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 ”Hi, Kiyo!  Doing okay?” (やあ、キヨ。元気かい)という電話。かけてきたのは、マサチューセッツ州マーサズ・ビニヤード(Martha’s Vineyard, Massachusetts)のジム・エンジェル(Jim Angell)です。「友達の娘がICU(国際キリスト教大学)に留学することになったんだが、一度会ってやってくれないか」「いいとも」。秋のある日、本人を都心のレストランに呼び出して会うことになりました。アラベラ(Arabella)という名前の19歳、ふっくらとして可愛い大学生でした。「卒業したら何をしたいのかね」「まだ決まっていません」「フーム」・・・食事の前の日本酒を興味深そうに飲んでいるアラベラを見て、私が聞きました。「日本酒美味しい?」「はい」(ようしッ!)「どうだ、日本酒を造ってみるというのは?」それから私は、酒造りには「杜氏(とうじ)」という専門家(brewing master)がいること、杜氏になるためには酒蔵に入って修行をすること、そして杜氏になれば自分の酒を造りアメリカでも「ブランド日本酒」を広く販売することができるようになることなどを「杜氏の歴史」とともに説明しました。黙ってきいていたアラベラは最後にひとこと。”I think I’m interested.” (わたし、やってみようかしら)

 これには経緯(いきさつ)があります。アメリカをしばしば訪ねるようになって、その土地土地にある日本レストランに行くと、食事と一緒に日本酒を注文します。多くの店で出される日本酒は日本で大量生産されたポピュラー・ブランドか、そうでなければカリフォルニアあたりで作られた「まがいもの」。これじゃあ、アメリカ人が日本酒のうまさを知るわけがない。ぜひとも、日本で本格的に修行を積んだ杜氏がアメリカで酒を造るようにしなければ・・・と考えていたのでした。そこに降って湧いたのがアラベラの登場だったというわけです。彼女はマーサズ・ビニヤード出身ですので、この話の後私はケープ・コッド(Cape Cod) 沖にあるこの島を訪ね、アラベラの家を訪問しました。森林と湖を要する巨大な敷地の農家。湖のほとりのこのへんの林を伐採して酒蔵を建てれば、完璧に作業ができる・・・実地検証を終えて私の自信は強まりました。酒が出来上がったら、銘柄の名前が必要。アラベラの「アラ」とマーサズ・ビニヤードの「マサ」をとって、「荒正」がいい!これで準備が整いました。

 新潟県新発田市に市島酒造という酒蔵があります。当時ここには珍しく7人の女性杜氏がいました。ここならアラベラを引き受けてくれるかもしれない。冬のある日、アラベラを連れて新発田を訪ね、当主市島國子氏(現在は会長)にお会いしました。「たいへんですよ、杜氏になるのは」「大丈夫、本人にはよく説明してあります」「そうですか。それならお引き受けしましょう」。こうしてアラベラの修行が始まりました。市島氏は酒蔵の2階にある部屋をアラベラの宿所として用意してくださり、3食の食事も家族と一緒にいただけることになりました。杜氏になるには、化学を含む国家試験に合格しなければなりません。私はつぎに新潟県の醸造研究所に行き、事情を話してアラベラの受験勉強を個人的に指導していただけないかどうかとお願いしました。「アメリカ人の女性杜氏が新潟県で生まれます。これはまさに国家的大事業です」という私の話を聞いていた所長さんは、「わかりました。お手伝いしましょう。毎週一回ここに通ってください。誰か担当者をつけて指導します」。私の悲願に一歩近づいた瞬間でした。

 修行が始まりました。日本酒醸造は冬が勝負です。厳寒の新潟、朝早くから夜遅くまで、仕込みが進むと徹夜でもろみを監視する仕事もあります。トラックから米俵を運ぶ力仕事も、女性だから、外国人だからといって免除されません。日本酒作りは、自分との勝負なのです。そして半年後、アラベラから電話がありました。”Professor Tazaki, I would like to quit.” (センセイ、私やめさせてください。) 悲願が飛び散った瞬間でした。