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< 松下政経塾 > 松山 薫

 茅ヶ崎市の海岸に創設された松下政経塾に新首相の野田佳彦ら第一期生が入熟したのは1980年のことであった。次の年に茅ヶ崎方式英語会を設立した私は、募集ビラを配りながら何回もこの塾の前を通った。正門の奥に屹立する40メートル近い尖塔は、余人を寄せ付けない雰囲気があったが、記者根性が頭をもたげ、ここで何が行なわれているのか、そのうち見聞してみたいと思った。その後、たまたま英語会の会員の中に政経塾の関係者がいたので、下調べのつもりで色々聞いているうちに、見学したいという気持ちがスッと消えていった。それは松下政経塾には「五誓」といって塾生が守るべき教えがあり、毎朝全員で唱和すると聞いたからである。私は直ぐに、海軍兵学校で行なわれていた「五省」や「軍人勅諭」を思い出した。「五誓」にしろ「五省」にしろ内容には取りたてて言うべきことはないのだが、それを毎日全員に唱和させるという行動規範に、私が最も嫌いな全体主義的な匂いがした。

 ほとんど本能的な全体主義への嫌悪感は、やはり戦争体験に由来する。中学校に入学した時に渡された軍事教練の教本の冒頭に「軍人勅諭」があった。くねくねした万葉仮名で書かれ、「ひとつ軍人は忠節を尽くすを本分とすへし」などの「五訓」で終るかなり長文の勅諭を我々は必死になって憶え、唱和した。これを憶えなければ兵隊になれなかったのである。陸軍の内務班では、毎日これを唱和させられ、憶えられない初年兵は古兵に殴りまわされて、歩兵銃の引き金を足の指で引き、銃弾を顎から頭へ貫通させて自殺した者もいた。

 政経塾の「五誓」唱和を聞き、本家の松下電器(当時)にも社歌があって、毎日斉唱させられているのではないかと想像した。数年前のある朝、サインペンのインクが切れていたので、近くのスーパーへ買いに行ったところ、まだ開店前だった。外から、全面ガラスを通して店内が見え、レジのおばさんたちが店長の方を向いて社歌らしきものを斉唱しているのが見えた。「おばさんたち随分口がでかいなァ」と思って眺めているうちに、ふと、店長は口のあけ方で会社への忠誠度を測っているのではないかと思えてきた。日本株式会社と言われる独特の社会体制の中ではありえないことではないだろう。寡聞にして私は知らないが、アメリカやフランスにも社歌を斉唱するような風習があるのだろうか。「自由と規律」のイギリスのパブリックスクールやフランスのリセでは「五誓」のようなものを唱和するのだろうか、ドイツのヒトラーユーゲントやソ連のコムソモールではどうだったのか。

 そういうことで見学はやめたのだが、数年たった頃、英語会の茅ヶ崎校が教室と事務所を借りている市の中心街の小さなビルに、政経塾2期生の市会議員が事務所を構えた。小さなビルで毎日顔を合わせるし、亡くなった父親が私と同年齢だということもあって、だんだん親しくなり、お互いの事務所でお茶を飲んで話をするようになった。市会2期目はトップ当選し、間もなく県会議員になった。県会の欧州視察旅行の際には、スイスのチョコレートを大量に買ってきて「親父さん、みんなで食べて下さい」と渡してくれ、私もだんだん息子のような親しみを感ずるようになっていった。彼の目標は一日も早く国会に出ることであったが、その焦りと坊ちゃん育ちの人のよさ、脇の甘さが身を滅ぼすことになった。選挙資金の調達のため、選挙ゴロに引っかかって、脱税事件を起こして2年の有罪判決を受け、政治生命を失った。まだ30歳前だった。彼の事務所には、選挙のたびに政経塾の後輩達が自分の将来の選挙の実習をかねて応援に集まってきたが、彼等の話を聞いていて、どうしても出てくるエリート意識と選挙をなめているとしか思えない言動になじめないものを感じた。私自身長くNHK労組の役員をしていて、委員長だった上田哲の選挙運動に何回か駆りだされ、裏選対の仕事をしたこともあったので、「松下政経塾出身」という金看板を打ち出せば勝てると思っているらしい彼等の考え方や、「先生、先生」と呼びながら集まってくる下心ある人達に簡単に乗せられてしまう脇の甘さに違和感を覚えた。つまり彼らは、典型的なエリートの「上から目線」と「ひよわさ」を漂わせていたのである。

 あれから30年経った。松下政経塾から初の首相を出し、国会議員38人を擁して、形の上では成功したと言えるかもしれない。しかし、彼等の真価が問われるのは、政権中枢に入ったこれからである。政経塾のあの高い尖塔は何を意味するのか。高い理想と志を示すものであれば幸いだが、高い地位のみを象徴するのであれば、創設者が泣くだろう。

 もっとも私は、政治エリートを塾や学校で育てるという考え方そのものに疑問を持つ。政治家は初めから終わりまで、選挙民の厳しい批判に耐えて成長すべきである。そのためにはやはり、前に述べたような利害得失はあるにしても*、もはや首相公選制を取り入れる以外に方法はないように思われる。5年に6人もの首相が、内輪のたらいまわしで選ばれるという珍現象は世界の笑いものだ。アメリカ国務省の報道官は、記者に「日本の首相は何年間に何人変わったか憶えているか」と質問されて「さあ」と答え、「よくメモしておくんですね」と突っ込まれて苦笑した。翌日、笑ったことを釈明して陳謝したが、「付き合ってられないよ」という本音が見え見えだったし、心の中ではこんなことをいつまでも許しておく日本の国民の政治的未熟さや不可解さへの軽蔑もあっただろう。自分たちのリーダーは自分たちが選ぶと言う当たり前のことが何故できないのか。松下政経塾の塾是や塾訓、五誓の精神を本当に身につけているなら、その出身者にこそ、首相公選制の導入を命がけで果たしてもらいたいものだと思う。(M)    * 2011−7−9「日本の病根 ② 政治の貧困」