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< 原発論争に備えて ⑥ >

⑥ 原発と格差社会

“ We are the 99%. ” という声が世界を覆い始めている。これは日本の原発問題と無縁であろうか。私は分かちがたく結びついていると考える。なぜなら、いずれもが、サプライサイドの利潤を優先した産業社会のひずみの現れであると思うからだ。
 
格差が拡大した原因として一番大きいのは、新自由主義の影響だろう。新自由主義に基づくサプライサイド・エコノミックスでは、供給の拡大によって経済全体のパイを大きくすれば、全体が潤うことになっていた。資源小国である日本が、パイを大きくするための仕掛けが、原発立国であった。経団連の会長が言うように電力は産業のコメであり、政府、財界は、電力を半永久的に生み出す核燃料サイクルに産業の発展、ひいては、この国の将来をかけたのであった。そのため、原発が持つ危険性にはあえて目をつぶり、安全神話を作り上げて、国益の名の下に、この小さな地震列島に80基近い原発を作る計画を立てたのである。確かに、電力の30%を原発でまかないながら、日本は世界第2のGDP大国になった。だが、大きくなったパイは、果たして公正に分けられたのであろうか。

新自由主義は、サッチャーからレーガンにつながり、首相として日本でこれを受け継いだ小泉純一郎は、つねづね「格差があって何が悪いか」と主張していたのだから、格差が広がるのは当然の帰結であった。彼が5年半にわたる首相の座を降りた2006年のOECDの報告書は、日本の勤労世代の貧困率がアメリカに次いで世界第2位になったと述べている。

  “努力すれば報いられる。努力しなければ報いられないのは当然だ。”というのが新自由主義者の考え方である。しかし、努力すれば必ず報いられるといえるほど、世の中のしくみは単純ではない。努力は大切である。しかし、それだけでは成果には結びつかない。成果を挙げた人は皆、大きくは歴史の流れ、反面教師を含めて人との出会い、自分の能力と仕事のマッチングなど運に恵まれたことを自覚しているはずだ。私は歴史に足跡を残した100人を超える人達の伝記を読んでそう確信している。

 逆に言えば、成功しなかった者が努力しなかったわけではない。運に恵まれなかった結果であることも多い。だから、再びチャレンジできるチャンスを保証する必要がある。それをしなければ、一旦生まれた格差は、生涯続くだけでなく、次世代まで連鎖していく。日本のセィフティーネットが世界的に最低水準だといわれるほどに貧弱であることが、再チャレンジを極めて困難にし、パイの公正な分配を阻害して、格差を広げている。

 福島原発の事故によって、原子力を産業のコメにすることは難しくなった。特に、日本が国連安保理常任理事国の五つの核保有国以外に世界で唯一認められている、使用済み核燃料の再処理による核燃料サイクルは、国内外の厳しい視線で、事実上不可能になったと思われる。核燃料サイクルが不可能になれば、原発にたよる産業政策は根本的に見直さざるをえなくなる。パイはもはや大きくならないのではないか。そうならなおさら分配の公正さやパイの質が問われることになる。

日本におけるこのような事態が、先進諸国の財政危機と過度な投機が生んだ世界経済の暗転、ドルを垂れ流して生き延びてきたアメリカ一極支配の終焉、インターネットを武器に格差是正をもとめる世界的な平準化志向、という歴史的転換の時期に、また、世界人口が70億人に達し、資源、食糧の絶対的不足とその争奪戦の予感の中で、起きたことは、多くの日本人に今後どう生きていくかを考えさせることになったと思う。(M)