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<大局観の喪失(承前)> 松山薫

14日の新聞の広告に将棋の羽生善治名人の「大局観」という著書の広告が載っていた。本を読んだわけではないが、前回のブログで指摘した大災害への対応に絡んで、この書名にたいへん強い印象を受けた。将棋のことはよくわからないが、囲碁では、局地戦に集中して大局を忘れると、敵失(つまりまぐれ当たり)でもなければほとんど勝てない。私のようなザル碁打ちは、強敵とやると、たいていこういう結果になった。前回、地震の時にいた医院の待合室の様子を書いたが、ここでもそれが現れた。体験したことのない大きな揺れが襲ってきた時には、とにかく外へ逃げることが最優先で、靴などどうでもよいのに、ほとんどの人が、普段どおりに靴をはくことにこだわり混乱を引き起こした。つまり、大局を見失ったのである。待合室が潰れていたら、多くの人が犠牲になっていたろう。

大局観の欠如は、政府の対応にも現れた。被害者への対応と同時に、緊急に対応しなければならないのは原子力発電所の事故であることは前回指摘した。原子炉と原子爆弾は原理的には同じものであり、大事故が起これば影響は計り知れないからである。ところが、菅首相は、原子力の専門家であると称して現地視察に出かけてしまった。官邸に留まり、知識を活かして最悪の事態を想定し、政府の全知全能を傾けて一刻も早く具体的な対応策を策定するのが責務だろう。最高責任者が現地へ出かけて、事故が大変なことになっていたら、対応は手遅れになる。たいしたことがなければ完全な時間のロスだ。事実そうなった。

枝野官房長官の記者会見での対応も全体展望を欠いたものだった。非常事態で怖いのが、流言飛語つまりデマであることを、戦中、戦後を生きた我々は身に沁みて知っている。それを打ち消すものは、正確で具体的で迅速な情報の開示と、それを裏付ける行動である。たとえは、
放射線量について「ただちに人の健康に影響を与えるものではない」と発表すれば、聞いている国民は、「そのうち健康に害になるのだな」と考えるのは当然である。「だだちに」とは具体的にどういうことを意味するのかを丁寧に説明する必要がある。こういう不正確であいまいな情報を流した上、防衛庁のトップが突然「今日が限界だ。」などという無責任な発言をするのだから、国民が不安になるのもまた当然である。首都圏に隣接する福島県のいわき市で、食料も水も医薬品もないという信じられない事態が起きているという。放射線量に関する風評で、トラックの運転手達が、いわき市へ行くのを拒否しているというのだ。私の住む団地周辺のスーパーからは、コメ、電池、トイレットペーパーが姿を消した。停電で小田急が動かないので3キロほど離れた湘南台へ徒歩で行ってみた。大型スーパーの前には開店前から長蛇の列ができていた。あきらめて次に店へ行くと、入場制限で15分後にやっと入店できたが、上記3品目の棚は見事にからだった。戦争中何軒も農家を廻って何も買えず、とぼとぼと家路に着いたことを思い出し、うそら寒い思いがした。家に帰ると家内が「マルエツにおコメあったよ」とこともなげに言った。政府高官が「物資は十分あるから買いだめするな」と言っても民衆は信用しない。実際に物資を店にあふれさせる以外にデマを押さえることは出来ないのだ。せめて、現状を具体的に説明し、何時までにはどうなるという見通しを明らかにしないで、ある、ある
と言うことは逆効果だ、

「同情するならカネをくれ」というフレーズが流行ったことがある。「まず食糧をくれ。同情の言葉はそれからでいい」という被災者の投書があった。これが本音だろう。それに対してきちんと答えることが大局観に基づく責任ある行動である。久米宏が2億円を無言で震災対策に寄付したという。イチロー選手は1億円、ダルブッシュ投手は5千万円だ。無条件で偉いと思う。1回何十万円も取って講演してわっている諸君よ。先ず身を切られるような額のカネをだせ。そうでなければ、君達の言説は将来にわたって信用されないだろう。先ずカネだ。それが、国家予算に匹敵するような額になった時、世界は本当に、日本人を見直すだろう。(M)