Print This Post Print This Post

< 英語との付き合い ⑫ >  松山 薫

新米教師(2)フランクリン方式

栃尾の子供達で大学へ進学を希望する者の大部分は長岡の高校へ行く。学力不足を含め何らかの事情で地元の栃尾高校に入った進学希望者は、1学年20人くらいで、中には大変頭脳優秀な生徒もいた。しかし、英語の学力の方は全く積み重ねがないのである。そこで先ず、1年生の進学希望者に、どんな大学に入りたいのか聞いてみた。多くは地元の新潟大学であったが、中に津田塾大学の英文科に行きたいという女生徒と、東京教育大学の英文科に入って先生のような英語の教師になりたいという男生徒がいた。3年間で彼等の希望をかなえてやるにはどうすればよいのか。もちろん自分ひとりでできるわけはないが、先ずは英語でやってみて、効果があれば他の先生方も協力してくれるのではないかと考えて思いついたのがフランクリン方式だった。(See ⑨)

 生徒達にベンジャミン・フランクリンの話を聞かせ、3年間この方式でやり遂げれば希望校に進学できるはずだ。できなかった場合オレは坊主になると宣言した。ただし、こちらの要求するレベルに達しない者は、達するまで学期末の休みを返上すること。やる気がある者は明日新しいノートを一冊持って来いと言ったところ10人あまりがやって来た。1ページを1週間分とし、13徳目の部分には 1. 単語 2.発音 3.リーディング 4.英作文 5.文法などと書き込ませ、英語の授業のあった日の自己採点を○△×で記入した上、下の空欄には毎週必ず質問をひとつ記入して土曜日に提出せよと命じた。つい先ごろまでの自分の不勉強振りを棚に上げいい気なもんだとは思わなかったのだから教師というのはある意味で勝手なものだ。

 参加者は、2年目には数人、3年になると3人に減ってしまったが、若い先生たちの努力もあって、それなりの効果はあった。それまで進学者のいなかった津田塾大学の英文科、早稲田大学、東京外語大のイタリア語科、東京農工大学など東京の大学に合格し、新潟大学にも数人入った。清水トンネルでの予感は的中し、3年間一度も東京へ帰ることは出来なかったが、この学校としては空前のことだという町の人達の声を聞いて、仲間達と心ゆくまで祝杯を挙げることができた。ひとつの心残りは、東京教育大学英文科へ行って先生の後を継ぐといってくれた生徒が志を果たせなかったことだった。この生徒は2年生の夏頃から、津田塾志望の女生徒に恋をして勉強に手がつかなくなってしまった。「恋愛は自由だからやめろとは言わない。だが、今のままでは、志望校には入れないだろう。」と忠告したが、結果はそのとおりになった。しかし、約束は約束だから、栃尾を去る前日、町の床屋さんでつるつるの丸坊主にしてもらった。 外へ出ると、春未だ浅い雪国の夕暮れの冷気が頭に沁みた。髪の毛がもとにもどるのに8ヶ月かかったことを憶えている。(M)