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「テレビ画面で考える言葉の問題 Ⅱ」(29の続き)
(1)大震災から一カ月以上が経ちましたが、まだまだ問題は山積です。テレビ番組はどうも問題点の扱い方は相変わらず表面的です。私が「原子力安全保安院」の存在を知ったのはラジオだったので、「保安院」は「保安員」だと思ってしまいました。同音意義語が多い日本語では、よくあることですが、「機構」にしたほうが分かりやすいでしょう。「機構」にも同音意義語がありますが、文脈で区別がつけやすいものがほとんどです。

(2)この「保安院」というのは原子力の専門家の集団かと思ったら、ほとんどが経済産業省の“お役人”なのですね。それなら、「“安全”とか“保安”とか名乗るな」と言いたくなります。同心円を描いて「中心から20キロ以内は立ち入り禁止」というような指示も安易過ぎるものです。4月22日の朝日新聞は、「汚染に濃淡」とか「まだら汚染」という表現で、単純に危険地域を決められないことを解説しています。救援活動に来たアメリカ軍は、”TOMODACHI Operation” と言っていますから、危機の際の救援活動は“作戦”なのです。作戦には、勝れた指揮官と有能な参謀や兵士が必要です。日本の現況で心配なのは“有能な指揮官”の存在が感じられないことです。

(3)テレビではAC 広告が相変わらず盛んですが、その言葉遣いには気になるものがあります。「日本は1つになろう」というのがあります。もちろん「心を一つにして、被災者を救おう」という気持ちを否定するつもりはありません。再開した東京ディズニーランドは、” We are One.” と言っています。しかし、言葉というものは、使う人の気持ちを離れて、独り歩きを始めてしまうことがよくあります。私の世代などは、戦争の形勢が不利になると、軍部が「燃えろ一億火の玉だ」といった標語で、一般国民を自決に追い込むようなことをしたのを忘れるわけにはいきません。

(4)ブログ仲間の松山薫さんは、「日本は強い国だ」という「強い国」とはどういう国を意味しているのか気になると伝えてくれました。日本の敗戦というものは、今度の東日本大震災と同じように、日本人の記憶から消したり、風化させたりしてはならないものだと思います。私は「景気を回復させよう」というのも気になります。気軽にこう言う人の頭には、「どんどん物を作って、どんどん売って」といったバブル景気のよなものしか浮かんでいないのではないかと思うからです。これからの日本人は、どういう生活をしていくべきかをじっくりと考え、実践に移していかなければなりません。そういう趣旨の番組はほとんどないのです。4月16日にNHK が放送したハーバード大学のM. サンデル教授の「究極の選択」は数少ないそのような番組の1つでした。日本人ばかりでなく、中国人やアメリカ人の学生たちの討論は興味深く、意義のあるものだと思いました。どうして日本ではこういう番組ができないのでしょうか。

(5)AC 広告では、童謡作家金子みずず(1903-1930)の言葉を繰り返しています。その言葉遣いの感覚は、現代の詩人ではないかと思わせるみずみずしさがあります。私はこの作家の名前は、40年ほど前に学会の研究会で山口市を訪れたときに知りました。山口県というと、伊藤博文を始め、岸伸介や佐藤栄作などの政治家の出身地を思わせますが、詩人の中原中也や金子みすずを生み出した土地でもあるのです。もっとも、彼女は26歳で自殺した薄命の作家でした。彼女の「こだまでしょうか、いいえ、誰でも…」という言葉をじっくり味わいたいと思います。(この回終り)