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統計数字の裏に見えるもの ③ 資源の自給率

 調査とか統計の数字は、前提条件に問題のあるものも多いから、そのまま信ずるわけにはいかないが、社会の動きを知る上で欠かせないものの一つではある。今回は、食糧など資源の自給率をとり上げたい。

< 日本の自給率 > 

1.食糧 39%:自給率は1960年には80%近くに達していたが、コメからパン、魚から肉への食生活の変化や、足りなければ輸入すればよいとする政策によって、半世紀で半減した。主食用のコメの生産は毎年8万トンづつ減り続け、800万トンを割った。
2.エネルギー 6% :自給率は1960年には60%だったが、石炭から石油へのエネルギー政策の転換によって10分の1に減った。OECD加盟国34ヶ国中31位。1位はノルウェーで677% アメリカ85% イギリス61% フランス52% ドイツ40%。韓国は18%で30位。
3.水 : 50%以下:日本の年間降水量は1700ミリで世界平均の倍。水は豊富であるかのように見えるが、水資源という点から言うと、大量の食糧を輸入することによって、その生産にかかった水(virtual water仮想水)を海外に依存していることになる。その量は年間600億トンを超え世界最大で、国内の農業用水量より多い。地球の水資源のうち、人間が利用できるのは0.01%に過ぎないから、日本人は世界の水資源を濫費していることになる。

 世界人口の爆発的増加に加えて、工業化による金属、鉱物資源の濫費や有害物質の垂れ流し、温暖化による砂漠化の進行、異常気象による洪水や干ばつの頻発、海に流れ出たプラスチックゴミによる魚類の汚染などが深刻化する中で、日本人の「いのち」の安全保障は大丈夫なのか。

 数年前、私が団地管理組合の役員になった時に新理事長が「子供達がこの団地をふる里だと思うような場所にしたい」と抱負を述べたことに共鳴した。そこで、私は子供達に「窯で炊いた 新米の飯を 脂ののった 秋刀魚の塩焼きで 食わせる」イベントを提案した。それにはまず、市役所に頼んで団地裏の市営公園の毀れかけたベンチのひとつを、各地の防災公園にあるような竈を内蔵したものに改造してもらう。東北の漁協と交渉してとれたての秋刀魚を送ってもらい、それを団地や周辺の住民に売って資金にする。団地のまわりの田んぼの地主と交渉してとれたての新米を分けてもらう。残念ながらこの計画は実現しなかったが、こういうイベントを重ねていけば、成人して団地を出た後も生涯の想い出になるだろうし、さらには若い親達が日本人にとってコメとは何かを考えるきっかけとなるかもしれないと考えたのである。

 人間も動物であるから食わなければ生きていけない。そのことを最も深く骨身にしみて知っているのは我々戦中派だろう。敗戦を挟んで前後数年、私達は飢餓状態の中で暮らした。私の弟達は長野県の松本市郊外へ学童疎開したが、空腹に耐えかねて近所の畑の大根を引き抜き、下半分をかじって飢えをしのぎ、上半分は元のところに埋め戻したという。それを聞いて親父は、遠い親戚を頼り、秋田の田舎へ弟達を再疎開させた。だから私は、「火垂るの墓」で幼い妹を飢え死にさせた体験を描き「飢える子供の顔を二度と見たくない」と訴えた野坂昭如の反戦・平和の原点に心から共感する。その頃の夢は「“銀シャリ”を腹いっぱい食うことだった。亡くなった妹もどんなにそれを渇望したころだろう。

 “大東亜戦争”の最大の目的は、資源の獲得であった。中でも、アメリカの禁輸によって供給を絶たれた石油と鉄の獲得は、日本が軍事大国として生き残るための絶対条件であったのだ。私は中学の入学試験で愛唱歌を聞かれて、「空の神兵」と答え大声で歌って合格した。これは、スマトラ島パレンバンの大油田地帯に侵攻するため日本軍の落下傘部隊が降下した時のことを謳ったものだった。だが、昨年の天皇誕生日の会見で触れられたように、太平洋戦争末期には民間の輸送船がアメリカ潜水艦の餌食となり、保有船舶の9割近い2600隻のが沈められ、6万人を超える船員が海に消えた。その結果食糧や石油、石炭などの輸入が途絶え、国民生活は悲惨なものになっていったのである。

 敗戦によって大日本帝国は、満州(食糧、鉄、石炭)台湾(砂糖、労働力)南樺太(石炭、パルプ)、朝鮮半島(鉱物資源、労働力)を失い一挙に資源小国に逆戻りした。残ったのは戦時中”産めよ増やせよ“で膨れ上がった人口、いわゆる〝人的資源“のみとなった。〝人的資源”は戦争では兵士として動員され、戦後は経済復興のための”産業戦士”として投入された。

 食糧、エネルギー、鉱物資源などは、国の存立に不可欠な資源として戦略物資と呼ばれる。自国で不足した場合に他国に輸出することはないし、時には他国への制裁の手段として禁輸したり輸出を制限したりする。2006年からエルニィーニョの異変で大干ばつ襲われたオーストラリアは翌年の輸出量を半減し、日本では小麦の値段が高騰した。アメリカは昨年40年ぶりに石油の輸出を解禁したが、シェールオイルの増産で余った分を輸出に回したのである。それによって原油輸出に頼るロシアの財政に打撃を与える思惑もあるらしい。中国は尖閣をめぐる対日制裁措置としてハイテク製品に欠かせない希少金属のレアアースの輸出を制限したことがあった。また、ロシアはウクライナをめぐる対立で、EU諸国への天然ガスの供給を停止すると威嚇している。このように自国の都合で戦略物資の輸出が禁止されれば、アッという間に市場から姿を消してしまうことがありうる。

 アラブとイスラエルの争いに端を発した石油危機の際トイレットペーパーが姿を消したのは多くの人が体験したことだが、東日本大震災の直後、スーパーへ行ってみてコメはおろかうどんやラーメンまで主食らしきものの棚はすべて空になっているのを見て驚き、輸入に頼りきっている国では、一旦緩急あれば、こういうことも起こりうるのだということを実感した。

 コメと共に日本人の食を支えてきた水産物についてみると、日本の漁獲量は年々減り続けている。30年前の1300万トン近くから、2012年には500万トン以下になった。秋刀魚は今年、39年ぶりの不漁、イワシ、アジ、サバ、ホッケ、鮭と軒並み減少中で、スケトウダラの漁獲減少でたらこは90%が輸中品である。原因は言うまでもなく乱獲だ。秋田で暮らしたことのある私には、しょっつる鍋の味が忘れられないが、材料のはたはたは、一時絶滅の危機に瀕した。3年間の禁漁や網の目の拡大で、漁獲量は飛躍的に回復したが、近年また減少している。原因は漁民による漁獲量の不正申告だという。水産庁は、一応魚種ごとに漁獲規制をしているのだが、漁業者の声に押されて事実上しり抜けになっているらしい。自分で自分の首を絞める愚を繰りえしていると、取り返しのつかないことになりかねない。そうなれば、国民一般も同罪だ。ノルウェーやニュージーランドが漁業規制に成功して、やがて漁獲量の拡大という好循環を達成したのは、国民一般の支持があったればこその成果だからだ。世界的に魚食が増えており、消費量は50年前の倍になっているが、それでも一人当たり年間消費量は18kgで日本人の3分の1に過ぎない。今後さらに魚食がすすめば、輸入が難しくなることも考えられる。

 近年海洋汚染で問題になっているのはマイクロプラスチックである。毎年少なくとも600万トンのプラスチックが海へ流出し、紫外線や波の力でマイクロプラスチックとなって浮遊しており、特に日本近海の量は世界平均の27倍に達するという。これに微生物や有害物質が付着して魚類に摂取され大型の魚に集積されていく。こうして汚染された魚を食べていれば、先ず日本人の体に悪影響が出てくるものと懸念されている。

 「水の惑星」と呼ばれる地球には14億キロ㎥もの水が存在するが、その97.5%は海水であり、淡水は2.5%に過ぎない。淡水を飲み水として供給されていない人達も多数いる。海水の淡水化施設は中東地域を中心に12500ヶ所に増えているが、それでも世界の取水量の0.2%に過ぎない。船会社を取材している頃、中東へ原油をとりに行くタンカーに屋久島の水を積み込み、現地の水不足の解消に役立てるという話を聞いたことがあるが、その後どうなったのだろうか。それこそ淡水を湯水のごとく濫費している日本にとってせめてそれくらいのことはしてほしいと思う。

 世界の水資源は、人口の増加による未処理汚水の増大やシェールオイルの採掘による汚染などで、利用できる淡水の量はは年々減少しているのに、世界の水使用量は1960年の2兆㎥から2000年には丁度倍の4兆㎥に増えている。水不足はますます深刻になるだろう。

 雪国に生まれ育って雪に苦しめられる人達を見てきた田中角栄は、厄介者の雪を何とか資源として使えないものかと考えていたようだ。彼の選挙区である旧新潟3区に住んだことのある私も、同感だ。資源小国の日本にとっては、このような逆転の発想が必要であると思う。

 目の前の豊かさを求めて自然を破壊し、資源を濫費する社会にどんな未来が待っているのか。
 昨年9月に国連が採択した「持続可能な開発のための2030年アジェンダ」は、毎年13億トンの食糧がムダに捨てられている一方で、2050年までに世界の人口が95億人に達すると、現在の生活様式を保つには、地球が3つ必要になる警告している。(M)

* 次の「統計数字の裏に見えるもの 貧困率」は2月27日(土)に投稿する予定です。