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21世紀を生きる私たちの課題は、平和な世界を作るために、文化の違いや衝突を乗り越えて、各人がいかに多くの人たちと隣人となれるかを問われていると思います。その道はたぶん多くの選択肢があり、どの道を選んでも平坦ではありませんが、その目標を目指して前進しなければ、遅かれ早かれ、人類は滅亡の危機に瀕することは明らかです。前途に希望を失う人が多くなったら、もう滅亡は目前に迫っています。もはやそういう事態が刻々と近づいているという人もいますが、筆者などはまだ諦めるのは早い、人間が神から与えられている最善のものを引き出すことによって、前途に光明を見出すことができると考えています。

現在の世界を眺めてみると、至るところに民族や国家の対立があります。そしてその根底には、たいてい、文化の違いがあります。中には、人間たちが本気で殺し合いをしている地域もあります。第二次大戦で負けた後、私たち日本人は予想外の展開で平和憲法を手にし、それから70年間、かつてない平和を享受してきました。そういうわけで、戦後に生まれた日本人の多くは、戦争における殺し合いの悲惨さを経験していません。ですから、世界各地で行われている紛争や地域戦争が、自分とは全く関係のない遠い国の出来事のようにしか見えないのでしょう。そんな若者の中には、戦争を実際に経験してみたいと思う人も出てくる始末です。本気というよりも、ゲーム感覚なのかもしれません。そういう国民の平和ボケのスキを突いて、平和憲法を改訂して再び戦争のできる「普通の国」にしようとしているのが現在の安倍政権です。

最近、イアン・J・ビッカートン著『勝者なき戦争―世界戦争の200年』(高田馨里訳 大月書店)という大きな書物が刊行されました(注)。この本で著者は最近200年間に起きた戦争を精査し、それらが関係諸国にもたらした結果を歴史的に評価しようとしています。彼の結論は、歴史上のいかなる戦争も、得られる益よりも失う犠牲のほうが大きいということです。日露戦争では日本が勝利したことになっていますが、賠償金も領土の割譲も期待したほどのものではなく、国民は大いに失望しました。しかし大国ロシアに勝ったということで、日本の軍部は自分の力についての誤った自信を持つようになり、それがその後の国策の決定に大きな影響を与えました。あげくの果て、世界を相手にして戦うという、愚かな戦争にのめり込むことになったのでした。

そして第二次大戦は、ドイツと日本の敗戦によって終わりました。しかし負けたはずの両国は、愚かな戦争を引き起こしたことを反省し(ただし反省の仕方はかなり違う)、ひたすら低姿勢を貫いて平和を保ち、黙々と自国の再建に励んだ結果、今や世界でもっとも繁栄する国家の仲間入りをしました。一方、勝ったはずの米英や他の連合国は、この70年間、どう見ても勝者の繁栄を享受してきたとは思えません。特にアメリカは、第二次大戦後も次々に戦争に従事しました。ベトナム戦争ではひどい目に遭いました。イラク戦争はどう見ても大失敗でした。そして今や、かつての戦勝国アメリカにはもはや世界の混乱を止める力もなく、自分の身を守ることで精一杯のように見えます。戦争は誰が考えても愚かな解決手段です。それは常に解決よりも混乱をもたらします。それでも戦争が止むことがないのは、戦争によって利益が得られる者、また得られると信じる者がたくさんいるからです。

戦争で利益を得る者、また得られると信じている者が存在する限り、戦争は無くなりません。世界の人々が等しく繁栄を享受し、真の平等が達成されれば戦争は無くなると考えている人がいます。しかし現実には、そのようなユートピア的世界が近い将来に創出されることがあるとは考えられません。一部の人々が経済的に繁栄を誇る一方で、そこから落ちこぼれる人々が多数存在することは、事実として認めざるを得ないのです。そのような不平等をできるだけ縮小するよう努力することはもちろん重要ですが、それだけで戦争を無くすことはできません。戦争を無くす運動は、絶対に戦争をしないという国や地域を創設するところから始めるのが現実的です。スイスは永世中立を宣言し、それが国際社会で認められています。EUは戦争を放棄したわけではありませんが、かつて敵対していた国々が連合して一つの共同体を形成しました。そして日本は、戦後に作られた憲法によって、戦争を放棄することを誓いました。

筆者の考えるところ、日本が戦争に巻き込まれないための条件が三つあります。第一は、いかなる事態に立ち至っても、この国は絶対に戦争をしないと決意することです。そのためには現在の憲法(特に第9条)を保持することが前提です。これが国民的支持を得ている限り、日本が戦争に巻き込まれる危険は小さいと思われます。今の安倍政権がやっているように、戦争好きなアメリカに追随するような安全保障政策を進めるのは非常に危険であり、大局的見地からすると、完全に間違っています。

次に重要なのは近隣諸国との関係を正常化し、互いの歴史や文化を対等な立場で学び合うことです。特に中国と韓国との関係が重要です。その外交関係が最近非常に険悪になっているのは非常に憂慮すべきことです。これが現在のように悪化したのにはいろいろな原因があるのでしょうが、最大の原因は安倍首相の「戦後レジームからの脱却」という選挙標語から来ています。これを聞いた中国と韓国は、日本の首相が先の日本による侵略戦争を正当化しようとしていると感じたのです。当然のことです。そして首相の靖国神社参拝という行動がそれを裏付けるものと捉えました。戦争の傷跡は70年では完全に癒えていません。今も戦時中のつらい経験や事実が明るみに出ています。まだまだ尽きることはないでしょう。日本国民の大部分はかつての戦争に直接的責任はないかもしれませんが、自分たちが被害者であったというだけではなく、自分たちも日本人として、かつて加害者の立場にいたということをしっかりと認識すべきです。

日本が戦争に巻き込まれないようにするのに必要な第三の条件は、できるだけ多くの日本人が文化の力を身につけることです。そして人間としての普遍的価値を追求し、その価値に基づいた話し合いの文化を築き上げることです。文化の力をつけるためには、以前に述べたように、他の言語と文化の学びが必須です。一人で学ぶことのできる言語や文化の数は限られていますが、これからの時代には、日本人一人ひとりが他の異なる言語と文化を学ぶことによって、世界のより多くの人々と善き隣人となることが求められているのです。

(注)イアン・J・ビッカートン(Ian J. Bickerton)は1938年生まれ、英国ニューサウスウェールズ大学名誉教授で近代史の専門家。『勝者なき戦争―世界戦争の200年』については、作家の島田雅彦が書評をしています。彼はその中に次のように書いています。「アメリカが矛盾だらけの中東軍事介入を行い、実質、タリバンやISなどのテロリスト集団を育成する結果になった今日、戦争は国家間の武力衝突から、テロやサイバー攻撃、経済戦争の形で日常に潜在するものになった。戦争で勝利した国も平和維持のための軍事負担によって滅びたという世界史の法則を顧みれば、どんな国家も極力敵を少なくすることでしか平和を維持できないことは自明である。」(朝日新聞読書欄2015年7月5日)