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トマ・ピケティというフランスの経済学者が書いた『21世紀の資本』という大部の専門書が評判になっています。その日本語版が書店にうず高く積んでありました。経済学の知識に疎い筆者が理解できるようなものではなさそうなので、その入門書を一冊買って読みました。私の理解したところでは、資本主義経済というのは必然的に格差を生み出し、資産を持つ人はますます豊かになり、そうでない人たちはますます貧しくなるということを、歴史的なデータを分析して立証したということのようです。ではその格差をいかにして縮小するかを知りたいところですが、ピケティがそこで提案しているのは、所得に対する累進課税と、グローバルな規模での資産に対する累進課税です。しかし素人が考えて、そんなことが容易に達成できるとは思えませんので、読者は再び振り出しに戻ることになります。

格差の問題はいまや経済だけの問題ではありません。教育における格差も次第に顕在化しています。安部彩『子どもの貧困Ⅱ』(岩波新書2014年)によれば、日本における子どもの貧困は予想外に高く、6人に1人という割合だそうです。「貧困」というと、筆者の年代では飢えたストリートチルドレンを連想します。昭和20年(1945年)に戦争が終わったあと、焼けただれた東京にはそういう子どもが至る所に見られました。上野駅の地下道には孤児となったそのような子どもたちや浮浪者があふれていました。今の若い人には想像もできない光景でしょう。

現代における子どもの貧困は、かつてのストリートチルドレンのように顕在化はしてはいません。しかしその実態は誰もが驚くようなものです。この分野の研究者として知られる安部彩氏の前掲書には、次のような衝撃的な記述があります。これは事実を述べたものです。少し長くなりますが、実態を知るための基本的な情報ですので、そのまま引用させていただきます(注)

「ユニセフの推計(2012)によると、2000年代半ばにおいて、日本の18歳未満の子どもの貧困率は、先進35カ国の中で上から9番目の高さにある。先進国といっても、メキシコからアメリカまでいろいろあるので、これを、一人あたりGDPが3万1000ドル以上の国に限ると、日本は20カ国中4番目に子どもの貧困率が高い国となる。日本の子どもの貧困率は、20%を超えるアメリカに比べると低いものの、5%に満たないアイスランドや、5~10%に収まっているフィンランド、ドイツ、フランスなどと比べると、はるかに高い14.9%である。」

この貧困率の数字を知って驚かない人はいないのではないかと思います。筆者もはじめ、あまりにも高いその貧困率に驚愕し、自分が社会の実態についていかに無知であるかを知って恥じたのでした。幸い、2013年6月の参議院本会議において、「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(略して「子どもの貧困対策法」)が可決成立しました。遅きに失するきらいはありますが、日本でも厚生労働省が中心となって、ようやくその対策に乗り出すことになりました。

貧困は経済の問題に留まりません。教育の問題とも深く関わっています。経済的な貧困は教育的格差と連動しているからです。経済的に余裕のない家庭では、子どもに充分な教育の機会を与えることができません。塾に行かせることも習いごとをさせることもできません。学校教育は格差をできるだけなくすようにしていますが、学校外の生活ではそれが歴然と現れます。前の民主党政権時代に始まった高等学校の授業料無償化は、最近の教育政策の中では画期的なものです。しかし親の負担しなければならないものは、授業料以外にもいろいろとあります。教科書(義務教育では原則として無償ですが)、参考書、学習器具、制服、部活動のための服装や器具など、さまざまな物品にかかる費用はほとんど親が負担しなければなりません。当然ながら、親の経済格差がそこに反映します。貧しい親をもつ子どもは、必要なものも買ってもらえません。そのために部活を断念したり、仲間外れにされたりします。そこには望ましからぬ格差が必然的に生じます。格差は差別につながり、ひいては公教育の基本原理である「機会の平等」という理念から遠ざかることになります。

さらに事態は深刻な事態へと発展します。公立学校にはどこにも貧困家庭の子どもたちがいて、そのことを好ましくないと考える父母がいるものです。そういう親たちは子どもを私立学校へ入れたがります。特に1970年代後半から1990年頃までの日本経済の爆発的成長期と最盛期には、そういう傾向が顕著に現れました。当時の私立学校は公立学校の4倍以上の経費がかかると言われましたが、多くの父母は無理をしても子どもを私立に入れようとしました。その傾向は、東京などの大都会では、今も続いています。2011年度から始まった小学校への英語教育導入の背景には、そのような事情があります。つまり、多くの私立小学校で実施している英語教育を公立小学校にも取り入れなければ、教育の機会均等の原則が保てないという現場からの声です。このことが文科省を動かし、小学校に英語教育を導入することになった決定的要因であったと筆者は考えています。

ところで、これほど多くの貧しい子どもを抱えながら、日本の子どもたちは国際学力テスト(PISA)で、ほとんど毎回、非常に良い成績をあげます。教育に支出する国の予算が先進国中でも最低レベルだというのに、これはいったい何故なのでしょうか。まるで奇跡のようです。その主要な理由のひとつは、明らかに、親が無理をしながらも莫大な私費を子どものために投じていることにあります。それならば、現在のままでもよいではないか、と言う人もいるかもしれません。資本主義経済の持続を望む政治家の多くも、たぶんそう考えているでしょう。しかしこれは危険な考え方です。このままの状況が続くと、子どもの教育機会や学習意欲が親の所得によって決定される傾向がますます強まることになります。学校教育において、親の所得によって機会の不平等が生まれ、子どものその後の人生が決定づけられるというような事態が生じれば、その人々は学ぶ意欲を失います。そういう人たちが増えていけば、活気のない停滞した社会になることは必然です。少なくとも子どもには将来の可能性を等しく与える教育政策が求められます。そしてこのことは、私たちの英語教育とも深く関わっています。

(注)ユニセフのこの調査で、貧困率が10%以下の先進国を低い順に列挙すると、次の11カ国です:アイスランド(4.7)、フィンランド(5.3)、オランダ(6.1)、ノルウェー(6.1)、デンマーク(6.5)、スウェーデン(7.3)、オーストリア(7.3)、スイス(8.1)、アイルランド(8.4)、ドイツ(8.5)、フランス(8.8)。また日本よりも貧困率の高い国は、イタリア(15.9)、スペイン(17.1)、アメリカ(23.1)の3国です。ここから日本の子どもの貧困率14.9%が非常に高い数値であるかがはっきり分かります。そしてこの高い貧困率の一因となっているのは、日本における「ひとり親」(特に母子家庭)の貧困率が際立って高いこことが挙げられます。厚生労働省の2009年の調査によれば、それはなんと58.7%という驚くべき数字になっています。母子家庭の半分以上が貧困に苦しんでいるのです。