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前回に続いて、「四技能のバランス」のうちその評価に関する部分を取り上げて議論します。というのは、文科省が四技能をバランスよく指導するというだけではなく、学力評価においても四技能テストの必要性をしきりに説いているからです。大学入試センター試験に代わる次のセンター試験では、スピーキングとライティングの実技テストの導入も検討していると聞きました。しかしこのテストは一時に50万人を超える受験生を対象にするのですから、どう考えてもその解決法を見出せるとは思えません。それよりももっと重要な、議論すべき問題があるように思われます。すなわち、入試において四技能テストをすべての受験生に課す必要があるのか、また四技能のそれぞれの得点を単純に足し算しだだけで総合的な英語力が測れるのか、などの根本的な問題です。

そこでまず、中学生や高校生に英語四技能テストを一律に強制することの是非について議論します。まず結論を先に述べます。基礎学力の固まった生徒たちに対しては、四技能テストを行って総合的な英語学力を判定することに意味があるかもしれません。しかし英語基礎学習の途上にある生徒たちを対象とする試験においては、四技能テストを実施することには無理があります。その理由は、すでに前回触れたように、英語の基礎学力は四技能がバランスよく一様に発達するものではないからです。あるときには「聴く・読む」の技能に集中し、あるときは「話す」や「書く」の技能に専念することもあり得ます。したがって英語学習の初期や中期においては、四技能は必ずしもバランスが取れているわけではないのです。たとえば小学校から英語を教科として教えるようになっても、中学入試に英語の四技能テストを実施するなど考えられないことです。

高校入試はどうでしょうか。英語の基礎学習中期にあたる中学校課程を修了したからといって、すべての受験生に四技能の入試を課すことには無理があるように思われます。高校入試では従来どおり「聴く・読む」の受信技能だけを義務とし、「話す」と「書く」の発信技能については、それを得意とする生徒にのみ選択受験させるのがよいと筆者は考えます。その主な理由は次の3つです。1.英語の習得過程においては受信技能の発達が先行し、発信技能はその後を追う形で発達すること。2.受信技能に関してはテキストのレベルをある一定の基準に制限することが比較的に容易であるが、発信技能に関しては発信のレベルを制御することが困難であること。3.中学校3年間で発信技能の指導を全生徒に徹底することは、現在の授業時間数やクラス生徒数などの教育条件下では困難であること。

大学受験についてはどうでしょうか。英語四技能テストを全受験生に課すことは歓迎すべきことでしょうか。結論を先に述べると、高校までに基礎学力が固まった生徒に関しては動機づけの点からも意味がありますが、そうでない生徒(つまり、依然として四技能の発達途上にある生徒)に対してそれを義務的に課すことには問題が生じます。特に高校3年の時点でおよそ70%の生徒が英語の学びから落ちこぼれているという現状からして、その生徒たちは英語四技能テストがほとんど絶望的な壁として前面に立ちはだかっているように感じるのではないでしょうか。それは大学進学を希望する多くの高校生たちを絶望にまで追い込み、彼らをとてつもない行動に走らせる要因となる可能性があります。最近の十代後半の少年たちによる数々の凶悪事件はその危惧をますます高めます。大学入試における英語四技能テストの実施は、そのような技能を入学後に必要とする学部・学科に限って実施するのがよいと筆者は考えます。

今度は視点を変えて、四技能の問題を教師の側から見てみましょう。たぶん、多くの教師は生徒の四技能がバランスの取れたものにしたいと考えることでしょう。その理由は主に次の2つであると考えられます。1.生徒たちが将来与えられるどんな状況にも対応できるようにしておくのが望ましいこと。2.「聴く・読む」の受信力と「話す・書く」の発信力とは密接に関連していること、すなわち、受信力を高めることが発信力を高めることにつながるとともに、発信力を高めることが受信力を高めることに寄与することが経験的に知られていること。そういうわけで、教える教師が常に四技能のバランスを視野に入れて指導する姿勢は正当なものだと言えます。

しかし、実際に英語を学ぶ生徒たちは教師の思惑通りには動きません。これは、それぞれの生徒の個性からみて当然のことです。その個性として、第一に学びに対する態度や目的意識が挙げられます。留学をするなど、はっきりした目的を持って英語を学んでいる者はごくわずかです。一般の中学生・高校生にとっては英語学習の目的は漠然としており、普段は英語を何のために学ぶのかは意識していません。問われればそれなりに目的らしきものを述べるでしょうが、英語を実際生活で使用する経験がほとんどないので、自分の人生に英語がどう関わっているかを体験することがありません。英語はこれから世界の人たちとのコミュニケーションに必要なものだと先生が言えば、そうかなと思うだけです。現実には、学校で英語という教科があるので学ぶだけで、英語が好きか嫌いかは英語を楽しく学ぶことができるかどうかにかかっています。先生が親切で、授業がよく理解でき、自分の学びがそれなりに評価されれば好きになります。教師には生徒のこの基本的な心情を満たす責任があります。

第二に、生徒の学び方にもそれぞれ個性があります。人間には性格的に内向的な人(introverts)と外向的な人(extroverts)がいます。一般に他人とのコミュニケーションが得意な人には外交的な人が多く、内向的な人は社交性が乏しいので他人とのコミュニケーションが苦手だと言われています。英語の授業においても発信技能を訓練する場面では外交的な性格の人が活躍し、内向的な人はともすると後ろに引っ込むことになりがちです。そうすると、コミュニケーション能力養成に力を入れる授業では、内向的な人は不利にならざるを得ません。中学生・高校生時代は自意識が極度に発達する時期ですから、そういうことで英語が嫌いになったり、ときには英語の学びを諦めたりすることもあります。中学・高校の教育では、そういうことも考慮に入れる必要があります。

そしてもう一つ、すべてのテストは人間の持つ多様な能力を測定するにはあまりにも欠陥が多いということを私たちは認識する必要があります。第一に、英語の学力は「聴く・話す・読む・書く」の四技能から構成されると言いますが、それらをどのように組み合わせて評価するのがよいかについては定説がありません。それら四技能の得点をどのように配分したらよいのか、適当に配分して四技能の得点を合計した総合点というのは何を表しているのか、問題が山積しています。すべてのテストはその妥当性を疑ってみる必要があります。さらに、より根源的な問題ですが、英語学力には普通のテストでは測れない他のもろもろの能力が関連しています。たとえば勤勉さや情熱や直観力や忍耐力など。しかし従来のテストはそれらを無視しています。(これらの問題はとても重要なので次回に引き続き検討します。)