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< 統計数字の裏に見えるもの ⑧ GDP >

調査とか統計の数字は、前提条件に問題のあるものも多いから、そのまま信ずるわけにはいかないが、
社会の動きを知る上で欠かせないものの一つではある。今回は GDP(国内総生産)をとり上げる。

1.日本のGDP (2015): 528兆5千8百30億円 

2.GDP上位10カ国 (2015)<米ドル換算>: 1.アメリカ 17947千億ドル
  2.中国 10983千億ドル 3.日本 4123千億ドル 4.ドイツ 3358千億ドル
  5.イギリス 2849千億ドル 6.フランス 2422千億ドル 7.インド 2091千億
  ドル 8.イタリア 1816千億ドル 9.ブラジル 1773千億ドル 10.カナダ 1553千億ドル 11.韓国 1377千億ドル 12.ロシア 1325千億ドル

* GDP the Gross Domestic Product (国内総生産): 国内で生産された価値の合計
* GNP the Gross National Product (国民総生産): 国民が国の内外で生産した価値の合計
* 経済成長率 : GDPの一定期間内の変化率
* 名目と実質 : 名目値は、実際に市場で取引されている価格に基づいて推計された値。実質値は、
  物価の上昇、下落分を取り除いた値。名目値ではインフレ・デフレによる物価変動の影響を受けるため、経済成長率を見る時は、実質値で見ることが多い。
* 日本のGDPの内訳 :  民間消費支出 約60% 民間設備投資 約17% 
政府支出 約21%  貿易収支 約1%
(アメリカのGDPは民間消費支出が70%超)
 
安倍政権は今月初めに閣議決定した”骨太の方針“で 2020年頃に名目GDP600兆円達成という目標を設定した。600兆という丸い数字は参議院選挙用のスローガンだろうが、経済学者や専門家の間では、可能、不可能の両論があるようだ。私自身には成否を判断する能力はないが、目標達成のためにムリを重ねれば副作用が大きいだろうし、成功しても庶民の暮らしが目に見えてよくなることはないだろうと思う。

アベノミクスなる経済政策では、年2%のインフレによって、早く買った方が得だという消費マインドを刺激し、消費の拡大で企業の在庫を減らし、在庫を補うための設備投資を増やすという好循環をよびおこし、経済を成長させることになっているが、消費も設備投資も一向に上向かない。むしろ、異次元のバズーカとかマイナス金利といった異常な金融政策の破たんが迫っているのではないかと心配されている。そうなれば地獄だから、次は、財政出動、つまりはバラマキとなる。失われた20年あるいは30年といわれるリセッションの間に自民党政権は赤字国債の発行による10兆円規模のバラマキを何回も実施して景気のテコ入れを図った。その結果、今日の国家負債1000兆円超(国民一人当たり800万円を超える借金)という非常事態を招いたのである。

それでも、多くの国民は、パイ(つまりGNP,GDP)が大きくなれば、一人一人の分け前も多くなるという淡い期待を抱いたが、期待は裏切られた。公正な分配が行われなかった結果、GDP増加による富は、一部の大企業と富裕層に集中し、庶民は報われなかったのである。

私はかねてからGDPという経済指標に疑問を持っていた。日本のGDPが1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2位になった時、国民の多くは喜び、誇りに思っただろう。また、2010年に     中国に抜かれて第3位に落ちた時にはがっくりきただろう。だが、GDPの増加が、直接国民一人ひとりの豊かさや幸せと結びつくものなのかどうか疑問だった。この疑問は前述のような形で答えが出た。

もう一つの疑問は、GDPという指標そのものについての疑問だ。              

 マクロ経済の最も重要な指標とされてきたGNP(国民総生産)が1990年代の初めにGDP(国内総生産)に代わった。理由は国内での生産をより明確に把握するためと説明されたが、経済に弱い私にはよく理解できなかったので、自分なりに調べているうちに、GDPというのはかなり問題のある統計指標なのではないかという疑問を持ったのである。

 今でも引きずっている疑問点は次の通り。

* GDPは、20世紀の大量生産経済を前提とした指標であり、21世紀のITやネットを基盤とするサービス産業が経済の中心になった時代には対応しきれないのではないか。
* GDPは、様々な統計データを寄せ集め、利用しやすいように処理し、統合したものである。
  したがって、何を統計データに含めるのか、どのように処理するのか、それをどのようにしてGDPという一つの指標にまとめるのかの各段階で恣意的な選択が行われうるのではないか。
* GDPは生産の総計額だが、生産額はそれぞれの国の通貨によって計算されるから、そのままではGDPの算出には使えない。そこでPPP( the purchasing power parity )つまり、購買力平価を用いて換算されるが、生活条件の異なる国の購買力が果たして正確に比較できるのか。
* 第3次産業つまりサービス業、特に現代の社会で大きな役割を占めるようになった金融業やIT産業などの生産価値をどのように計算するのか。パナマ文書で明らかになったように、これらの分野では何十兆、何百兆円もの裏取引が横行しているとみられているが、実態がわからないから、当然GDPには算入されていないだろう。GDPには大穴があいているのではないか。
* 財政危機に苦しむギリシャでは統計機関が政治家の指示でGDPの数字を操作してきたという。日本でもかつて、月例経済報告の数字を改ざんした閣僚がいたし、その人物は今でも自民党の要職にあることを思えば、突出した財政危機の圧力の下でGDPが政治家の思惑で操作される危険性が無いとは言い切れない。

 にもかかわらずGDPは重要な指標として使われ、“GDPが大きいことはいいことだ”と無条件に、或いは無邪気に信じられている。私が<統計数字の裏にあるもの>の冒頭で、「統計数字には前提条件に問題のあるものも多いから、無条件に信ずるわけにはいかない」としつこく断り書きをくり返しているのはそのためである。

国民的作家といわれた司馬遼太郎は、評論家の萩原延寿との対談で、萩原が「日本人は頼るものを持たなければ生きていけない。だから戦前で言えば天皇、最近ではGNPに頼る」と述べたのに対し「まったく、頼るなあ」と笑いながら答えている。 だから、日本のGDPが中国に抜かれて3位に落ちた時、GDPの成り立ちや人口比を考えれば当然のことなのに、多くの人たちがかっくり来たのだろう。もうそろそろ、いや、なるべく早く、GDP依存症から抜け出した方がよいと私は思う。(M) 

* 次回の<統計数字の裏に見えるもの ⑨ 労働組合組織率>は7月30日(土)>に投稿予定です。
* 1人当たりGDPについては、このシリーズの最終回 < ⑩ 幸せの指標 >で取り上げます。