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これまで書かれた学習文法の多くは文構造の分析にはたいへん役立ちました。筆者も中学生時代に受験用の「英文解釈」や「英文法」の本を読んで、英文の構造が理解できるようになりました。「これでどんな英文でも解析できるぞ」と自信を持ったものです。そして英語とはなんと合理的に出来ている言語なのだろうと感心したものです。中学生にそのように思わせるほど、それらの学習書は上手に書かれていました。ところが英語で文章を書くとなると、そのような文法では間に合いません。たとえば五文型の知識は、全然役立たないわけではないでしょうが、文章を書くにはおおざっぱすぎます。五文型を意識しながら文章を書く人はまずいないでしょう。リーディングのための文法とライティングのための文法とは違うのです。その大きな理由は、リーディングでは正しく書かれた文の構造が分析できればよいのですが、ライティングでは自分の書いた誤りに気づいてそれを正しい形に修正することが求められるからです。

 正しく書かれた文を分析するのと、誤りを含む文を修正するのとでは、用いる文法知識は共通していても、その知識の用い方が違います。前者では知識が「言語形式→意味」の方向で用いられるのに対して、後者では「意味→言語形式」の方向で用いられます。つまり、リーディングではテキストの意味をつかむために言語形式に関する文法知識が利用されるのですが、ライティングでは最初に伝達したい意味があって、それを適切な言語形式に変換するために文法知識が用いられるわけです。リーディングのテキストはたいてい文法的にチェックされていますから、それに誤りのあることを想定して読む必要はありません。他方ライティングでは、自分の造り出した文が正しいかどうか、自分の考えていることを適切に表しているかどうかをチェックしながら進む必要があります。つまり、リーディングはテキストの形式的完全さを前提にしていますが、ライティングは常にテキストの不完全さを前提としています。そして誤りを見つけ出し、それを修正するわけです。ところがそれが非常に難しい。筆者の経験では、英語の試験問題でいちばん難しいのは「次の文中に誤りがあれば正しなさい」という問題です。この問題にはずいぶん悩まされました。今も苦手です。各文に誤りが1個ずつあると言われれば対処の仕方がありますが、誤りがあるかどうかが分からない場合には頭を抱えます。いろいろ考えて、けっきょく最後は「カン」にたよります。問題はそのカンがたよりになるかどうかです。

 さらに、ライティングは私たちを難しい選択を強います。多くの場合、自分の書こうとする文には複数の案が思い浮かびます。するとその中のどれを選ぶかを決めなくてはなりません。前回の英訳問題「自分の考えを英語で書くためには、まず基本的な語彙と文法の知識が必要です」という意味の文を造る場合にも、ある程度のライティングの力を持っている人ならば、3つか4つの文案がすぐに浮かび上がり、競合するはずです。それら幾通りかの文案がある場合に、そのいずれかを最良のものと判断するのはなかなか難しい問題です。判断の基準は文形式の「正確さ」と「適切さ」です。この判断能力は文章構成に不可欠なものですが、文形式の正確さについては文法知識が役立つとしても、文形式の適切さという概念はかなり曖昧で、判断が難しいところです。これも最終的にはカンにたよることになります。

 ライティングについて最後にもう一つ注目すべきことがあります。それは文と文を論理的に結びつける方法です。以前の文法(伝統文法)はもっぱら文を単位とする文法でしたが、今の文法は文を超えた単位(パラグラフなど)のディスコースをも扱います。それは日本語では「談話文法」または「談話分析」と呼びますが、そこで文と文を結合するさまざまな規則が発見されることになりました。この分野の研究でよく使われる用語は「結束性」(cohesion)と「一貫性」(coherence)です。これらの用語の説明は言語学辞典などに任せることにして、それらの規則は私たちが文章を書くときに誰もが無意識的に使っているものです。接続詞に「そして」と「しかし」だけしか使えない小学生は、作文にそれらを多用し、先生から注意されます。英語を母語とする子どもたちも、文頭にやたらに ‘And’ を使ってはいけないと先生に注意されるようです。母語を書くときにはほとんど無意識的に使っている文の自然な接続法を、私たちは外国語である英語を書くときに忘れてしまうことがあります。たぶん文レベルの文法に注意が行ってしまうからでしょう。文章を書くときには、そういう文を超えたレベルでの正確さや適切さにも配慮する必要があります。そしてここでも、カンが大切な役割を果たします。(To be continued.)