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(217)< 人権大国への道 最終章 >

6.50年後の人権大国を目指して

③ ベクトルを変えるには : 「日本人権党」の創設

 内閣府が昨年6月に行った日本の将来像に関する世論調査によると、「50年後の日本」の未来は現在よりも明るいと思うか、暗いと思うかという問いに対して、明るいと答えた人の割合が33%であるのに対して、暗いと答えた人の割合は60%で、ほぼ2倍に達している。多くの国民がこの国の将来に漠然とした不安を感じているのであるが、私は、これまで述べてきた所与の条件を考えれば、当然だろうと思う。だから私は、この国のパラダイムをなるべく早く変えなければならないと考えるのである。50年後といえば、今年生まれた子供たちが社会の中核を担う時代である。この子供たちに、持続可能な、より良い社会をひきつぐ責任は今社会の中核をなす人たちにある。

 「社会を変えるには」という小熊英二の著書は、新書版売上第一位だということで、日本には”社会を変えたい”と考えている人達が結構いるようにも思える。また、トマ・ピケティの「21世紀の資本」やその解説書が日本でも経済書としては異例のベストセラーとなっていることは、今の世界や日本がどこかおかしい、このままでよいのか、と感じている人が増えていることをうかがわせる。その根底にあるのは、内閣府調査が示すように、この国の現状に対する不満と将来への不安であり、それに正面から向き合おうとしない政治への不信といら立ちの現れでもあるだろう。確かに、次の選挙のことしか頭にない政治家達は目先の対応に追われて、「人口減少」「食糧危機」「地球温暖化」「資本主義の末期症状」「核の脅威」など人間社会が直面しつつある根源的な問題に正面から取り組もうとせず、先送りしている。

 私はこれまでこれらの根源的な問題についてかなり詳しく自分の考えを述べてきたし、社会が向かうべきパラダイムについても自分なりの意見を提案してきた。ではどうすれば社会はかえられるのか。世の中を変えようと思えば武力革命がいちばん手っ取り早いが、ロシア革命は70年ほどで潰えたし、間もなく70年になる中国革命もうまくいっているようには思えない。何故なのか。武力や暴力では、人間の意識は変わらないからではないかと私は考えている。だから、社会を変えるには、意識の変革、発想の転換、つまりベクトルの変更が必要だと思うのである。そして、その役割を果たすのは、政治とマスメディアの影響力を含めた教育である。
 
 政治については、前回述べたように、民意を反映できるような ① 選挙制度の改革 ② 首相公選制の導入 がベクトルの変更に大きな役割を果たすと考えている。ただ、そのような改革が出来たとしても、日本には、いまのところ本当に民意を反映できるような政党がない。そこで私は、「日本人権党」の創設を提案したい。

 私の考える「日本人権党」の綱領の第一は、勿論「人権の尊重」具体的には「いのちをまもる」「4つの自由」の保障であり、目標は、「自由と公正」を規範とする社会の構築である。それはとりもなおさず、今は空文化、死文化している日本国憲法の人権条項の実現ということになる。そしてその中核は、人間同士の殺し合いである戦争を絶対悪とする前文ならびに第9条の遵守である。戦争世代である我々が体験したように、自由も民主も公正も、一旦戦争が起きれば根底から吹っ飛んでしまうからである。

 私は、「日本人権党」の創設に当たっては、西ドイツ緑の党を一つのモデルとして学ぶ必要があると思う。
 西ドイツ緑の党は、1980年3月 下記の4つの原則からなる綱領草案を採択している。
1 自然の搾取、略奪、破壊に抗議し、見渡すことができ、自ら決定し、自給する経済、行政、社会システムを構築する
2 外部からの強制を受けず、人間が自然環境や自らの願望、欲望と調和しながら自らの生を共に連帯して構築する
3 底辺民主主義の徹底。 党役員、議員らの底辺からの絶えざるコントロール
4 非暴力
 緑の党はこれらの原則に基づく理想主義的な運動を展開したがゆえに、現実との相克の中で20年近くにわたり試行錯誤をくりかえしたが、次第に州議会から連邦議会へ進出し、ドイツ政府が脱原発を決定する原動力となった。結党に当たっての綱領草案の精神は今も失われていない。現在緑の党は世界30か国に存在して、国際組織「グロ−バル・グリーンズ」を結成している。

 教育については、先の<教育についてのシリーズ>で、自分で体験し、考える学習の重要性を強調したが、先般中央教育審議会が文科省の諮問を受け“ active learning” の導入の検討を明らかにしたことに注目したい。文科省や中教審の意図が奈辺にあろうとも、自ら考える人間が増えれば、一部の指導者の言動に国民が引きずられる危険性は相対的に低くなり、社会が底辺民主主義へ変わっていく可能性が高まるからだ。

 最後にマスメディア、特に日本においては大手新聞とNHKが国民意識に与える影響力がベクトルの変更にかなり決定的な影響力を持つものと思う。現状では、私の考えるパラダイムとは真逆の方向へベクトルを変えようとするメディアの力が優勢になっていると感じている。いわゆる在京6紙(発行部数はABC協会調査)の動向について、「安倍官邸と新聞・・2極化する新聞の危機」は次のように分析している。

読売(986万部)朝日(760万部)毎日(342万部)日経(288万部)産経(167万部)東京(52万部)は原子力政策や安全保障政策など政府の重要政策について読売・日経・産経(合計1441部)が賛成、朝日・毎日・東京(合計1154部)が反対と論調が真っ二つに分かれる”2極化現象“を起こしており、安倍政権はこの分裂を巧みに利用してマスメディアを操作している。評論家の半藤一利は作家の野坂昭如との往復書簡の中で、安倍政権のやり方を見ていると「権力側には狡智に長けたものがいるようです」と評しているが、私も同様に感じている。

 また、NHKについては、安倍政権が送り込んだ籾井会長の下で、幹部が過度に会長の意向を忖度し、職員は息苦しさを感じていると伝えられている。要するに自己規制が蔓延しているということだろう。今回の「イスラム国」による日本人人質殺害事件のニュースをfollowしながら、残念ながら私もそう感ぜざるを得なかった。長年NHKを取材してきた元日経新聞記者で、私もNHK労組の放送研究集会で意見を交わしたことのある松田浩は新著「NHK」の中で、「政府のトップ人事支配によってNHKの公共放送としての独立性が脅かされ、政府の国策放送(広報宣伝機関)へと変質しかねない事態が進行している」と述べ、この本の帯では、これを、政権によるNHK乗っ取り作戦と表現している。

 大部数主義に頼る日本の大手新聞と受信料で成り立つNHKは、国民意識に逆らっては存立できないから、ベクトルが変わると、戦前回帰の方向へ急速に進む危険性が強いと危惧している。同時に、あまりにも強引な現政権のやり方は、いつか破綻するのではないかとも思っている。 50年後の日本へ向けてベクトルはいずれの側へ変わるのだろうか。 今この国は重大な岐路に差し掛かっているように思う。(M)

< 参考書籍等 >
* 緑の党 新しい民主の波 : 永井清彦  講談社現代新書
* 緑の党 なぜいま緑の党か : 小野一  講談社選書
* 安倍官邸と新聞 2極化する報道の危機 : 徳山喜雄  集英社新書
* 半藤一利と野坂昭如の往復書簡 : 通販生活 2015年春号
* NHK 新版  危機に立つ公共放送 : 松田浩  岩波新書

* 次回は2月14日(土)に<人権大国への道 最終章>(おわりに)を投稿する予定です。