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「多文化の中に生きる」と言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、グローバル化した現代においては、私たちは否応なく多文化の中に生きています。まず私たちの生活の基盤である衣食住を考えてみましょう。皆さんは日本の伝統的な衣服である和服を着ることがありますか。学校の教師をしていたときには、私はたいてい洋服(背広にネクタイ)でした。和服を着る必要はまったくありませんでした。停年になってからはジーパンにTシャツを基本にしています。時々背広を着る必要が生じますが、とても面倒に感じます。

食についてはどうでしょうか。わが家の朝食はいつの頃からかパン食になって、ご飯に味噌汁という伝統的な朝食は消滅しました。昼食と夕食はたいてい家で作りますが、和食あり、洋食あり、中華ありで、その時の気分で何でもありです。半分くらいは伝統的な和食にしますが、時にはそば、うどんなどの麺類にしたり、スパゲッティー、マカロニなどのイタリア風パスタにしたり、たまにはステーキを焼いたり、朝鮮料理の焼き肉にしたりという具合で、まことに多文化的です。住宅はもともと和風の家だったのですが、三度増改築したために現在では畳の部屋は一つもなく、外見は和風ですが、中身はほとんど洋風ということになってしまいました。

現代の日本社会では、衣食住に関しては非常に多様になりましたが、他の分野ではどうでしょうか。日本は真に多文化を享受している社会だと言えるでしょうか。いちばん難しいのは、自分たちと異なる文化を持つ外国人との共生の問題です。日本人はそういう人々と仲良く暮らしているでしょうか。日本は全般的に、外国人にとって暮らしやすい国でしょうか。日本に住む外国人にとってどのような壁があるのでしょうか。

日本は単一民族の単一文化であると考えている日本人は案外に多いようです。農村の一部にはそういう古来の伝統を重んじる生活が今も残っているのかもしれませんが、都会では多くの人々は多文化的な生活をしており、周りにはいろいろな外国人が住んでいます。そもそも日本人は、単一の民族から成り立っているのではないようです。この東海の島国には、西に横たわる広大な大陸と南の海に点在する無数の島々から、いろいろな人種や民族や部族が移住してきて混じり合い、長い年月を経て現在の日本人になったと考えるのは自然なことです。国語学者の大野晋(1919―2008)が、かつて、日本語は南インドのタミル語と深い関係があると主張して研究者たちを驚かせましたが、遠く縄文時代や弥生時代までさかのぼれば、タミル語が稲作文化と共に日本に入ってきたと考えるのは、さほど突飛なアイディアではないように思われます。

現在の日本人の民族的構成はどのようになっているでしょうか。近年、多数の外国人が日本に住むようになっています。法務省のデータによれば、平成25(2013)年度末における在留外国人数は、中長期在留者数が169万3,224、特別永住者数が37万3,221で、これらを合わせた在留外国人数は206万6,445人となります。国別では中国から66万8千余でいちばん多く、次に韓国・朝鮮の54万2千余、以下ブラジル、フィリピン、ペルー、米国、ベトナムと続きます。ちなみに在留外国人(人口100人あたり)の全国平均は1.63人で、1位の東京は3.07人です。これらに短期の外国人滞在者(「来日外国人」と呼ばれる)を含めると、当然のことながら、その数はもっと多くなります。

日本の総人口から見て、在留外国人の数はさほど多いとは言えないかもしれません。しかし総人口1億2千600万に対して200万余というのは、その人たちの存在を無視することはできない数です。日本の人口がすでに減少しはじめ、その減少速度が次第に増すことを考えると、これからさらに多くの外国人が定住してくることは確実です。むしろ、外国人の存在なしには日本の社会が成り立たなくなっています。そのような人々との文化的摩擦を軽減し、友好的かつ平和的な関係を創り上げて行くことは、日本を安全で住みやすい国にするために非常に重要なことです。

単なる観光目的ではなく、中長期にわたって日本に住む外国人にとって重要なことの一つは、基本的人権が保障されていることです。この点で日本の法律は不完全のそしりを免れません。たとえば参政権に関しては、在日外国人には国政選挙だけではなく、地方選挙にも投票権が与えられていません。「OECD加盟30カ国およびロシアにおける外国人参政権」を調査した資料によると、国政の選挙権を認める国はごく僅かしかありませんが、地方選挙権をまったく認めないのは日本だけです(注)。これは民主主義国の国民として恥ずかしいことです。外国人を国や地方の政治からいっさい排除するなどという考えは、他の民主主義国では考えられないことなのです。

そして何よりも大切なのは、日本に住む外国人たちが直面するであろうさまざまな壁をどのようにして取り除くかについて、もっと多くの日本人が関心を持つことです。そうすることによって、その人たちと共に仲良く生きることができる社会を創り上げていくことです。それは時に日本の文化と他の文化との葛藤の中から苦しみながら生れてくるものであるかもしれません。質を異にする文化が出逢うとき、そこにはかならず軋轢が生じ、それを克服するために多大のエネルギーを必要とするからです。しかし日本の国土とそこに住む人々を愛する私たちは、そのような葛藤から逃げるのではなく、それらに積極的に関わって克服していくことが重要です。優れた文化は新しい文化を創り出すパワーを持ちます。次回にはそのような文化のパワーについて、いくつかの例を上げて考察します。

(注)ここでふれた外国人参政権に関する資料は、田中宏『在日外国人―法の壁、心の溝 第三版』(岩波新書2013)によります。著者の田中宏は、この資料について次のようにコメントしています。「日本の少子高齢化の進展は着実に進み、人口減少時代を迎えている。外国人の存在なしには社会が成り立たなくなりつつある。今まで自国民中心主義の社会、外国人を疎外する社会から、外国人、民族的マイノリティとの共存、共生を育む社会に舵をきらねばならないのである。日本が地方参政権を開放すれば、玄界灘をはさんだ東アジアの一角に、“EUの卵” が生まれることになる。」(261頁)