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(214)< 人権大国への道 終章 >

           
5.私の安全保障論  ② 平和への道筋 (1)

  私が安全保障問題を自分のストックとしての知識の根幹にしようと考えたのは、国際報道の仕事にもようやく慣れてきた30代の初めの頃のことだった。国際局のスタッフとしては、当然幅広いフローの知識が必要であることは前回触れたが、それだけだと雑学の大家で終わってしまい、社会的な事象を分析的に考察するための知識を畜積することはできない。安全保障問題を選んだのは、前にも書いたが、60年安保闘争を国会構内で取材して、デモ隊と警官隊の流血の惨事を目撃したことがきっかけであった。その時頭をよぎったのは、戊辰の役・会津戦争の凄惨な殺戮を目の当たりにして、板垣退助が詠んだという「うつ人もうたるる人も哀れなり、おなじみ国の民と思えば」という和歌だった。それから100年後の1960年、日本人が敵味方に分かれて殺し合うことなどあり得ないと思っていた。だが、この時、岸信介首相は自衛隊に治安出動を命じようとして、赤城宗徳防衛庁長官に押しとどめられた。もし自衛隊が出動していたら、日本は内乱状態に陥り、戊辰戦争、西南戦争以来の同朋相打つ悲劇を繰り返していたかもしれないのである。同時に、「おなじみ国」を「同じ地球」と読み替えれば、二つの世界大戦を経た今もなお、戦争が絶えない。人はなぜ殺し合うのか。殺し合いを命ずる国家とはなんなのか。どうすれは、悲劇は避けられるのか。結局それが生涯を通じての私の命題となった。

 そこで、海軍兵学校の出身で東京新聞のニューヨーク特派員からNHKに転籍してきた戦争記者の先輩に、防衛庁防衛研修所の教官をしていたニューヨーク時代の友人、小谷秀二郎氏を紹介してもらった。研修所では、若手研究員や各省から派遣された官僚、新聞社の外報部の記者らと研究会を開くとともに、小谷さんの名前で出版される軍備管理・軍縮関係の洋書の翻訳を手伝った。3年間の研究会が終わるにあたって、小谷さんから内閣調査室に提出する論文を書くよう指示され、「自衛隊の国連軍化」と題する小論文を書いた。私の提案の骨子は次の通りであったと記憶する。

① 自衛隊を国連待機軍と国際緊急援助隊に再編する。 
② 隊員数は両隊合わせて2万人程度とする。
③ 両隊は日本に常駐し、経費は日本政府が負担する。
④ 両隊の指揮権は国連事務総長の任命する国際公務員に委ねる。

これによって、
① 国連創立の目的である集団安全保障の中核部隊ができる。
② 日本国憲法と自衛隊の2律背反性を解消できる。
③ 無制限に拡大する性格の国防費を制限し、産軍複合体の復活を阻止できる。
④ 真に人類の平和的生存に寄与することで、自衛隊員の士気を高め、国民の自衛隊にたいする最大限の協力を得ることができる。
⑤ 日本軍国主義の復活を危惧するアジアの隣国の反日感情を解消し、平和国家としての日本に対する世界の信頼をかちとることができる。

 私がこのような提案をするに至ったのは、ひとつには、学生時代に国連創設を決めたダンバートンオークス会議の記録を読んで、敗戦による人間不信から立ち直るきっかけをつかみ、それ以来、戦争を避け、平和を永続させるには国連を強化する以外に方法はなく、そのために日本は最大限の努力を惜しんではならないと考えるようになったからであった。もうひとつは、小谷さんの翻訳書の多くが、鹿島建設会長の鹿島守之助が設立した鹿島平和研究所の出版会から上梓されることが多く、ここから出ていた本で“ヨーロッパ共同体の父”といわれるクーデンホフ・カレルギー(青山栄次郎)の汎ヨーロッパ主義を知って共鳴をおぼえたからであった。 

その後、NHKの地下にあった資料室で安全保障関係の資料や書籍を読み漁っていて、1959年 6月の雑誌「世界」に掲載されていた坂本義和東大教授の「中立日本の防衛構想」という論文に出あった。当時少壮の国際政治学者として注目されていた坂本さんの論文に私は大いに力づけられたが、基本的に同調できない点もあった。

この中で提案された「中立的な諸国の部隊からなる国連警察軍の日本駐留案」は、1956年の中東戦争に際して国連総会で創設された国連緊急警察軍を下敷きにしたもので、骨子は次のとおりである。
① 日本駐留国連警察軍は、現在の東西対立に対して中立的な立場をとる諸国の部隊から編成する。
② 国連総会において任命された司令官の指揮下に入る。
③ この国連警察軍は常に非核武装でなければならない。
④ その経費は日本国民が負担する。

坂本提案はさらに、この構想の実現性、実現した場合の実効性について検討しているが、検討の対
象が米ソ冷戦下の状況であるので、ここでは省略する。坂本さんが指摘したのは、核抑止は幻想であり、核戦争は起こりうるという前提に立てば、アメリカの核戦略の中に組み込まれた日米安全保障条約にたよるより、国連強化に尽くす方が日本の防衛にとってはるかに安全性が高いという点であった。

 その点については私も同感であったが、その後の冷戦の終結によって、坂本提案がどうなるのかについて、私の基本的な疑問点とも絡んで、新たに敷衍された論文を期待していた。

 それから20年くらい経ってからのことだが神奈川大学で開かれた日本平和学会の総会を取材した際、坂本教授が昼休みに友人とキャンパスを散歩しているのを見かけた。名刺を差し出して一寸話をうかがえないかと問いかけたが、「これから、皆と食事なので」と断られたので、右手の人差し指を挙げて「一つだけよろしいですか? 国連軍の日本駐留構想は、もうやらないのですか?」と訊ねると「そんなことはありません。これからですよ。これから」と答え、ちょっと笑って去って行った。

 坂本義和教授のこの提案は、京都大学系の国際政治学者、田中直吉法政大学教授や、京都大学教授の高坂正顕・正尭父子らから、“非現実的”であるとして激しい批判を浴びた。

 これに対して坂本教授は「日本のメディアなどでは、“理想主義”という言葉があたかも”実現性が乏しい夢“という含みで用いられることが多いが、それは事実ではない」と次のように反論している。第一に、人間にとって”理想”と”現実“を別物のように対立させることは”非現実的である。何故なら、およそ人は生きている限り、生きる目的を持っており、その目的は、まだ十全に実現されていない目標、つまり”理想”に他ならない。第二に、”現実”は歴史的に動いており、人間の目的志向、価値志向によって動かされているからである。また第三に、国際政治の現実の中で、何が起こりうるかを考え対応の選択肢を検討することは、いわゆる”現実主義者”においても、彼らの言う”理想主義者”においても異なることはないが、根本的な違いは現実主義者が国家という抽象的な実体の視点に立つのに対して、理想主義者は身体を持った市民の立場で最悪事態を具体的にとらえるのである。

 確かに”現実主義者“は、現実に埋没し、人間社会の進歩という歴史の歯車を停滞させ、もしくは後戻りさせる危険性があるし、理想主義者の創造性が進歩への原動力であったことは疑いない事実であると私も思う。戦乱の絶え間なかったヨーロッパで、日本人を母に持つオーストリアの若い貴族クーデンホフ・カレギ—が抱いた汎ヨーロッパ主義という「理想」が、今や28か国を包摂するヨーロッパ連合として「現実」になっていることを思うと、坂本さんの所信を一概に否定することはできないだろう。

 前回触れた坂本さんの遺言ともいうべき〝「いのち」をまもるたたかいの研究“ を繰り返し読んで、
平和研究に生涯を捧げた坂本さんが最後の論文の題名に、あえて漢字ではなく、何故ひらがなを選んだのか、それは、より根源的なものに目を向けよという願いを示しているのではないかと私は思った。

 さて、第47回衆議院議員選挙が2日に公示された。前回のブログで、“争点隠し選挙”であり、4年間の白紙委任を取り付ける手段であると指摘したが、大手紙の告示日紙面のリードを読むと、朝日、毎日、読売とも争点は安倍政権の2年間を問う選挙であるとしており、”争点隠し“の方は今のところあまり成功していないようだ。こうした中でNHKだけは、「アベノミクスを最大の争点とする選挙」と安倍政権の主張をそのまま繰り返しており、私には異常な感じがする。しかし、安倍政権の黒幕は、”争点隠し”が成功しないことは織り込み済みで、”争点ばらけ”でも十分だと考えているだろう。焦点がボケれば選挙戦は低調になり所期の成果が得られるからだ。
一方、低投票率で自民・公明の与党に有利という点については、野党側の選挙区調整が前回の3倍程度まで増えているので、今のところこれが議席数にどの程度反映されるかわからない。これから一週間の選挙戦では、私は、この2点がどうなっていくかに注目してみたい。野党側が大幅に議席を伸ばすには、「風」が必要だが、「風」を起こすようなインパクトのある政策も、人物も見当たらないから、多少の変動はあっても、安倍政権と与党の思惑通りの結果に終わる公算が大きい。(M)

< 参考書籍等 >

* 新版 核時代の国際政治: 坂本義和  岩波書店
* 国連とアメリカ: 最上敏樹  岩波新書
* 集団的自衛権と日本国憲法: 浅井 基文  集英社新書
* 憲法9条の軍事戦略: 松竹 伸幸  平凡社

次回は12月20日(土)に < 平和への道筋 ② > の投稿を予定しています。