Print This Post Print This Post

4.人権大国の基盤を創る 
           
④ 貿易立国(物)から観光立国(人)へ

 内閣府が先月(10月18日)発表した「人口、経済社会等の日本の将来像に関する世論調査」によると、東京一極集中を「望ましくない」と考えている人は48.3%と全体の半数近くに上った。また、都市部にすむ現役世代である20~50代の48.7%とほぼ半数が、地方へ移住してもよいと答えた。移住してもよいと答えた人は、20代では52.3%、30代が57.6%%と半数を超えている。都市へ都市へと流れていた日本人の意識は確実に変わってきたのである。

 こうした地方志向の青年層の人達の中には、帰農を考えている人もいるだろう。国連家族農業年の目標にあるように、この国の食糧安全保障と国土保全を担うこれらの人達に、政府や自治体は、抜本的な支援体制をつくる必要がある。同時に、帰農する人達にもそれなりの覚悟が必要だと思う。私は学校を出てすぐ新潟の山間地の高校の教師になったが、表面的には“先生、先生”とたてまつられながら、実はそれは完全なよそ者扱いの裏返しでもあった。下宿のおばあさんには、「土地の娘を嫁にもらい、家を建て、3代ここに住まなければ、土地の者とはみなされない」とはっきり言われた。何十年、何百年にわたり、その土地を支えてきた人達からすれば、これは当然のことである。だから、その土地に根を下ろそうとするならば、まず、生活の基盤として3代100年にわたって住む住居建設に着手することから始めなければならないと私は思うのである。そして、その一環として内外の観光客を泊める場所を確保する。

 この国は、観光資源に恵まれており、ユネスコの世界遺産は富士山などの自然遺産、和食−日本の伝統的食文化などの無形文化遺産など18件に上る。四季折々に移り変わる風景、都会にいてはわからないその美しさを地方に住んでみて実感できた。この風土に長く根付いてきた祭りや漆器、陶磁器、細工物などの工芸品、長い歴史を物語る神社や仏閣、城郭、それに海や山、川で楽しめるスポーツやレジャーなどなど観光客を惹きつける固有の資源は山ほどある。国土の7割は山林だから森林浴の適地も多いし、無人島は6500以上もあり、以前は人が住んでいたところもあるから、そこでキャンプをはるのも悪くない。

 それにも拘らず日本を訪れる観光客はようやく1000万人を超えたところで、8300万人のフランス(人口は日本の約半分)はもとより人口5千万人のお隣の韓国より少ないのである。政府も2030年に3000万人を目ざしているようだが、目標が小さすぎるのではないか。

 日本を訪れる外国人の悩みは、物価が高いこと、特に宿泊費と交通費が高いことだろう。だから外国人観光客は一部の富裕層が中心になってしまう。観光立国には、もっと手軽に泊まれるところを増やさねばならない。箱根には、年間9000人が訪れる個人経営の宿泊施設がある。農村に3代100年住宅を建て、一部屋を観光客を泊められるようにするという提案は、この隘路を解決するためのものでもある。
 
 一方交通費については、高速道路の路肩あるいは左側の一車線を自転車専用道路として、稚内から沖縄まで自転車で旅行できるようにする。同時に自転車を収容できるバスを運行させる。人口の激減に伴い、やがて車の保有台数は半減して、4車線以上の高速道路は無用の長物と化し、維持費もままならなくなる。その頃には電気自動車や燃料電池車が実用化されているだろうから、自転車で走行しても排気ガスを吸い込む心配はない。また、既に5万円を切るものも出回っている電動アシスト自転車を活用すれば、幼児や高齢者にもかなりの距離のサイクリングが可能になる。これが私の考えるエコツーリズムである。

  キューリー夫人伝の中で印象に残っているのは新婚旅行のくだりだ。ソルボンヌ大学で知り合ったマリーとピエールの新婚旅行は、お祝いにもらった自転車でのサイクリング旅行だった。二人はフランスの田園地帯を気の向くままに走り、夜は村の安宿に泊まって相客や宿の人達と談笑したり、二人でこれからの生活や将来の夢を語り合ったという。8トンもの瀝青ピッチを鉄鍋で煮詰めてわずか1グラムのラジウムを取り出すという気の遠くなるようなマリーの仕事を支えたピエールの献身的な協力は、その時に結ばれた絆の上にはぐくまれたものだったのだろうと私は感じた。エコツーリズムの極致はサイクリングツアーではないかと私は思う。

 ただし、観光を利潤追求の手段にすると結局自然破壊につながりかねない。千年杉で有名な屋久島で、縄文杉までの徒歩5時間をロープウェイやケーブルカー、観光自動車道路などを作って手軽に行けるようにして観光客を呼び込もうという計画が持ち上がった時、元朝日新聞記者の三島昭男は、「7千2百歳の遺言」の中で、自然に対して振り下ろされた文明の斧であると怒りを込めて告発している。

 私が観光に興味を持ったのは、NHKに入って間もなくのことだった。配属された国際局報道部の仕
事は日本の出来事を海外へ伝えることだったが、ナマの情報をそのまま伝えても、海外の聴取者には理解できないことが多い。そこで背景の説明が必要になるのだが、自分にはその知識がほとんどないことにいやでも気付かされた。いちいち調べていたのでは放送時間に間に合わない。そこで思いついたのが、似通った仕事である運輸省通訳案内業(英語)の試験を受けることだった。半年くらい地理、歴史などの勉強をして試験には受かったのだが、成績は自己採点でも散々なものだった。地理の試験では、日本の白地図に、50ほど黒点が打ってあり、観光地の名前を書き入れるのだが、半分くらいしかわからなかった。歴史の問題は「京都の都城としての地理的条件について述べよ」といった問題で、自分の本籍地が京都盆地の一角にある亀岡というところで、行ったことはないが、どんなところか調べたことがあったので、なんとか答えをでっち上げた。

 そのあと、3日間の研修旅行に参加して、ベテラン通訳の指導を受け、彼らの該博な知識と日本の良さを外国人に伝えようとする熱意に感銘を受けた。上野から日光へ向かう途中、バスの窓から5寸ほどに伸びた緑の畑が見えた。講師のベテラン通訳は、「この畑の作物は何だと思いますか?」と問いかけた。都会育ちの新米通訳の中には答えられない人もいた。「そうです。小麦です。ところが、外国人観光客に質問されて“Japanese green onions “と答えたガイドがいました。見ていればわかりますが、小麦畑はこれからずーっと続きます。とうとう外国人から”Japanese people live on onion? ”と皮肉られてしまいました。彼が面目を失っただけではありません。外国人に日本人は嘘つきだという印象を与えてしまったのではないかと思います。」

 研修を終わるにあたって、講師の一人が「観光通訳はウソで誤魔化してはいけない。かといって知りませんでは済まない。だから、常に外国人の質問を想定して研鑽をつんでください。それでも文化や風習の違い、それに言葉の問題もあって、なかなか真意や誠意が伝わらないこともある。苦労の多い仕事だと思います。しかし、外国人観光客の皆さんが、“たいへん興味深かった。生涯の思い出になるだろう。有難う!”と言って手を握ってくれた時、仕事への生きがいを感じます、どうか、皆さん一人でも多く仲間になってください。」と別れの挨拶をした時、私は、この教訓をこれからの仕事に生かさねばならないと思った。 もっと日本のことを広く、深く知らねばならない。英語によるコミュニケーションという難題にも立ち向かわなければならない。それによって、外国へ事実を正確に伝えねばならない。 私にとって、この研修が、国際放送のスタッフの一員としての使命を自覚する原点となった。

 ユネスコ憲章前文は言う。「相互の風習と生活を知らないことが相互不信を生み、それがあまりにもしばしば戦争につながった。政府間の取り決めによる平和は永続する平和ではない。平和は、失われないためには、人類の精神的連帯が必要である」と。つまりは、人と人の絆、人間同士の信頼関係こそが安全保障の基盤であると宣言しているのである。いつの日にか、ロシア極東から朝鮮半島そして日本列島から中国大陸、モンゴルを貫くサイクリングロードが建設され、アジア諸国民交流のシルクロードとしての役割を果たす日が来ることを私は願っている。(M)

< 参考書籍等 >
* 七千二百歳の遺言 : 三島昭男  リサイクル文化社  7200歳というのは縄文杉の推定樹齢。この本の末尾には「日本の森林浴100選」が紹介されている
* キューリー夫人伝 : ド—リー 桶谷繁雄訳  講談社

次回は11月22日(土)に<人権大国への道 終章> 5 私の安全保障論 ① 平和への原点 を投稿する予定です。