Print This Post Print This Post

言葉で説明できる「宣言的記憶」に対して、言葉では説明できない潜在的な記憶(非宣言的記憶)とはどんなものかを考えてみましょう。まず、言葉を持たない動物たちの行動の多くはそういう記憶にたよっていると思われます。アリやミツバチはずいぶん複雑な行動をしますが、その多くは、進化の過程でかれらのDNAの中にすでに組み込まれている潜在的な記憶によると考えられます。そういうものを以前は本能と呼んでいましたが、本能というと、まったく学習という概念を排除することになるので、現在ではあまり用いられません。いろいろな動物の行動を注意深く観察すると、かれらもまた、さまざまな学習をすることが見えてきます。たとえば、アリやミツバチはヒトのような言葉は持っていませんが、仲間どうしで何らかのコミュニケーション手段を持っていて、それによって新しい行動を生み出すことができると考えられています。そのコミュニケーションの手段は、進化論的に高等な動物ほど複雑になり、ヒトはついに言語という最高のコミュニケーション手段を持つにいたりました。

 しかしヒトも動物ですから、言葉によらない記憶のメカニズムによってコントロールされる行動というのがいろいろとあります。いちばん分かりやすい例は反射行動です。熱い鍋に手を触れると、「アチチ!」と反射的に手を離します。若い頃にはそんなことはあまりなかったのですが、最近、筆者はよく手にやけどをします。歳をとると反射が鈍るらしいのです。脳科学は、この反射のメカニズムをほぼ明らかにしています。まず、反射の神経回路が脊髄にあることを突きとめました。そしてその反射を適切に遂行するために、小脳がその調節にあたっていることも突きとめました。小脳の中の反射弓に調節用の回路が組み込まれていて、さまざまな反射の動作特性やそのタイミングを常にコントロールしているのです。運動の中枢は小脳だという俗説がはびこっていますが、これは運動の調節に小脳が非常に重要な役割を担っているという意味で、小脳に運動機能が集中しているわけではありません。ヒトの言語の使用には発声に関係する筋肉運動のコントロールが伴いますから、当然のことですが、この反射による運動機能の洗練は言語の学習とも関係します。

 さて、脳科学は言語の無意識的なスキルの使用をどのように説明するでしょうか。結論を先に申し上げると、言語の学習とその使用スキルはヒトに特有な高度な精神活動と関係するので、動物ではそのような高度な機能を解明する実験システムを設計することが難しく、今のところ、その神経メカニズムをシナプスのレベルまで完全に理解するところまでは行っていません。しかし言語の学習とスキルに関する心理学的モデルはいくつか提案されており、どれが説明妥当なモデルであるかどうかを脳科学によって検証するという試みがなされています。ここでは、以前に紹介したことのあるアンダーソン(J. R. Anderson 1983)のACT Model (Adaptive Control of Thought Model) にもう一度登場してもらいましょう。

 ACT Modelによると、人間の認知活動は、外界からの刺激を受けて短期間だけ機能する「作動記憶」と、2種類の長期記憶(「宣言的記憶」と「手続き的記憶」)に基づいて行なわれます。第1段階として、外から入ってくる情報を作動記憶で認知し、必要なものを記憶します。するとそれが宣言的記憶のスペースに送られ、そこで知識として保持されます。次にそのスキルを実行する場合には、その保持された知識が宣言的記憶から作動記憶に取り出されます。そしてそれが試行錯誤的に実行されると、そのノウハウの知識が手続き的記憶のスペースへ送られて保持されます。こうして第2段階に進みますが、この段階ではスキルはまだ完成されていないので、実行に際していちいち宣言的記憶が参照されます。そのために余分な時間がかかります。時間に余裕があるときはよいが、聞いたり話したりする場合には瞬時に反応する必要があるので間に合いません。しかし学習者はスキル使用の経験を積むことによって、いちいち宣言的記憶を参照する必要がなくなり、手続き的記憶だけで処理することができるようになります。これが第3の習熟段階です。そのプロセスは「自動化」と呼ばれますが、それは一度に達成されるものではなく、多くの経験と時間を必要とします。

 以上のことから言えることは、結局のところ、言語スキルの習熟にもっとも必要なのは経験と時間だということです。そして学校で学ぶ外国語の授業にいちばん欠けているのがこの2つの要素です。ですから、それらは私たち学習者が自分の責任で作り出さなければなりません。学校では授業時間やクラスサイズなどの制約のため、せいぜい、スキル学習の第2段階くらいまでしか到達できないからです。(To be continued.)