて植民地化された屈辱感は100年やそこらで消えるものではないだろう。したがって両国は、歴史観に発する問題について、ことごとく衝突するのである。具体的には * 教科書問題 * 竹島(独島)問題 * 慰安婦問題 * 靖国問題 * 労働者の強制連行 * 日本海の呼称(東海)* 創氏改名などの皇民化政策 * 文化財の持ち去り など多岐にわたるが、ここでは当面の問題として竹島と慰安婦を取り上げ歴史的経過と最近の動きを記し、<人権大国への道>の後段で述べる自論の基礎資料としたい。

① 竹島の領有権問題

 島根県は2月22日を「竹島の日」と定め、今年も内閣府政務官を迎えて県主催の式典を実施し、島根県知事は、政務官に対し、政府主催の記念式典を開催するよう要請した。韓国朝野は強くこれに反撥した。これ先だって、文科省は、「竹島は日本固有の領土」とする教科書作成指針を決めている。

 2月22日というのは、日露戦争中の明治38年1月桂内閣が竹島を日本領とすることを閣議決定し、これに基づいて島根県が隠岐島庁へ編入した日である。当時はリャンコ島と呼ばれていて、2つの小島と37の岩礁からなり、周囲は好漁場である。日本列島および朝鮮半島からの最短距離はいずれも250キロ前後。日本の領土の範囲を定めたサンフランシスコ平和条約では、韓国側の要求にも拘らず、竹島は日本が放棄すべき領土には含まれなかった。韓国は平和条約発効の3ヶ月前に一方的に日本海の公海上に李承晩ラインを設定して日本漁船を拿捕し、1954年には竹島に武装警備員を配備して現在に至っている。日本政府は、この問題を国際司法裁判所に韓国と共同提訴しようとしたが、韓国側は「独島(竹島)について領土問題は存在しない」として拒否した。

 日本が竹島を自国領に編入した明治38年は、5月に日本海海戦が行なわれた年である。そこで、この島を日本領に編入したのは当時の日本海軍の要請によるのではないかという推測がある。もともと、日本帝国による韓半島の領有は、ロシア帝国による満州の支配が、韓半島に及び、日本の存立を危うくするという当時の日本政府の認識に基づき、韓半島を緩衝地帯にするという国家目標にそうものであった(1890年‐明治23年 山縣有朋首相の外交政略論)。このため日本政府は、満洲はロシアが、朝鮮は日本が支配するという方針で対ロ交渉を進めたが、”談判が破裂 ”して日露戦争が始まった。両国の最後の決戦となった日本海海戦を前に、日本海軍はバルチック艦隊を迎え撃つため対馬海峡からウラジオストクまでの海域を南から北へ7つに分け、7段階でこれを全滅させる作戦を立てた。その4段目の戦闘海域を鬱陵島近海と定めたが、そこにリャンコ島が含まれていた。他国の領海で戦闘を行なったといる国際非難をさけるため、急遽この島を日本領に編入したのではないかというのである。(日露戦争史 3 半藤一利 平凡社)

 そうなると、韓国側から言えば、ロシアに対抗するため日本に頼らざるをえなかった当時の状況のもとで、この小島の帰属について抗議するような選択肢はなかった。それに乗じて日本は勝手にこの島の領有権を掠め取ったということになる。

 それぞれに言い分がある上、領土紛争は国民感情を刺激し、武力抗争を触発する危険性があるから、両国が冷静になって平和的解決を探る必要がある。外務省で条約局長、欧亜局長をつとめた東郷和彦(敗戦時の外務大臣東郷茂徳の孫)は、竹島を日韓両国の「平和と協力の島」として活用するよう提案している。(歴史認識を問い直す 東郷和彦 角川書店)

② 慰安婦問題と河野談話

慰安婦関係調査発表に関する河野官房長官談話(平成5年−1993−8月4日)

 いわゆる慰安婦問題については、政府は一昨年十二月より、調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので、発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、且つ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、其の場合も、甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は,強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお,戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別にすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理なども、甘言、弾圧による等、総じて本人たちの意思に反して行なわれた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、従軍慰安婦とて数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。またそのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 我々は、このような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰りかえさないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払ってまいりたい。

 日本政府はこの談話に基づき、民間の拠金5億円をもとに「アジア女性基金」設け、元慰安婦への償い金の支給を始めた。アジアという名称は、慰安婦問題が、韓国に限らず、中国、インドエネシア、マレーシア、フィリピン、ビルマなど日本軍が進出した地域全体におよんでおり、インドネシアでは宗主国オランダの女性も慰安婦にされたという記録があるからだ。また、政府が直接賠償しないのは、賠償問題は1965年国交回復の際の日韓請求権交渉で解決済みという立場だからだ。しかし、韓国側は個人への賠償は未解決だとして日本政府による賠償を求めており、償い金を受け取った元慰安婦はほとんどいなかった。元慰安婦は全員80歳をこえている。このため、日本政府は民主党政権時代に、償い金を全額政府支出とするなどの案を韓国側に示して交渉していたが、政権交代で安倍内閣が成立して頓挫した。

 慰安婦問題についての対立点の一つは、日本の軍や官憲による“強制があったかどうか”だが、先月、国会で石原元官房副長官(河野官房長官の下で慰安婦問題の調査を統括)が「業者による強制はあったが、日本政府、軍が強制的に募集したことを裏付ける資料はなかった」と述べたことから、菅官房長官が「16人の元慰安婦の証言を検証したい。」と発言し、韓国側の感情を逆なでした。

 一体どれほどの数の朝鮮人女性が慰安婦として働かされたのか。東京都立大教授だった塩田庄兵衛は次のように推測している。「朝鮮半島において、女子挺身隊、戦線慰問隊などで動員されたおそらく数万人の女子が慰安婦として戦線に同伴された。このことを体験によって知っている日本人は少なくないはずだ。しかし、朝鮮人、中国人の強制連行の実態は今日では分か
らない。( 朝日ジャーナル 昭和史の瞬間 39 “奪われたひとびと”) 敗戦の日、軍需工場で“玉音放送”を聞き、間もなく教師の指示で帰宅する時、すでに書類を焼却する煙が上がっていたから、中央からの指示があったものと推測される。証拠は完全に隠滅されたと考えたほうが合理的だろう。

 従軍慰安婦というのは戦後の造語らしい。戦争中、中学生の頃、私たちは、兵隊帰りの大人たちが“ピー”とか“ピーや”について面白おかしく話しているのを聞いて、なんとなくその存在を知っていた。(ピーとはprostituteの頭文字だという説がある)
私が従軍慰安婦についてはっきり知ったのは戦後田村泰次郎の(春婦伝)を読み、それを映画化した「暁の脱走」(谷口千吉監督)を見た時だった。映画では、原作の朝鮮人慰安婦は慰問団の歌手ということになっていたが、主役の李香蘭こと山口淑子がp扱いされることに、日本兵の池辺良が同情し、日本軍守備隊を脱走する。背後から二人に浴びせかけられる機関銃弾、暁に染まる稜線にたどり着く寸前に二人は撃ち倒される。それは、戦争が終わるその日の明け方のことだった。非情な幕切れは今でもはっきりと目に浮かぶ。つまり、従軍慰安婦にしても「慰問団」にしても、駐屯地から逃げ出すことは命がけだったのであり、これが強制連行でなくてなんだろうか。

 慰安婦問題について、日本維新の会の橋下代表やNHKの籾井会長らが「慰安婦問題は日本軍だけのことではない」として、日本だけが批判されるのは心外だとしている。橋下代表はさらに、「あれだけ銃弾の雨あられと飛び交う中で、精神的に高ぶっている集団.やっぱりどこかで休息じゃないけど、そういうことをさせてあげたいと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかる」と述べており、この発言に対して「だったら、自分の娘を慰安婦にしたらどうか」という新聞の投書があった。この投書は、慰安婦というものが、女性の全人格を否定する人権蹂躙であることを言外に指摘しており、同時に、戦争で犠牲になるのはどのような階層の人達であるのかを暗示している。

 前述の元外務省欧亜局長東郷和彦は上掲書の中で、「慰安婦問題」について、特に人権に厳しいアメリカでの深刻な反響にふれ、「安倍政権の対応いかんによっては、この問題は日韓2国間の問題を超え、米国を初めとする欧米諸国と日本との間に計り知れない深刻な対立を引き起こす可能性がある」と警告している。

 なお、靖国問題については、中国のところで述べたい。また、北朝鮮についてはすでに詳しく私の考えを述べた(アーカイブ 2013−3月~4月)。ひとつだけ付け加えると、北朝鮮の国民の大多数は現在の体制を支持し、耐乏生活にも順応していると思う。それは、我々が15年に及ぶアジア・太平洋戦争中、現在の北朝鮮と同じ様な体制下で、“欲しがりません勝つまでは”と”一億一心“となって”米英撃滅“のために”撃ちてしやまん”と体制に順応していた体験から類推できる。日本の撃ちてしやまん相手は、米英とその手先である支那であったが、北朝鮮にとっての相手はアメリカとその手先である日本ということになる。(M)