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前回の「自立」(independence)に続いて今回は「創造(性)」(creativity)に関する問題を取り上げます。近年はあらゆる学びにおいて創造ということが話題になっています。母語や外国語の学びにおいても創造がしばしば話題になります。以前は芸術家が創造を語るのは当然のことと考えられていましたが、外国語の教師が創造を語ることはなかったように思います。なざなら、言語は社会的な制度であり、特定の言語を習得することは自分の住む土地の言語使用のしきたりを習得することであり、言語記号そのものが社会に承認された暗黙の記号体系だと考えられていたからです。これは20世紀初頭に現れたスイスの言語学者ソシュール(Ferdinand de Saussure1857-1913)の考え方が大きく影響しています。

また、ソシュールに次いで20世紀前半を主導していた「行動主義心理学」の言語観も大きく作用していました。そこでは、言語使用は一連の刺激・反応のパタンの習得として捉えられていたのでした。 “Thank you.” と言われれば即座に “You’re welcome.” と反応します。複雑に見える言語も、その要素に分解すれば、すべてこのような刺激と反応の体系に還元できると考えたのです。したがって、そこでの言語の学びは、模倣と反復による一定の言語パタンの習熟と考えられていたのでした。筆者が大学で学習心理学を専攻していた時代(1950年代前半)がそうでした。そこでの学習に関する心理学実験はほとんどネズミやネコを用いて、彼らがどのように新しい刺激・反応の結びつきを学習していくのかを観察することでした。言語使用のような複雑な人間の行動もモデルの模倣・反復の強化によって獲得される、とまじめに考えられていたのです。

しかし模倣と反復による言語の学びには限界があります。言語のパタンを分類し、その一つひとつのパタンを模倣と反復によって完全に記憶して言えるまで練習しても(その練習法を「パタン・プラクティス」と呼ぶ)、自分の言いたいことが言えるようにはならないことがはっきりしたからです。確かに、教室で特定のパタンをドリル(徹底練習)することによって、その表現をネイティブ・スピーカーなみに流暢に言えるようになります。たとえば “Hi, what are you doing there?” —“I’m watching those birds up there.” という表現を教室で記憶し、それを反復練習によってほとんど完璧に言えるようにし、文の中の要素(単語や語句)をいくつか入れ替えて応用ができるようになったとします。ここまではしっかり「ドリル」をすれば、教室ではたいていの生徒はついてきます。

ところが、教室から一歩外に出て実際に英語を使用する場面になると、うまく出てこないことが多いのです。 “Thank you.” —“You’re welcome.” のような定型表現ではうまくいくでしょう。しかし実際に使われる言語は非常に複雑で、教室で行うパタン・プラクティスのようには行きません。たとえ教室で練習した通りであっても、それが自分の知っているどのパタンであるかを認知するのに手間がかかります。会話を行っているときには、そんなことを考えている余裕がありません。しかも言語のパタンというのは、細かく分類をしていくと、その数はどんどん増えていって、収集がつかなくなるほどの数になります。そういうわけで、日本でも一時(1950年代後半から1970年代にかけて)隆盛をきわめたパタン・プラクティスの有効性が、しだいに疑問視されるようになりました。今日では、それは定型表現の練習やスピーキングの流暢さのドリルとして、授業の一部に取り入れられる程度になっています。

このような行動主義的言語観を批判し、それに真っ向から挑戦して新しい言語研究の道を切り拓いたのが、1950年代に彗星のごとく現れた米国の言語学者ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky 1928- )でした(注)。彼の新しい言語理論は、行動主義とは違って、言語使用の創造的な面を扱おうとしました。ここで「言語使用の創造的な面」とは、言語は無限に多くの思想を表現することのできる仕組みであり、次々に現れる新しい場面において、それぞれにふさわしい表現の仕方を創り出していくことのできる言語使用者の能力です。ですから言語の文法は、そのような能力の説明に役立つ手段を提供するものでなければなりません。したがって、それは第一に、文を解釈したり、産出したりする場合の規則的操作を正確に記述するものでなくてはならないのです。

そのようにしてチョムスキーの文法は1950年代の終り頃から20世紀末に至るまで、世界の言語学会をリードすることになりました。現在のチョムスキー文法(生成文法と呼ばれる)はあまりにも専門化したために、文法の素人には分かりにくいものになりましたが、細かい点はともかく、人間の言語使用が創造的な面を持っていることは現在では当然のことと考えられています。

しかしここで、言語使用における「創造」という言い方に違和感を持つ方もおられるかもしれません。芸術家が何かを創作する活動と、私たちが言語を使用するときの活動は違うのではないか?というようなことです。しかし「創造」ということを、「無から有を生じさせる」というような狭い定義にこだわる必要はないでしょう。旧約聖書『創世記』の冒頭の一句、「初めに神は天と地とを創造された」も、神が無から有形の天地を創られたのだと考える必要がないのと同様です。人間には無を有に変える力はありませんし、神がそういう力を持っているかどうかは私たちには分かりません。それは神学的問題ではあっても、現実を生きる私たちにはあまり関係がありません。私たち人間は、自分の利用できるものを利用することによってのみ、新しいものを産み出すことができます。言語の場合には、自分たちにすでに与えられている言語に関する有限の音韻や語彙を素材にして、自分自身の考えや思いを表わすための新しい表現を産み出すことが、すなわち私たちの創造的活動なのです。それは時に既に存在するものとあまり変わらないこともありますが、そのような活動から新しいものが無限に産み出される可能性があります。

(注)ノーム・チョムスキーは、米国マサチューセッツ州にあるMIT (the Massachusetts Institute of Technology) の言語学および言語哲学の研究所教授兼名誉教授。彼が行動主義理論を批判し、新しい言語理論を提示して世に知られるようになったのは、  ‘Review of Skinner’ (1957) というLanguage に掲載された行動主義言語学に対する批評論文と、同年に出版されたSyntactic Structures (1957) という著書によってです。彼の開発した文法理論は「生成文法」(Generative Grammar)と呼ばれ、人間の持っている言語能力(自分の言語で無限に新しい文を作ることができ、その言語で許されない文を聞くと即座におかしいと感じる能力など)はどのようなものであるかを明らかにしようとする。彼の業績は言語学だけではなく、数学・心理学・コンピュータサイエンスなどにも及ぶ。また、ベトナム戦争の痛烈な批判でも知られ、戦争・政治・マスメディアなどに関する100冊以上の著書を著している。一般のアメリカ人には、言語学者としてよりも反戦論者として知られている。