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民謡 生保内(おぼない)節             松山 薫

民謡は心のふる里という。最近それを実感する機会があった。このブログの自己紹介にもあるように、私はこの30年来住んでいる団地の高齢化対策アドバイザーをしている。この団地でも、御多聞にもれず限界団地化が進んでおり、600人ほどの居住者の平均年齢はとうに60歳を超え、10歳以下の子供は10人しかいない。このような団地の特徴のひとつは、住民が孤立化して家に閉じこもリ、地域の活力がなくなることである。従って、高齢化アドバイザーとしては、なるべく多くの人達が外へ出るようなイベントを企画しなければならない。先日は同じアドバイザーで民生委員をしている方のお世話で「津軽三味線を聴く会」を開いた。近所に住む師範と奥さん、高校生の孫娘、それに3人のお弟子さんのコラボレーションは誠に見事で、特に、精一杯に民謡を歌い上げる17歳の娘さんの姿には、ひとつのことに打ち込む若者のひたむきさを感じた。
民謡が人の心を結ぶ絆になることを、私は若い頃に勤めていた新潟で知った。佐渡おけさや相川音頭、新津松坂などを歌えなければ酒席に加えてもらえないから、“ありゃありゃありゃさ”という合いの手の入れ方から教わった。新潟海岸での盆踊り大会で、日本海をバックに哀調を帯びたおけさの調べにのって、編笠姿で踊る名手達の姿に民謡の真髄をみるおもいがした。
生保内節は秋田の民謡である。生保内というのは田沢湖近くの地名で、この辺りから流れ出る清流、檜木内川は“みちのくの小京都”と呼ばれる角館を経て雄物川に合流するが、この一帯を生保内地方という。17歳の頃、敗戦のショックと突然民主主義者に豹変した教師達への絶望感から、学校を辞める決意をして、家族が疎開していた角館郊外の山村へ行き、1年間暮らした。村は角館から田沢湖方面へ3里半入いったところの農村で桧木内川の両岸に部落が点在していた。桧木内川は10メートルの橋の上から遡上する鮎の大群が見えるほどの清流だが、大雨が降ると濁流が渦巻き両岸の部落を結ぶ橋が流されてしまう。村人は総出で山から木を伐り出し、橋を補修する。私も手伝った。終ると、どぶろくの宴会である。17歳で酒を飲むのは許されないのだろうが、当時は冬には子供でもどぶろくを飲んで体を温めた。小学生の弟2人が裏の炭焼き小屋へ遊びに行ってなかなか帰って来ないので迎えに行ったら、どぶろくで酔っ払って寝ていたことがあった。2メートルもの雪が村を覆うと何もすることができなくなる。村人は時々寺の本堂に集まってどぶろくを酌み交わしながら民謡をうたった。なかでも生保内節の独特のふし回しが耳に残った。合いの手に入ったボンボンという音は太鼓ではなく木魚であったのかもしれない。「津軽三味線を聴く会」でその生保内節を64年ぶりに聞いたのである。司会者に促されて当時の思い出を話しながら、ふと、17歳の少女は、64年後にどんな世の中で暮らしているのだろうかと思った。(M)