Print This Post Print This Post

(191) <人権大国への道>

Author: 松山 薫

(191)< 人権大国への道 >     2014−3−29

所与の条件 ③ 国土と隣国

(3)隣国−2 中国—2 戦後の日中関係

< 日中関係を律する二つの文書 >
 
 太平洋戦争の終結で、日清戦争以来50年にわたる日本と中国の敵対関係は終った。1945年、ポツダム宣言の受諾によって、日本は敗戦国となり、中国は戦勝国として国連常任理事国となった。しかし、中国では抗日統一戦線を組んで戦った蒋介石の国民政府軍と毛沢東の中国共産党(中共)軍が再び内戦に突入し戦況は一進一退を続けたが、4年後の1949年10月、毛沢東が北京に入り中華人民共和国の建国を宣言して決着した。蒋介石は台湾に逃れ中華民国を名乗った。1952年日本はサンフランシスコ講和条約によって主権を回復したが、この条約には、中華人民共和国も中華民国も調印しなかった。  

 日本はこの年、アメリカの仲介で中華民国と日華平和条約を結び、国交を樹立したが、この時蒋介石総統は、「以徳報怨」の一環として日本に対する賠償請求権を放棄した。一方、中華人民共和国とは、日本がアメリカの中国封じ込め戦略の拠点とされたことから、20年間にわたり、政治的には空白期間が続いたが、“政冷経熱”と言われる状態の下で、日中貿易は徐々に規模を拡大した。

 1960年代に入り中国とソビエトがイデオロギーや核戦略で対立を深めると、アメリカは中ソの離間を図って中国に接近し1969年、中ソ対立が国境での軍事衝突に発展すると、1972年2月にはニクソン大統領が北京を訪問し、米中共同声明によって事実上中華人民共和国を承認した。こうした動きの中で日本も、同年9月、田中首相が中国を訪問し、中華人民共和国との国交を正常化するとともに、中国側の言う、「一つの中国」の原則に従って、台湾の中華民国とは民間の経済関係だけを残して国交を断絶した。

< 日中国交正常化の両国政府共同声明 > (抜粋)

日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つこと を切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう。
 日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国 政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。
 日中両国間には社会制度の相違があるにもかかわらず、両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である。両国間の国交を正常化 し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、また、アジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである。
1.2.3.4 項 省略
5.中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
6.日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。
 両政府は、これらの諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。
7.8 項 省略

 この宣言にあたり、対日賠償請求権を放棄したことについて、中国の周恩来首相は、「中国人民は、馬関条約(下関条約)による巨額の対日賠償によって苦しんできた。日本の人民に同じおもいをさせたくない」と語ったという。これは、日本国民もまた中国人民と同様、日本軍国主義指導者による被害者であるという所謂 “周恩来テーゼ” につながる考えである。周恩来は、これによって長年の中国民衆の日本に対する「怨」を沈静化するしか方法がなかったのだろう。前回述べた日露戦争終結時の賠償問題に対する日本の国民感情を考えれば理解できる。中国の対日賠償権放棄に対し、日本は累計3兆円に上る円借款をはじめ技術協力・経済援助でこれに報いた。また、稲山嘉寛経団連会長(新日鉄会長)ら親中派経済人によって日中貿易は1980年代に今日に至る拡大の基礎が築かれたた。中国では「水を飲む時には、井戸を掘った人のことを思え」という教えがあるという。国交正常化にいたる20年の政治空白の間に、井戸を掘った人達、松村謙三、岡崎嘉平太、古井喜美、宇都宮徳馬、池田大作らを中国は長く古い友人として遇した。

 この共同宣言に基づき、日中両国は1978年平和友好条約を締結し、戦後33年にして、日本と中国は平和友好関係へ歩みだすかに見えた。それからさらに35年、現在、両国の関係は、戦後最悪の状態にある。 そのほぼ中間点にあたる1995年、村山談話が発表された。この談話は、戦後半世紀を経て、この国が、初めて、自らの責任において先の戦争の責任を総括した極めて重要な文書である。

     < 村山内閣総理大臣談話 > (抜粋)
  いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国 の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらたに痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを 通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。
 
 この談話の中では、「植民地支配と侵略によって、多大の損害と苦痛を与えた」主体が「わが国」となっていて明確でない。この点が、戦争責任が誰にあったのかについての歴史認識をめぐる重大な分岐点なのである。つまり、日本国民全体なのか、軍国主義指導者なのかという点である。

 この談話の発表に先立ち、衆議院は終戦50年に当たり「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」を採択している。決議に当たっては、自民党議員の多くが欠席した。その10年後の2005年には、「50年決議」から「植民地支配」や「侵略戦争」などの文言を削除した「戦後60年決議」が採択された。何故削除したのか。それは、村山談話をよく読むと、責任の主体がおぼろげながらわかるからである。60年決議にあたっても、自民党の安倍晋三幹事長代理ら10人が議場を退席した。「植民地支配」や「侵略」を削除してさえ、何故賛成できなかったのか。それは、先の戦争は日本の侵略ではなかった、むしろ、欧米のアジア分割支配に対する防衛戦争であったという考えがあるからである。この10年あまりの日中関係の悪化は、村山談話を否定し、日本の過去の戦争を正当化しようとする勢力の台頭の中で進んできたと私は考えている。

 日本国総理大臣が署名した「日中共同宣言」、「村山談話」を、自国の都合でないがしろにするというのでは、国家としての信用は成り立たない。(M)