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(1)私の見聞では、教育委員会に関係する教員は、だいたい40歳台の教員で、近い将来に教頭か校長になりたいと考えている者が多いようでした。人事権を握っている教育委員会に“にらまれたら”大変ですから、批判精神などない、“おべっか”の上手な教員が多いように思いました。

(2)今朝(7月18日)のNHK テレビでは、“脱法ハーブ”の問題を取り上げていましたが、“酔っ払い運転”の場合と同じで、罰則を強化しても、ほとんど効き目がないことが指摘されていました。制度を変えても駄目な理由はどこにあるのでしょうか?私が考えています理由は、次のようなものです。

(3)敗戦のショックが大きかった日本国民ですが、戦争を起こした責任の追及や反省は十分なものではなかったと思います。西ドイツが、戦後に逃亡していたヒトラーの部下などを戦争犯罪人として追い詰め、逮捕したことなどと比べると、日本の場合は手ぬるかったと言わざるを得ません。

(4)そのような国民性に加えて、私はブログで、「日本人の付和雷同性」を度々指摘してきました。選挙なると、誰に投票するかはマスコミの予測や友人たちの噂に左右されやすいのです。英語教育の問題でも、「10年以上教わっても、英語で日常会話もできない」といった苦情をよく言います。まず自分の努力不足を反省するのではなく、他人の責任にしたがる傾向があるのです。もちろん、「だから英語教師に責任は無い」などと言うつもりはありませんが。

(5)私は、フルブライト委員会の特別プログラムで、3か月の大学での勉強と、あとの3か月は地方都市での教育行政の研究をする機会を得ました。もう60年も前の1957年のことでした。私の訪問したノースカロライナ州の小さな都市では、校長先生は40歳の男性でした。「校長の役目は何ですか」と私が問うと、その先生は次のように答えてくれました。

(6)「1つは生徒の生活指導です。遅刻をしていないか、遅刻が多ければその理由は何か、など調べるのです。必要な場合には親に電話します。また、食堂で騒いでいる生徒たちに注意をするのも私の役目です」と語ってくれました。実際に、昼どきになると、校長先生は真っ先に食堂に現れて、騒いでいる生徒に注意をしていました。しかも、叱るだけではなく、生徒と一緒に食事をしながら、談笑もしていました。校長という権威者としてではなく、生徒の理解者として振る舞うので、叱ることも効果があるのだと感じました。

(7)ここで、何時も私のブログの紹介を依頼している田崎 清忠氏から、「最初の“教育委員会に関係する教員”という言い方は、教員はだれ誰でも、教育委員になれるような誤解を与えないか?」という注意がありました。確かに、教育委員会の委員は、選挙で選ばれたその地区の市長や区長に任命されるもので、教員であれば、誰でもなれるものではありません。

(8)たまたま、7月19日(土曜日)の夜は、池上 彰氏が、滋賀県大津市の教育委員会が、いじめで自殺した生徒に関する学校の実情を隠蔽したのではないか、という問題を解説していました(テレビ朝日)。それに関連して、教育委員会の仕組みや責任体制についても、かなり詳しい説明がありました。ブログの読者の方にも、この番組を視聴された方がおられるでしょうから、中途半端な言い方は慎むべきだと反省した次第です。田崎 清忠さんのご忠告にも感謝いたします。

(9)全体的な内容は、ほぼ前回のものに準じていますが、上記、(7)と(8)を加筆して、記号や句読点の入力ミスを修正しましたことをお断りします。(この回終り)