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前回末尾に書いたように、文科省は2002年に「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」と称する驚異的プロジェクトを発表しました。ここで筆者が「驚異的」という形容詞を用いたのは、それが単に「驚くべき」というだけではなく、きわめて「あやしい」という意味を含めたかったからです。21世紀の変わり目に「文部省」が「文部科学省」に変わったのを機会に、政府も官僚も、ひとつここで旧態依然たる教育界をあっと言わせるような新しい構想を打ち出したいという意気込みを見せたかったのかもしれません。しかしこの構想はまことに粗雑に出来ていて、とうていまともな構想と呼ぶことのできない代物であることは明らかです。それがいかに誤った前提に基づいた砂上の楼閣的幻想であるかについては、稿を改めてじっくり述べることにします。

さて今回は、前回に引き続き、2002年度から実施されることになった新指導要領の「ゆとり教育」のカリキュラムが、いかに大きな欠陥と危険を内包したものであったかを、いくつかの視点から述べることにします。現在の文科省はそんな過去のことはもう耳にしたくないと言うかもしれませんが、このような誤りを再び繰り返さないために、何が誤りであったかを明確にして記憶しておく必要があると筆者は考えます。

第一に問題なのは、当時の中教審と文部省が、子どもたちの生活や学びの実態についての正しい認識を持たずに議論をし、「ゆとり教育」を進めたことです。子どもたちが過度の受験競争に巻き込まれていると言っても、その実態がどうなのかのデータを文部省は持っていませんでした。また、子どもたちがゆとりのない生活をしていると言っても、実際にどの程度そうなのかを検証することもしなかったのです。中教審が1996年に提出した『21世紀を展望した我が国の教育のあり方について』の第一次答申には、「子供たちの生活の現状」というタイトルのもとに、現在の子どもたちがいかにゆとりのない生活を余儀なくされているかが述べられ、学校週5日制と「生きる力」を育成するためのゆとりある教育の必要性が抽象的に説かれています。しかしこの中教審の現状認識は、それを裏づけるデータもなく、子どもたちの実生活を正しく捉えてはいなかったのです。

実は中教審での議論をよそに、日本経済のバブルがはじけた1990年代には、多くの子どもたちはさほど受験や学校の勉強に追われた生活をしていたわけではなかったのです。すでに1977年と1989年の指導要領改訂によって「ゆとり教育」は実質的にスタートしていましたので、子どもたちは学校の勉強からかなり開放されていました。授業は週30時間に削減され、学習内容も削られて教科書が薄くなりました。大学受験も、1990年に第2次ベビーブーマーの高校卒業によってピークに達した後は、しだいに緩やかになっていました。高校・大学への進学率は上昇しましたが、大学の増設や定員増のために、大学受験の難度は逆に低下していたのです。推薦入学制度も拡大したので、高校で普通の勉強をしていれば、大学生になることは容易になりました。必死になって受験勉強をしたのは、限られた有名大学に入りたい一部の者だけだったのです。

1998年の「ゆとり・生きる力」の教育を具体化した新指導要領が、いかに誤った現状認識から導き出されたものであるかを、教育社会学者・苅谷剛彦氏はデータを挙げて実証的に論じています。苅谷氏の著書のひとつ『教育改革の幻想』(ちくま新書2002年)では、たとえば終戦後の1949年と現時点の2000年の中学3年生では、学校外での学習時間(塾などを含む)を比較すると、むしろ今の中学生のほうが少ないというデータを示しています。そうだすると、今の子どもたちが受験に追われてかわいそうだというのは、単なる大人の推測であって、現実はそれほどでもなかったということになります。とにかく1996~97年の中教審の議論は、そういう状況を十分に顧慮してはいませんでした。

第二に問題なのは、文部省の音頭とりで国を挙げて「ゆとり教育」に取り組んでからの1980年代から1900年代にかけて、子どもたちが顕著に勉強をしなくなったというデータが多数存在することです。上記の苅谷氏のデータ分析によると、1950年代後半から60年代初頭にかけて「入学難」と言われた時代の中学生や高校生は、確かによく勉強をしたようです。しかし学校外での学習時間は1975年頃にピークを迎えたあと、多少の振幅をもちながら、2000まで確実に減少している傾向が見られるといいます。また、苅谷氏たちが1979年(「ゆとり教育」のカリキュラムが始まる前)と1997年(「ゆとり教育」が始まって約15年後)に同一高校11校の2年生を対象として行った学習時間調査では、その分布が大きく下方に変化していることが明らかであったといいます。この調査についての苅谷氏の結論は、「つまり、学習時間の分布を見るかぎり、過度な勉強はたしかに減ったが、適度に勉強していた生徒も同時に減っていまい、まったく勉強しない生徒を大きく増やしてしまったのである」(『教育改革の幻想』p.125)というものでした(注)

これらの現象がすべて「ゆとり教育」の直接的影響であると断定することはできません。しかし文部省がそれまでの2回の指導要領改訂による「ゆとり教育」の実践効果をきちんと把握する努力をしていれば、中教審の議論も違ったものになったと思われます。そういう検証作業を行うことを怠っていたのですから、文部省はその責めを免れることはできません。国の行政機関が新しいプロジェクトを掲げて全国的な規模で展開するときには、その実施した結果についてしっかりとした検証が必要であることは当然のことです。文部省はおそらく、そのための調査はしばしば行ったと反論するでしょう。しかし筆者の知る限り、国の機関が行う調査の多くは、その対象がプロジェクトの支持者に偏っており、十分な客観性と信頼性の条件を備えたエビデンスとは見なされないものです。2001年に装いを新たにした文科省は、自己の作成したプロジェクトについて、今後はもっと信頼できる検証方法を確立することが急務です。

「ゆとり教育」の第三の問題は、その実施によって教育現場にもたらされたさまざまな混乱です。混乱は実施の効果を限定的なものにします。また時には、マイナスの効果を生むことさえあります。中教審における「ゆとり教育」の議論は総論的なものが多く、そのアイディアを教育現場における実践に結びつけることは簡単ではありませんでした。アイディアが革新的であればあるほど、それを現場の教師たちが消化するのは容易ではないのです。この問題は深刻ですので、次回にいくつかの例を挙げて述べることにします。(つづく)

(注)苅谷氏らの1979年と97年の調査(同一高校11校の2年生)では、学校外で3時間以上勉強したものが16.8%から8.4%へとほぼ半減し、1時間から3時間までの生徒も40.2%から35.0%へと減っていました。また勉強時間が0分の生徒が22.3%から35.4%へと大きく増大していました。このことから、本文で引用した結論が導き出されています。