Print This Post Print This Post

“コミュニケーション”とは何だ?という話
(1)国民新党では、亀井静党代表が亀井亜紀子政調会長と共に党を首になって、後任には自見金融担当大臣が党代表になったとのこと。野田首相はそのことを容認して、「連立継続をお願いした」と報じられています。野党はこのことで、何だかんだと政府を責め立てていますが、そんなことより、「中小企業が困っている金融政策は今のままでよいのか」といった政策論をしてもらいたいというのが、多くの国民の声ではないでしょうか。

(2)国民新党の場合も、もっと真剣に話し合って、国民にも分かりやすい結論を出してもらいたかったと私は思うのです。亀井元代表の言っていた、「民主党は、消費税は上げないとマニフェストで約束していたのだから消費税の値上げには反対」という主張のほうが理論的で分かりやすいものです。連立に残った議員たちは、こういう点の説明を一切していません。交渉ごとのすべてを、ましてや途中でばらす必要はありませんが、結論が出たならば、第三者にも分かる説明をしてもらいたいものです。それが、“説明責任”というものでしょう。

(3)国会議員がこういう悪例を示すものですから、他の分野でもコミュニケーション不足の例が続々と出ています。歌手の小林幸子の場合がその1つです。長年一緒にやってきたマネージャー役だった女性社長が、「突然首にされた」と言えば、「いや勝手に辞めたのだ」という声もあるし、身近にある人たちとのコミュニケーションが成立していないのです。テレビや週刊誌などはここぞとばかり報道合戦を繰り広げていますが、問題は一芸能人だけのことではすまないのです。

(4)占い師にマインドコントロ−ルをされていると騒がれた芸能人オセロの中島知子の場合も、出てきたと思ったら一切取材に応じないために、問題の占い師が、顔は隠してですがテレビ画面に出て、「すべて中島の指示だった。家賃や生活費も私が払っていた」と全く逆のことを言い出しました。もともと他人なのですから、それがいやならばさっさと逃げ出せばいいのに、そうしないで今さら文句を言っても始まらないと思うのですが、芸能界もわけのわからない世界です。

(5)そもそも文科省からして、やたらと“コミュニケーション”という言葉を使用していて、高校の英語の科目など、コミュニケーション英語基礎、コミュニケーション英語Ⅰ、Ⅱ、Ⅲなどを並べているのです。そして、目標には、「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り、情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う」としています。上記のように、母語の日本語でさえも“コミュニケーション”が満足に行えない者が多い日本人に、「英語でコミュニケーションが出来るようにしましょう」と言ったって、うまくいくはずがないと思うのです。

(6)文科省は省庁の合併で、原発問題まで抱え込むことになって、関係する地元の住民との“コミュニケーション”がいかに難しいかを痛感しているはずです。ですから、「英語でコミュニケーションしましょう」と言う前に、“コミュニケーション”という言葉さえ安易に使えない世相であることをもっと考えてみる必要があるのです。そうでないと、言葉とうものは、普及すればするほど実態のないまま独り歩きをしだします。そうなったら、よけいに修正は困難になるものです。(この回終り)