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「理想の自己」(ideal self) と「可能な自己」(possible self) とのギャップに悩まない人はいないでしょう。人は現実の自己を知れは知るほど、自己の不完全さを知るものです。他方では、自己の可能性を追求しようとする意欲はすべての人が本来もっています。しかしある人は「理想の自己」と「可能な自己」との差があまりにも大きいことに絶望し、理想を捨てるしか自分の生きる道はないと考えます。これまでにしばしば述べたように、実現を諦めた理想は単なる夢にしかなりません。人生にはそういうことがたくさんありますが、英語学習においても、理想を捨てたら学習の意欲は大きく減退し、小さい現実的な「可能な自己」(たとえば卒業に必要な単位をなんとかして取得する、など)の追求に救いを求めることになります。それに似たことは多くの人がすでに経験しているのではないでしょうか。

 学習意欲についてのこれまでの研究は、将来のあるべき自己のイメージが個人の自律的学習活動を促し、それを支え続けるという結論を導き出しています。しかし、これは自動的にそうなるというのではなくて、そうなるための条件がいくつか必要であるように思われます。それらを以下の5項目にまとめて、この章のテーマである「学習意欲の心理学」の締めくくりとします。

 第1に、学習意欲を引き出すためには、自分は将来こうなりたい、こういう人間になるべきだという自己指針がなければなりません。すでに触れたように、その際、理想の自己と可能な自己との調和をはかることが大切です。そのギャップがあまりにも大きいと、理想の自己はただの見果てぬ夢に終わります。そうはならないように、理想の自己は長期目標として掲げておき、そこを目指して可能な自己を少しずつ広げていく。そうするためには、中期目標としての「あるべき自己」(ought self) を自己指針とするのが現実的です。この点で人は大きく違うようです。学習意欲のまったく欠けている人が多いのは、そういう指針を持っていないためだと考えられます。

 第2に、たとい自己指針があっても、それがあまりにも漠然としたものであっては役には立ちません。それが常に意欲をかき立てるパワーを発揮するためには、「あるべき自己」のイメージが具体的で活き活きとしたものでなくてはなりません。これまでの研究は、自己イメージが細部まで行き届いたものであるほど、それは動機づけとして効果があることを示しています。(自己イメージのトレーニングについては第4項を参照)

 第3に、「あるべき自己」は、当然のことながら、学習者個人が到達可能だという信念を持っているときにのみ有効です。しかし、これがなかなか難しい。私たちはみな自分の周りにいる人たちが気になるものです。日本の社会では、しばしば、出る釘は打たれます。みんなで仲良く、何でもほどほどにしておくという中庸の精神が尊ばれます。そういう環境の中でどこまで自分自身の「あるべき自己」の指針をつらぬくことができるか、そこが勝負です。勝利するために必要なのは、自分の能力を信頼する「有能感」(feelings of competence)でしょう。これは他の人と比較して自分が有能であるというよりも、理想的な自己の在りようから生まれる有能感であることが望ましい。スポーツ選手がよくやるように、他の人と競争して無理に自分の中に作り上げようとする自信のようなものは、一時的には効果があるように思えても、時に過信や傲慢、また失望や無力感につながりますので、筆者はお薦めしません。

 第4に、「あるべき自己」のイメージは、イメージ・トレーニング(またはメンタル・トレーニング)によって強化することができます。まず自分の心の中にある理想に向かって進歩する自己をイメージします。イメージづくりには想像力を駆使し、特に視覚的に自分の姿をイメージするようにします。そしてそこに至るまでのいくつかのステップを考え、それぞれのステップに至るための具体的な目標を設定します。イメージ・トレーニングは特にパフォーマンスの改善に効果的だと言われています。一流のスポーツ選手はイメージと聞いただけで、演技を行なう場所や状況などを、五感を使ってリアルにイメージできるといいます。英語学習者もそうなるといいですね。これはヴィデオなどを利用して自分の演技を記録し分析し内省するようにすれば、現在では誰にでも実践が可能です。

 最後に「経験すること」(experiencing)の重要性を強調したいと思います。言語学習は実際の使用経験を積み重ねることによってのみ前進するものです。経験することによって、自分の長所や欠点が自覚され、次の目標に向かって新たな意欲がかき立てられるのです。経験するためには、自分の生活に中に言語を実際に使用する機会を作り出す工夫が必要でしょう。そして習熟には多くの時間が必要なことを覚悟しなければなりません。参考までに、カナダ・オンタリオ州のバイリンガル・プログラムを紹介しました。そこでは、基礎レベルの達成に1,200時間以上、中級レベルに累積2,000時間以上、上級レベルには累積5,000時間以上の授業を中等学校修了までに用意しています。しかし日本では、大学を含めてもこれだけの授業は確保できません。つまり学校の授業だけでは上級レベルはおろか、中級レベルを修了することさえ難しいと考えられます。習熟には、それに見合う学習時間を自分で生み出さなければなりません。そしてその学習時間は、上級に進むほど必要性が増大します。長期にわたるその努力を支えるものは、自己の学習を全体的にコントロールする自律的な学習習慣と、「あるべき自己」に向かってエネルギーを結集し続ける燃える心であると言ってよいでしょう。(「学習意欲の心理学」おわり)