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大学入試センター試験に代わって、2020年度から始まる「大学入学共通テスト」の実施方針が7月10日の有識者会議で了承されました。新聞報道によると、そこで懸案になっていた英語については、2023年度までは現行形式の英語問題を残し、2024年度からはそれを廃止して民間試験に全面移行することになったとのことです。したがって2020年度から2023年度までの4年間は、英語に関してはセンター試験と民間試験が共存することになります。そしてどちらを使うかは、それぞれの大学が判断して決めることになります。したがって各大学は、その移行期4年間の英語に関する判定資料を、センター試験によるのか、民間試験によるのか、あるいはその両方によるのかを早く決めて、受験生への広報を早めに開始することが必要になります。

文科省はこのことについて、前回のブログで紹介したように、2020年度から英語を共通テストから除外して全面的に民間試験に移行するか(第1案)、それとも入試制度変更の影響を考慮し2023年度まで現行形式の英語問題を残すか(第2案)を懸案としていました。国大協が所属大学に対して行った調査では、第1案を支持する大学が34.1%で、第2案またはその修正案を支持する大学が過半数を占めました。そこで文科省は国大協の意見を勘案して、2023年度までは現在の英語問題を残すことにしたのであろうと筆者は推測します。

文科省の決定はそれなりに筋を通したものですが、今後新しい入試制度が開始されるまでの7年間に解決しなければならない重要な課題がいくつも存在します。前回のブログでは試験を実施する側からの問題点を挙げましたので、今回は受験生と高等学校の側から予想される問題点を挙げることにします。言うまでもなく、入試に関する問題を検討する際に常時念頭に置かなくてはならないのは公平性の原理です。つまり入試制度の良し悪しは、受験生の公平性が保障されるかどうかによって判断される必要があります。

大学入試の英語を民間試験に移行した場合に、高校生たちの受験機会の公平性は保障されるのでしょうか。それがなかなか難しいのではないかと予想されます。最大の問題点は民間団体が行っている英語テストを受験するには検定料が必要なことです。現在実施されている民間試験を受験すると、実際にどのくらい必要なのかを調べてみました。以下が主なテストの検定料です。

*実用英語技能検定(英検):3級3,800円、準2級5,200、2級5,800円、準1級6,900円、1級8,400円(ただしスピーキングは3級以上。ライティングは現在1級・準1級のみだが、H28年度からは2級に導入予定) TOEFL iBT : 230USドル TOEIC S&W : 10,260円 TEAP : 15,000円

高校生にとってはなかなか馬鹿にならない金額です。大学の入試受験者は、高校3年生の4~12月に受けた結果を2回まで使えることになっているので、たいていの高校生は少なくとも2回は受験することになるでしょう。よく引き合いに出されるTOEFLの受検には1回で25,000円くらいかかりますから、普通の高校生には手が出ません。しかも内容がアメリカへの留学生向きですから、その点でも一般の高校生には不向きです。現状では、おそらく高校生の大部分が英検を選択することになると思われます。その場合でも、準2級以上では2回の受検で1万円以上の費用を負担することになります。文科省は民間試験を主催する団体に対して大学入試受験者の検定料を軽減するように求めていますが、たとえ検定料が少々下がっても交通費(場合によっては宿泊費)を負担することも必要なので、経済的に恵まれない環境に置かれている高校生には大きな負担になります。

さらに懸念されるのは、そういう民間試験を受検するときの準備に関する事柄です。全国の高校は、英語を聴き・読むことに加えて、それを話し・書くことの指導体制を確立することができるのでしょうか。これまでそういう指導を経験したことのない高校教師がまだ多いと思われますが、そういう人たちが英語を話し・書くことを統合した指導を本格的に研究し、実践してくれるのでしょうか。しかも生徒がそれらの試験に備えるには特別な準備を必要としますが、彼らにその指導ができるのでしょうか。予想される事態は、高校によって、また教師によって指導のばらつきが大きくなるだろうということです。その結果、学校で「話すこと・書くこと」を指導してもらえない高校生は、当然のこととして予備校に行くことになります。そこでもやはり費用の問題が起こります。あまり余裕のない家庭はそこまでの負担には耐えられないでしょう。そうなると受験機会の公平性はますます低下し、格差社会が現在以上に進むことになります。

最後に、もう一つぜひ指摘しておかなければならない問題があります。それは高校教育の根幹に関わる問題なので、入試センターや文科省だけではなく、各地方教育委員会・学校長や教員がこぞって知恵を絞っていかなければならない問題だと筆者は考えます。それは、簡単に言うと、高校生の英語学習エネルギーを4技能に分散することの可否についてです。文科省や中教審が言うように、英語コミュニケーション力は4技能の総合的使用能力を養成するという考えは正しいとしても、そのレベルの能力をすべての日本人高校生に要求するのは非現実的ではないのかという問題です。またそれは、個人の言語学習の発達的観点からして、果たして教育的に正しいことなのかという問題です。これは大きな議論になるので詳しい議論は次回に譲りますが、結論だけを述べると次のようになります。

言うまでもなく、英語は日本人にとって外国語です。通常の日本人は常時それを使用する環境にはありません。ですから、日本人の英語学習は非常に長期にわたる学習の努力を必要とします。外国に留学経験がなくても英語を母語話者なみに習得した人は例外的に存在しますが、大半の日本人はそれに失敗します。そして失敗の原因は努力が足りないからだと人々は言います。逆な見方からすると、成功するための努力は人並みの努力では駄目だということなのです。成功者は例外的と言われるほどの努力をしたのです。そのことはわが国の明治以来の英語教育の歴史が証明しており、不変の事実なのです。グローバルな時代になって、これからの子どもたちは変わらなくてはならないと言う人もいますが、それは個人的な見解にすぎません。高校終了時までに外国語の4技能に習熟させようなどというのは欲張りすぎなのです。そのような努力を高校生に強要するとすれば、そのために彼らの費やすエネルギーは莫大であり、そのために失うものもまた少なくありません。それに加えて、わが国でのスピーキングやライティングの評価に関する研究の歴史は浅く、個々のテストの内容妥当性・信頼性についての検証法も、実施面での公平性の検証法も確立していません。かくて大学入試英語の民間試験への全面的移行は、大事に至る前に、衆知を集めて手を打たねばなりません。