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英語語彙の学習(7)

Author: 土屋澄男

前回の最後の一文「学習者自身の語彙研究による到達目標の策定と、それへの達成意志が必要不可欠なのです」は、筆者の意図したものを伝えるには不十分で、読者には分かりにくい文であったかもしれません。そこで、今回はこの一文の中に筆者が込めた意図を述べ、学習者がどのように語彙習得の問題に取り組んだらよいかを考えてみたいと思います。

 まず学習者自身はどのようにして語彙研究を行なったらよいでしょうか。中学生や高校生にそんなことができるのでしょうか。彼らの多くはこう言うでしょう。学校の勉強についていくことにエネルギーの大部分を費やしていて、教科書に出てくる単語を覚えるだけでたいへんなのだから、自分で語彙の研究をする余裕などありはしない、と。その通りでしょう。しかし、これまで述べたように、本格的に英語に取り組むには相当の覚悟が必要です。ちゃんとした目的意識と、きちんとした到達目標を立てることは必須のことです。それなくして努力は永続しません。おそらく、学校を出て何年後かに何かの理由があって再び英語学習を開始しようと決めた人たちは、中学生や高校生とは違って、どこから始めて何を目標にして学習するかを最初に考えるでしょう。いろいろ資料を調べ、情報を集め、自分のもっとも適切と思う方法を選ぶはずです。人生経験の少ない中学生や高校生にそのような自律性を求めるのはたしかに酷です。しかし、これまでの第2言語習得や外国語学習の研究で一致して挙げている成功者の特質は「自律」(autonomy)ということでした。言語学習で言う「自律」とは、簡単に言うと、「自分自身の学習をコントロールする能力」です。この能力は脳の働きの一部で、誰もが生得的に与えられている能力の一つだと考えられます。子どもが母語の習得にほとんど例外なく成功するのは、その能力を自由に使うことができるからでしょう。ところが学校へ行くと、とたんにその能力は失われてしまいます。それは、学校がその能力をうまく利用するような教育をしない、それどころか、むしろその能力を抑圧してしまうからだと考えられます。20世紀の初頭、マリア・モンテッソーリをはじめ幾人かの幼児教育の専門家がそのことに気づき、教育の改革を提案しました。しかし20世紀を通じて、改革が実行されたのは一部の地域の一部の教育機関に限られました。21世紀に入って10年が経ちましたが、その状況は変わりません。

 さて具体的な問題の議論に入りましょう。中学生(今年からは小学生も含まれる)の語彙学習に関しては、一般に児童・生徒の自律を促すような望ましい学習環境にはありません。残念ながらそのことを認めないわけにはいきません。それに加えて、英語学習を始めたばかりの子どもたちは自分の語彙学習をコントロールできるだけの経験も知識も技術も持っていません。彼らにできることは、英語学習の経験を積みながら語彙に関心を持ち、英語という言語がどんな語彙構造をなしているかについての全体的な認識(メタ認知)を得ることです。つまり、語というのは単にバラバラに存在するのではなく、いろいろな語が意味の上で、また形式(音や綴り字)の点でつながりがあり、それぞれの語が他の語と連携してさまざまな意味を構成していくことに気づくわけです(語彙とは人の脳の中に蓄えられた語彙素のネットワークだと定義することもできます)。このことに気づくことが、次の段階での語彙学習の自律的な取り組みへと発展します。そういう意味で英語学習初期のこの段階は非常に重要です。

 学習者の英語語彙がもっとも進展するのは高校段階だと思われます。受験のときには誰でも真剣になります。一時はそれだけに集中します。3000語覚えなければ受からない(すでに述べたように語のカウント方法が問題ですが)となると必死で覚えます。ですから、一般に、高校の成績が良くて推薦で入ってきた学生よりも、苦労して受験で入ってきた学生のほうが英語の語彙力は上回っています。以前自分の勤めていた大学で調査をし、そういう結果を得たことがあります。入試はその点で侮りがたい動機づけとなります。しかしそれでは本当の意味の自律は育ちません。入試だけに動機づけられていた学生は、大学に入るとたちまち学習意欲を減退させます。そしてそれが大学における英語教育の大きな問題となっています。そういう点からも、高校段階における自律的学習の確立というのは大きな検討課題となるわけです。

 そこで、高校段階での語彙の学習はどのようにしたらよいでしょうか。どれだけの語をどのようなストラテジー(方略)を使って学んだらよいでしょうか。どのようにしたらより自律的な語彙の学習に向かうことができるでしょうか。次回はこれらの問題について考えます。(To be continued.)