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(1)名古屋の女子大学生による殺人事件は、世間に大きな衝撃を与えました。しかも本人は、「“誰でもよかった。名古屋大の卒業生で死刑になった者はまだいないだろう”といった趣旨のことを述べている」と報じられました。テレビでもラジオでも、大騒ぎで報道していましたが、すぐに過去の出来事として、忘れ去られようとしています。

(2)私はこういう事件が繰り返されないようにするためには、もっと“人間性の本質に関わる問題”を考えるべきだと思っています。と言いますのは、ちょうど1年前に、女子高校生が同級生を殺した福岡の事件について、このブログで論じたことがあるからです。それは、『母性本能の喪失』と題したもので、「女性の母親としての本能が失われつつあるのではないか?」という問題提起を意図したものでした。人間は動物としての本能を残している半面、発達した頭脳の働き、つまり“理性”のお陰で、お互いの存在を認める態度を守ってきた面があると思います。

(3)ところが近年は、そのバランスが、しばしば崩れてきているのです。私が『母性本能の喪失』と言うのは、女性だけを差別する意識からではありません。男性は外で働いて、家族を養う義務を忠実に果たしてきました。しかし、近年は会社での人間関係がうまくいかずに、家族に暴力を振るったり、分かれ話を切り出した恋人をすぐに殺したりしています。つまり、理性よりも動物的な本能が強く働くようになってきたように思うのです。

(4)話は変わりますが、昨年末に、昨年の1年間で最も顕著なことを1つの漢字で表すと「税」だと発表されました。私は、「税金」の問題も社会問題として看過できないものですが、「ちょっと芸がないな」と思いました。私だったら、“乱”を選んだと思います。“反乱”の“乱”で、昨年から今年にかけて世界中で、“反乱”が起きています。身近な問題では、“日本語の乱れ”があります。不必要で、間違いのある英語の文句を挿入した歌詞の氾濫がその具体例です。このことは、『年末年始のテレビ・ラジオの番組』というブログでも問題にしました。

(5)日本語には、“曖昧性”があることは確かです。しかし、これは必ずしも“短所”ではなく、長所でもあります。年度初めに、新入社員が先輩社員に、「今年入社しました・・・です。よろしくお願いいたします」と挨拶をします。ある日本語の少し分かるアメリカ人から、「誰に何をお願いするのか?」と尋ねられたことがありますが、英語の発想から言えば理屈に合わないことも、日本人同士ならばお互いに了解出来るのです。

(6)国会における審議の中継放送などでは、政治家もやたらと“英語混じりの言葉”を使うことが多いようです。「そんな議員に、教育問題の法律など決めて貰いたくない」と思うのは私だけでしょうか?世の中どこも“乱れて”います。「今のうちに、何とかしなければ、取り返しがつかなくなる」と私は心配します。

(7)「犬の死骸が大量に河川敷などに放棄されていた」というニュースもありました。多数の動物を殺し、その死骸を放棄して平気なような人間は、やがて人間を殺すことも平気になるでしょう。1997年(平成9年)には、神戸で男子中学生による連続殺傷事件がありました(酒鬼薔薇事件)。発端は動物の殺傷でした。こうした行動は、やがて戦争へと発展すると思います。「そんな見方は、自虐的過ぎる」と反論する人もいるでしょうが、私は、世界中が“悲観すべき状態”になっていると考えています。(この回終り)