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(1)しばらく私用で多忙でしたので、久しぶりのブログです。その間に、安倍首相の米国上下両院における英語でのスピーチがあって、様々な報道やコメンントがなされました。ある放送局では、「憲法は改正すべき」が51%%、「すべきでない」が49%といった放送をしていましたが、これはほとんど意味が無いと私は思いました。

(2)“憲法改訂”のような大問題を、賛成か、反対か、だけでその数字を示しても意味が無いでのは、個人個人によって、その理由や根拠が大きく異なっているからです。TBS ラジオ“荻上チキ・南部広美”の番組では、与野党の政治家や評論家を集めて討論をしていましたが、こういう形の議論が必要だと思いました。それでも、2時間足らずの時間では物足りなさが残りました。

(3)平日と土曜日の早朝にキャスターをしている“生島ヒロシ”は、司会とCMを兼ねていますが、安倍首相の英語について、「あれでは全然通じませんね」とコメントしていました。全く通じない英語でしたら、要所であれほど拍手が起きなかったでしょう。その内容に賛成か反対かは別として、外国の首相の話に耳を傾けるのは礼儀として当然のことです。別の機会には、米国の議場で人権問題の話し合いをしていましたが、北朝鮮の代表が指名もされないのに発言をし出したので、議長は「マイクを切りなさい!」と大声で命令しました、討論の在り方として当然のことです。

(4)話を戻しますが、“キャスターの生島ヒロシ”は、苦労して米国留学をしていますから、英語にはかなり自信を持っています。しかし、キャスターとしては珍しく、同じ番組の中で、CMも担当しています。例の“聞き流すだけで話せるようになる”という英語教材の宣伝も担当していますから、“安倍首相の英語では通じない”と言ったのでしょう。ある意味での“公私混同”で、無茶苦茶なコメントだと思いました。日本のジャーナリズムのレベルの低さが気になります。

(5)国会が始まると、野党は安倍首相の米国での発言を取り上げて、“国会を無視して米国と勝手な約束をした”と責めることでしょう。しかし、安倍首相はそんなことはとっくに計算済みで、うまく言い逃れると思います。彼ほど悪知恵の働く政治家はいないと思います。彼は特に“北朝鮮”と“中国”1が大嫌いです。では、なぜ嫌いな“北朝鮮”と交渉して、“拉致問題調査の委員会を発足させる”という言い分だけで、安倍首相が自ら課していた制裁の一部を解除までしたのでしょうか?私の推測では、2002年頃に小泉元首相が、北朝鮮に日本人拉致を認めさせて、数名でも拉致されていた日本人を連れ帰った姿が、安倍首相には羨ましく見えて、“自分もあのような格好良さを日本国民に見せたいと願ったのだと思います。

(6)米国のハーバード大学での講演では、学生から“慰安婦(comfort women)”のことを尋ねられて、“私たちはそういう事実に決して背を向けてはならないと思います”といった趣旨の答をしたと伝えられました。私はこういう返答の仕方は、彼の常套手段だと思っています。実際は、少しも反省や同情の気持ちを含んでいないのです。1

(7)他の例では、閣僚の不祥事が発覚して、その大臣が辞表を出すと、野党は首相の任命責任を追及します。彼は、“任命責任は私にあります”と明言します。そして、与党からは、“任命責任を認めているのだからいいではないか”という声が出て、そこの問題は曖昧のまま消えてしまうのです。確かに、閣僚が辞める度に、首相も辞めるようでは日本の政治そのものが成立しなくなります。ではどうすべきでしょうか?私は、総理大臣は問題の閣僚の辞表を受理する前に、その大臣の首を切るべきなのだと思っています。問題の閣僚に対して、“お前は見込み違いだったから辞めてもらいます”と言えばいいのです。安倍首相はこういう発言をしたことがあったでしょうか?

(8)このようなあ問題になると、“結局は選挙で投票する国民がバカだから”という評論家がいますが(TBS ラジオ “デイキャッチ”)、“なぜ国民が無知なのか”とか、“国民を啓蒙する教育はどうあるべきか”まで考えなければ意味が無いと私は思います。日本の政治問題とその批判はまだまだ未成熟です。(この回終り)