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< 英語との付き合い ⑲ >

NHK(2)LISTENING特訓

 何しろニュースのド素人が一匹迷い込んできたのだからデスクも扱いに困ったのだろう。最初にやらされたのが海外からの日本向けの英語の国際放送のモニターだった。

 国際局の隣に、報道局の外国放送受信部があり、そこで録音したテープを借りてきて聴くのである。内容を全て書き取ってデスクへ出せという。つまり、今で言うshadowingとdictationだが、listeningの練習はやったことがなかったから、かろうじて地名や人名などの固有名詞が耳に残るだけで、提出するものは白紙同然であった。そういう状態が3ヶ月くらいも続いたある晩、突然内容全体が分かるようになったのである。まさに、わが耳を疑った。「listeningの練習は、原子炉の臨界に似ている」と言った人がいる。つまり、核燃料の供給を続けても、ある段階までは核分裂は起きず、臨界に達して突然発電が始まるのと同じだというのである。人にもよるだろうが、私の場合はまさにそうだった。

 モニターはこれで終わりかと思ったら、ソルボンヌ大学出身の副部長に呼ばれ、フランス語のニュースを聞いて内容を要約して持って来いと言われた。しかも、芝の愛宕山にあった受信所へ行って徹夜でモニターして、朝要約を出してから帰宅せよというのである。高等師範学校でドイツ語とラテン語の講義に出たことはあったが、フランス語には全く縁がなかったので「無理です」と断ったが、「いいからやれ」という業務命令だ。同時に、アラビヤ語ニュースのモニターもやれという。もはやド素人に対する“いじめ”で「オレをここから追い出そうとしているのではないか」と疑ったが、これにはわけがあった。

 振り返ってみると、このモニター特訓で得たものは大変大きかったと思う。まず、英語放送がある日急に聴き取れるようになったのは、一定期間繰り返し聴くことによって、次のような効果の相乗作用が臨界点に達したためだと考えられる。もし強制されなかったら、途中であきらめていたに違いない。

① 語彙 : ニュースの中で繰り返される用語の意味が体感的に理解できるようになり、学校では習わなかった語彙が格段に増えたこと。例えば、come into forceとかlevel offといったよく使用される多くのphrase がcontextから瞬時に理解できるようになったり、studyは研究するではなく、検討するであり、learnは学ぶではなく、知るという意味で使われるというようなことも分かってきたこと。
② news style : 英字新聞や雑誌などはたまに読んでいたが、ラジオのニュースのスタイル(文体)は、それとは大きく異なることが分かってきた。要するに、頭から聞きながら理解できるように配列されているのである。
③ speed : 従って、慣れてくると、大変聴き取りやすく、1分間に150~180語のreading speedは全く気にならなくなってきた。はじめは、のっぺらぼうに聞こえていた文章が、
いわば、chunkとして耳に入るようになってきたこと。
④ 類推力 : ニュースは森羅万象を取り扱うから、使用される語は数万に及ぶといわれるが、 常時使用されるのは10分の1程度で、つまり、10分の9が身につけば、残りは十分に
  類推できること。
⑤ 知識 : ニュースの内容はどんな外国語でも、日本語の新聞や放送と同じなので、世界情勢についての知識が身につけば、そこからも類推が出来ること。例えば、BBC放送では中東問題がつねに重要視されていたので、中東情勢について勉強しておくと内容が理解できることがある。

同時にそれまでにある程度の英語の学習をしていたことが、基盤になった。学校で習った英語は決して無駄ではなかったのである。

 最初は、全くちんぷんかんぷんだったフランス語放送も2週間程度モニターしているうちに、なんとなく内容の大筋は理解できるようになった。地名や人名の他、単語にも英語と共通の語源を持つ語があることが理解を助けた。アラビア語の放送の内容は最後までわからなかったが、中東問題を重視してるのはBBCとおなじなので、たまには類推できることもあった。特に中東からのニュースが多い夜間は、雑音が少なく短波放送特有のfadingも弱いので、昼間の放送に比べて格段に聴き取りやすい。それが夜間特訓の利点だった。

 4ヶ月近くにわたったこのモニター特訓からは、同時に、取材は、分からないでは済まされない、最後までくらいつく根性が必要だということも学んだ。この特訓のあと、BBC, VOA, RADIO AUSTRALIA などの style bookを渡されたが、、まさに水が沁みこむ様に自然に理解できた。最初からstyle bookで勉強せよと言われていたら、こうはいかなかっただろう。結局急がばまわれということだ。(M)