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< 社説よみくらべ > 6.”共謀罪法“ の成立

6.”共謀罪法“ の成立

 「共謀罪」の構成要件を変更して「テロ等準備罪」を新設する「改正組織的犯罪防止法」が、参議院での委員会採決を省略し、本会議での中間報告によって採決を行うという異例な国会運営によって成立した。7月中に施行される見通しである。各紙とも banner headline で伝え、ほとんどの新聞が社説でとり上げた。

各社社説の見出しは次の通り。

読売新聞    「凶行を未然に防ぐ努力続けよ」
朝日新聞    「権力の病弊 ”共謀罪“市民が監視を」
毎日新聞    「一層募った乱用への懸念」
日経新聞    「あまりに強引で説明不足ではないか」
産経新聞    「国民を守るための運用を 海外との連携強化に生かせ」
北海道新聞   「国会の本分捨てたのか」
河北新報    「”Ⅰ強“ の数の横暴極まる」
中日新聞    「『私』への侵入を恐れる」
京都新聞    「行き過ぎた運用に歯止めを」
中国新聞    「議論封じる暴挙許せぬ」
西日本新聞   「監視すべきは1強政治だ」
南日本新聞   「数の力の暴挙に政権のおごり極まる」

読売と産経を除いては、法案の審議過程や内容に強い懸念や反対を表明している。

法案の問題点として、一般人が捜査の対象になるのではないか、組織的犯罪集団の定義とは、どうやって準備行為を見極めるのかといった点が挙げられており、政府側の曖昧な答弁でそれが解消されないまま、将来に禍根を残すことになりかねないと懸念している。
さらに、法律の内容もさることながら、強引な国会審議のあり方についての批判が目だち、国会の閉会を急いだ背景に「加計学園問題」があると道新が指摘している。また、加計問題の疑惑がこれ以上拡大すると、来月の東京都議会議員選挙で、“小池新党”に押され気味の自民党や公明党、維新が、さらに苦境に追い込まれることを恐れたためだと推測した社説( 道新、河北、京都、中国)もある。
新法の名称については、読売、日経、産経が「テロ等準備罪」としている他は、上記各紙の社説はすべて「共謀罪」を使用している。

「読売新聞社説」は、2020年のオリンピック、パラリンピックを控えテロ対策は喫緊の課題であり、改正法を有効に機能させなければならない。「既遂」を処罰する現行の刑事法の原則に縛られたままでは有効な手立ては講じられないから、テロ等準備罪が必要だと論じている。また、法の対象が組織的犯罪集団に限定されており、適用には実行準備行為も必要とされているから、これらの限定がなかった「共謀罪」とは別物だとしている。「一般人も処罰される」という野党の主張は不安を煽るだけであり、監視社会になるという批判も、警察が新たな捜査手段を手にするわけではないから、的外れだとしている。ただ、採決の手段については乱暴だったと批判している。

「朝日新聞社説」は、捜査や刑事裁判にかかわる法案は「治安の維持、安全の確保」と「市民の自由や権利、プライバシーの擁護」という深刻な対立を惹き起こすが、「二つ価値をどう両立させ、バランスをどこに求めるか」が重要であるとし、「共謀罪法」について政府の姿勢はあまりに問題が多く、「この法律がなければ五輪は開けない」という安倍首相の主張などまやかしが目立ったとしている。何でもあり、のこの政権が産み落とした「共謀罪法」はやがて市民の自由と権利を蝕む危険をはらむから、日本を監視社会にしないためには、国民の側が法の運用をしっかり監視し、異議を唱え続けねばならないと結んでいる。そして、刑事法の原則の転換につながるこの法案の制定の過程は、国会の歴史に重大な汚点を残したと強く批判している。

「毎日新聞社説」は、捜査機関が権限を乱用し、国民への監視を強めるのではないかというのが、この法律の最大の懸念材料であった。捜査機関が捜査を名目に行き過ぎた監視に走る可能性があることは、これまでの例を見ても明らかで、その懸念は一層強まったとしている。政治的な活動を含めて国民の行動が警察権力によって脅かされてはならない。監視しようとする側を、どう監視するか。国民の側の心構えも必要になってくると結んでいる。また、法案の取り扱いについては、テロなどの治安上の必要性は認めるとしても、こんな乱暴な手法で成立させた政府を容易に信用することは出来ないと述べている。

「日経新聞社説」は、法案の内容には触れず、採択の手続きについて、最後には多数決で決めるのが国会のルールだとしても、与党の都合で法案審議の手続きを一部省略し、早期成立にこだわるような手法は、あまりに強引過ぎると批判している。

「産経新聞社説」は、東京五輪を控え、日本がいつまでもテロや組織犯罪に対して国際社会の外にいるわけにはいかない。新法の一刻も早い成立が望まれた所以であると歓迎している。「平成の治安維持法」などの批判は劣悪なレッテル貼りで、戦前と戦後では体制も社会情勢も異なり、比較の対象にはなりえないを批判している。

「北海道新聞社説」は、憲法が保障する基本的人権の重大な侵害つながりかねないと批判された「共謀罪」を、与党は議論を封ずる奇策で押し切った。立法府の本分を捨てたに等しいと、自民・公明を批判する一方、野党についても、徹底した論戦で問題点を明らかにさせ、政府与党を論破する。国会外の市民とも連携するとうのが正攻法である。そうでないと、いつまでも数の力を跳ね返せないと野党に注文をつけている。

「河北新報社説」は、「共謀罪」では、一般の人が捜査の対象になるのかどうかなどの根本的な疑問に対する政府の答弁は一貫性を欠き、審議すればするほど曖昧で、不完全な法の実態が浮かびあがった。「奇策」を使ってまで成立を急いだのは、「安倍一強」の強権政治が如実に表れ、数の横暴が頂点に達した結果だと断じている。

「中日新聞社説」は、この法律によって日本の刑事法の原則が覆える。まるで人の心の中を取り締まるようだ。「私」の領域への「公」の進入を恐れる。として、身に覚えのないことで警察に呼ばれたり、肩家宅捜索を受けたり、そんな社会になってしまはないだろうか。なにしろ犯罪の実行行為は前提になっていないのだからと心配している。

「京都新聞社説」は、戦後民主主義の基本となる「内心の自由」を侵しかねない。適用基準が明確でなく、捜査機関が乱用する恐れがあると、野党のみならず、多くの国民、有識者が指摘してきたが、政府の説明は二転三転し、国民の不安を解消できなかった。行きすぎた運用に対する歯止めを施行前に整えておくべきだと主張している。

「中国新聞社説」は、最大の不安は一般の人が処罰の対象になるかどうかだろう。政府は「ならない」というスタンスだが、捜査機関による恣意的な運用の恐れが指摘されている。条文に歯止め策がないからだ。私たちはテロ対策という包装紙に誤魔化されてはいけない。監視社会への切符は要らないと
している。

「西日本新聞社説」は、国家権力には縛りが必要だ。国民主権をうたった憲法の下で、権力の行き過ぎがないよう国民が国家の動きを監視していく。そうした立憲主義の基本理念に照らして、この法案はいわば、正反対の性格を帯びていると評している。

「南日本新聞社説」は、捜査対象が際限なく広がるのではないか。国民が抱く不安を払拭する説明はついに聞くことができなかった。反原発や反基地などの市民運動にも矛先が向くのではないか、と懸念を表明している。

さて私の意見です。

 ほとんどの新聞が社説でとり上げたのは、この法律が、国連人権理事会の人権問題特別報告者から指摘されたように、民主主義社会の基盤となる基本的人権や言論の自由を制約する恐れがあるからだろう。また、一部の社説は法律の内容よりも、政府・与党の強引な国会運営に焦点をあてているが、内容未消化のまま、数の力で一方的に法律を作り上げるというのでは、議会制民主主義は内側から崩壊する。これらの観点から私は「共謀罪」に強く反対する。メディアには、国民に監視を呼びかける前に、自らの使命として、この法律の運用に、執拗に目を光らせ、やがてこの法律の廃止に追い込んでもらいたいと思う。

 何しろこの法律はわかりにくい。4月の各社の世論調査では、賛否が大きく割れた上、NHKの6月の世論調査でも「どちらともいえない」「わからない」が合わせて半数近くになっている。
私自身も「共謀罪」が「市民団体が処罰される」などの批判を浴びて過去3回廃案になっていることは知っていたが、その「共謀罪」の「構成要件を変える」というのはどういうことか最初は理解できなかった。それは、対象となる犯罪を676から277に絞ったということらしいと分かったが、それでも対象犯罪があまりに多岐にわたっていて、それらがどうしてテロと結びつくのかわからない。「墳墓発掘死体損壊罪」が何故テロと結びつくのか。道化役を演じさせられたらしい岩田勝年法相に同情したくなった。法案を作成した法務官僚や警察官僚には解っていても、後から法案を読んだのでは、なかなか理解できない。国民は、自分達が理解できない法律によって取り締まられるわけである。「テロを取り締まるのだからいいだろう」という程度の理解でいると、後でとんでもないことになりかねないと私は思う。

それに、日本の警察は、アメリカから極秘の情報監視システムを供与れたと元CIA局員のエドワード・スノーデン氏が共同通信に伝えている。 警察の捜査次第で、個人のプライバシーは丸裸にされかねない。違法なGPS操作で、容疑者を9か月も付け回したという最近の警察の捜査を見ると、杞憂とは言い難いだろう。疑わしきは罰せずという原則が、疑わしきは罰するという方向にむかうのではないか。

 産経の社説は、この法律を「治安維持法」になぞらえることを批判し、その時代とは、体制も社会情勢もちがぅと主張しているが、権力の本質を甘く見ているような気がする。私は、出版社を立ち上げた時、何回か横浜弁護士会に相談に行った。横浜弁護士会は、治安維持法違反で「横浜事件」の被告を裁いた横浜地裁のすぐ隣にある。私は雑談の合い間にそのことに触れてみたが、弁護士さんは知ってか、知らずか、まったく関心を示さなかった。治安維持法による最後のでっち上げである凄惨な「横浜事件」について、文芸春秋誌の編集長であった池島信平は「我々古い編集者は自分達が甞めた苦しみをもう国民の誰一人にも甞めさせないという気持ちを今なお持ち続けている」と書き遺している。過去から学ばなければ現在は理解できず、未来を語ることはできない」という箴言を忘れてはならないだろう。

「まさか私が」と思っているうちに、「え、何で私が」ということにならないようにというのが、昔、沖縄戦の伝単を見ていて「非国民」と罵られて殴り倒され、憲兵隊に突き出すと脅されたことのある私の切なる願いである。 (M)