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< 人権大国への道 >

隣国 3.中国

④ 台湾

 日清戦争の結果、下関条約(馬関条約)によって、台湾は清国から日本へ割譲され、太平洋戦争の敗戦によって中国へ返還されるまで半世紀にわたって日本の植民地であった。

 だから、私の小学校、中学校時代には、日本一高い山は、富士山ではなく、台湾中部にある新高山(3952m)だった。この山は、もともと玉山と呼ばれ、現在もそうなっているから、新高山という名称をつけたのは日本の台湾総督府が行った同化政策の一環であったのだろう。新高ドロップというキャンデーの名前や、「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という空母機動部隊へ真珠湾攻撃の日付を知らせる大本営の暗号電文は、われわれ戦中派には忘れることのできない思い出である。

 私にとってもう一つ忘れられないのは、阿里山という山の名前だ。阿里山は玉山の近くにある山岳地帯で今は国定森林公園になっているという。阿里山という名前は、小学校四年生の国語教科書の次のような話の中に出てきた。

<呉鳳>

 台湾の蕃人には、もと、人の首を取ってお祭りに供える風があった。阿里山蕃の役人になった呉鳳は、何とかして、自分の治める部落だけでも、此の悪い風習を止めさせようと思って,いろいろ苦労した。「人を殺すのはよくない事である。」かう言って、呉鳳はしばしば蕃人に説聞きかせた。しかし、お祭りが近づくと、蕃人はぜひ首を供えなければならないと申し出た。呉鳳は、「去年取った首があるはずだ。一體幾つあるのか。」「四十餘りあります。」「それでは、其の首を大切にしておいて、これから毎年一つづつ供えることにするがよい。」
 蕃人は諭されて、しぶしぶ引きさがった。呉鳳は、情け深い人で,蕃人を非常にかはいがったから、蕃人も次第になついて、後には呉鳳を親の如くしたうようになった。かうして、阿里山蕃だけは、しばらく首取の事も止んで平和が続いたが、外の部落では、毎年祭がある度に首を取って供えて居た。それを見るにつけ聞くにつけ、阿里山の蕃人は心を動かされた。
 四十餘年は何時の間にか過ぎて、もう供える首が一つもなくなった。「今年こそ、新しい首を供えなければならない。」というので、蕃人は其の事を呉鳳に申し出た。呉鳳は、「もう一年待ってくれ。人を殺すのはよくない。」となだめた。翌年も、翌々年も、同じことがくり返された。蕃人は、そろそろ呉鳳の心を疑うやうになった。そうして、四年目には、どうしても呉鳳の言うことを聞こうとしなかった。
 「それ程首がほしいなら、明日の昼頃、赤い帽子をかぶって、赤い着物を着て、ここを通る者の首を取れ。」と呉鳳は答えた。
 翌日、蕃人どもが役所の近くに集まって居ると、果たして赤い帽子を被り、赤い着物を着た人が来た。待ちかまえていた彼等は、忽ち其の人を殺して首を取ってしまった。意外にも、それは呉鳳の首であった。親のようにしたっている呉鳳の首であった。蕃人どもは聲を上げて泣いた。彼等は呉鳳を神に祭った。さうして、それ以来、阿里山蕃には首取りの悪習がふっつりとなくなった。

 四年生といえば、まだ十歳の子供である。日本の領地である阿里山にいた首狩り族に強烈な印象を受けた。ところが五年生くらいから講談社の「少年講談」を読みふけるようになって「エッ?」とおどろいたのは、戦国武将の首実検の様子がたびたび出てくるのである。日本人も高砂族と同じく首狩り族だったのかと愕然とした。こんなことをうかつに教室で口走ったらたちまち先生に知れて、したたか殴られるのがオチだから黙っていたが、阿里山の名前は長く記憶にに残った。余談だが、先日経済評論家の堺屋太一が小学生の頃”一億玉砕!“という戦意高揚標語をみて、「全員玉砕ということは、つまり負けということですか?」と先生に質問して殴られたと新聞のコラムに書いているのを読んで、思わず笑った。

 ところで、このような生々しい話を小学生に教えようとした当時の文部省の意図はなんだったのか、今でもよくわからないが、あえて推測すれば、日本の優れた台湾統治特に教育政策が蛮人をも立派な皇民に陶冶したのだということを教えたかったのではないか。確かに今でもそう考えている人達が台湾にも日本にもいる。

 自他共に許す日本びいきの李登輝元台湾総統もその一人だ。彼は特に4代目総督だった児玉源太郎(後の参謀総長)と彼のNo.2であった民政長官後藤新平(後の東京市長)の治績を高く評価している(日台の心と心の絆 李登輝 宝島社)。だからと言って帝国主義の一環である植民地統治を正当化することはできないだろう。異民族統治に対しては、当然現地人の抵抗があった。1930年、日本人の巡査が現地人を殴打したことに端を発した霧社事件では日本軍や警察の弾圧で700人が死んでいる。

 李登輝元総統によると、台湾の住民は南方系の原住民と中国沿岸部から移住してきた中国人との混血の子孫が多く本省人と呼ばれる。日本の敗戦で台湾が中国に帰属した後、国共内戦に敗れた蒋介石の国民党が台湾に逃げ込み、それに伴って百万人を超えるいわゆる外省人がやってきた。現在2300万人の人口のうち400万近くが本省人と外省人の混血であるという。したがって、台湾人は漢民族ではないし台湾は中国の一部でもないと彼はいう。
     
 台湾には多くの政党があるが、馬英九総統の与党国民党は孫文以来の中国の中心政党であるという意識から、中国との統一志向が強く、一方最大野党の民主進歩党(民進党)は独立志向が強い。世論調査では、住民の80%前後が現状維持を望んでいるという。最近、馬英九政権が中国と結んだサービス貿易に関する協定に反対して、学生を中心に50万人が参加する大衆行動があり、議会を占拠する異常事態になった。この協定で台湾のTV局が中国資本に買収され、言論の自由が侵されるというのが反対の理由である。

 台湾も領有権を主張している尖閣諸島(台湾名釣魚台)について、馬英九総統は棚上げ論だが、民進党は「台湾の領土」であるという立場をとりつつも、日本とは外交的な解決を模索するとしている。なお、親日派の李登輝元総統は尖閣は日本領だと主張している。

 ところで、日本もアメリカも、大陸中国との国交正常化の際に、「一つの中国」という北京政府の主張を受け入れ、国民政府の台湾とは国交を断絶したが、日本は「交流協会」を窓口として緊密な経済関係を維持しており、アメリカは「台湾関係法」によって、台湾の防衛に深く関わっている。中国には、台湾が独立しようとしたら武力行使も辞さないという「反国家分裂法」があり、常時数千発のミサイルが台湾に狙いをつけているという。日本政府は日米安保条約の適用範囲である極東に台湾が入るとしているから、台湾海峡有事の際は、紛争に巻き込まれるおそれがある。

 李登輝元総統によると、東日本大震災にあったっては、台湾の人達は200億円の義捐金や援助金を贈った。アメリカに次いで2番目だが人口割り(アメリカの13分のⅠ)にすれば、ダントツである。日本に対する台湾人の気持ちが表れていると彼は言う。15年ほど前のことだが、台湾の高雄にある出版社から日販を通じて、私の著書の一冊を中国語に訳して販売する翻訳権を買いたいという話があった。高雄というのは、阿里山国定公園への出発点だということで縁を感じ、版権料は全額交流協会を通じて台湾留学生の学費として寄付する旨伝えたのだが、残念なことに、成約の直前になって台湾中部を大地震が襲い(死者、不明者2500人以上)、この出版社も潰れてしまった。(M)