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(192)<人権大国への道>

Author: 松山 薫

(192)< 人権大国への道 >
隣国 中国—3 現在の日中関係(靖国、尖閣、強制連行など)

 太平洋戦争が始まった翌年の3月、私は小学校を卒業したのだが、その記念として卒業生全員による「開戦の詔勅」の筆写が命じられ、表装して校長室に掲げられた。私が割り当てられたのは「ラムヤ中」という4文字で、これは、次のような一節の中に含まれていた。「今ヤ不幸二シテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至レリ洵ニ己ムヲエサルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫リニ事ヲ構エテ東亜ノ平和ヲ撹乱シ遂に帝国ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ・・・」
 つまり、中国は、東洋平和を願う日本の真意を理解しようとせず、やたらに喧嘩を吹っかけて周囲に迷惑をかけてきたので、日本としてはやむを得ず、天に代わって膺懲の剣を振うに至ったというわけで、これが日中戦争についての大日本帝国の公式見解である。前2回で述べてきた史実に照らして、このような見解が国際的に受け入れられる筈もなく、つまりは、日本の一方的な解釈による侵略行為と断ぜられても止むを得ないのである。同時に、このような傲慢不遜な思考が、中国人の誇りを著しく傷つけたことは想像に難くない。村山談話は、このような思考に対する反省に基づいて発表されたものと私は考えている。従って、日中間の具体的な懸案や紛争についても、このような自省を踏まえて考える必要があると私は思う。

①  靖国神社参拝問題
 靖国神社が戦争の遂行に果たした役割については、日本人自身が、戦争責任の問題として、追及し、答えを見出すべき重要な問題であったと思う。それが曖昧にされて来たことが、総理大臣や閣僚の靖国参拝の是非を曖昧にしている根底にあリ、外国の疑念を招く原因にもなっている。

 中国、韓国をはじめアジア諸国との間で問題になるのは、ここに東条英機ら極東裁判のA級戦犯14人が合祀されているからである。これら諸国は、アジア太平洋戦争を主導した人物を、国家の最高責任者である総理大臣が尊崇の念を以って参拝することは、この戦争を正当化し、日本がサンフランシスコ講和条約で認めた極東軍事裁判の結果をないがしろにするもので、戦後の国際秩序への挑戦であるとして反撥するのである。

 これに対して、安倍首相は今回の参拝(2−13−12−26)の後、次のような談話を発表した。「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念をあらわし、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。・・・今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子供達の幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。・・・日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。・・・ 」。安倍首相はまた、参拝後の記者会見で「戦場に散った英霊のご冥福を祈りリーダーとして手を合わせるのは、世界共通のリーダーとしての姿勢だ」と強調している。

 一見もっともらしいこの談話の中で抜けているのは「戦争責任」の所在である。250万人(アジア太平洋戦争での合祀者)もの犠牲者を出した責任は誰にあるのか。さらに、これらの犠牲者がアジア諸国に対しては加害者になってしまった責任の所在はどこにあるのか。それを明確にした上での不戦の誓いでなければ、再び同じ過ちを犯すことになりかねない。安倍首相自身の最近の言動を見ても、その思いをぬぐうことができない。

 この点について、合祀されているA級戦犯の一人東郷茂徳元外相の孫である東郷和彦元外務省欧亜局長は、次のような意見を述べている。「一番の問題は、日本の戦争責任について、日本人自身が未だに総括していないことです。中国や韓国が反撥するから、米国が何か言ってくるから、何とかしないと、という問題ではないのです。・・・日本人の中には、赤紙一枚で召集された兵と、それを指揮した人を同列に扱うのかという根深い対立がある。靖国問題とは、まず、私たち日本人の問題なのです。( 靖国問題 信念の向こう側 朝日新聞2013−12−29)と述べている。ここまでは、私も同意見である。

 その上で、この元外交官は、中国の反撥は、「周恩来テーゼ」つまり、国民全体と一部の戦争指導者を峻別する考え方に由来する」と述べ、そして、もう一つ「国全体の責任を追及する」考え方があるとして「日本をして戦争を選ばしめていったのは、大部分の国民が何らかの形でかかわった、時の勢いといったものであリ、少なくともそれに国民は応分の責任があったのではないか。この考えをつき進めるならば、国全体としての責任を命に代えて引き受けた者たちは、国民としての感謝の対象になる。A級戦犯合祀には積極的な理由があるということになる」と主張している。( 歴史認識を問い直す 東郷和彦 角川書店 )
 私はこのような考え方には賛同できない。敗戦直後に、東久邇内閣が唱えた「1億総懺悔論」と同じく、責任の所在を曖昧にし、戦前・戦中のこの国の実体を不問に付してしまうことになるからである。

 戦前・戦中を通して、靖国神社は日本軍国主義の象徴的存在であった。太平洋戦争開戦の翌年4月、中学生になった私達は、早速隊伍を組んで靖国神社参拝に連れて行かれた。その時初めに私が感じたのは、この神社はどうしてこんなに縦長なんだろうということだった。九段下から神社の入り口へ入るところに“天を突くよな”青銅の大鳥居が立っている。それをくぐってしばらく行くと、日本陸軍の創設者(と前もって教官に教えられていた)大村益次郎の巨大な銅像が聳えている。そこを通り過ぎて社殿の前の広場に着く頃には、妙に神妙な気持ちになっていった。小学校の修身教科書(巻四)「靖国神社」の内容が甦ってくる。「君のため国のためにつくして死んだ人々をかうして神社にまつり、又ていねいなお祭りをするのは、天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。私たちは陛下の御めぐみの深いことを思い、ここに祭ってある人々にならって、君のため国のためにつくさなければなりません」。その時耳の中で響く歌があった。「吾が大君に召されたる、命はえある朝ぼらけ、称えて送る1億の、歓喜はまさに天を突く、いざ行け、つわもの、日本男児」つづいて耳に響く歌。「万朶の桜か襟の色、花は吉野に嵐ふく、大和おのこと生まれては、散兵線の花と散れ」ようし、見事に散ってやろうじゃないか。やがて、戦局が傾く頃になると、境内の桜が散る中で、やや哀調を帯びた歌が耳の中で響く。「貴様と俺とは同期の桜、離れ離れに散ろうとも、花の都の靖国神社、春の梢に咲いて会おう」。こうしてあまたの若者達が軍国主義に染め上げられ、君のため、国のために、喜んで外国に侵攻し、敵を撃ち殺し、やがて、自らの命を散らしていったのである。私は、そのように仕組んだ者、それを強制した者を許すことができない。
(M)
* 桐英会ブロガー並びにブログ読者の皆さんへ :
  XPパソコンのサポート終了にともない、来週PCを入れ替えます。新しいPCの操作は前もって勉強しおくつもりですが、機械の不具合や操作の不慣れで土曜日午前のブログの投稿やメールの交換が一時的にできなくなることも考えられますので、あらかじめご了承ください。  松山